織田信長は委員長タイプ?〜コンプレックス強くて、舐められるの嫌で、だけど裏切りとか予想だにせず「自分は頑張ってるのに、信じらんない!」的にショック受け怒る…
@1059kanri @kirik_game 声が甲高いのがコンプレックスだったので、「で、あるか」など、少ししか喋らない癖があった、って説もありますよね
2019-03-06 22:36:07@1059kanri なるほど! だからこそ、本能寺後は家臣団が主家を蔑ろに権力闘争をおっぱじめるわけですね。あの闘争には御恩と奉公の欠片も有りませんでした。
2019-03-06 23:27:30@muhonnocream @kamedatoshitaka 「是非もなし」のニュアンスが 「意味わかんねえんだけど」だって話は聞いたことあります。
2019-03-06 23:43:30織田信長のイメージとして、常識に囚われないとか、或いは異端的なんてものがありますが、ここは断言できるけれど、信長自身は自分が極めて常識的かつ社会において模範的な人物だと思っていたし、そう有るよう努めていました。
2019-03-06 23:56:01@1059kanri 焼香投げたりと、奇抜な恰好したりと、常識はもっていましたが、異端児であり、模範を小ばかにしていた人間に見えますが?
2019-03-07 15:46:03@tanteino こちらは信長公記首巻の記事ですが、少年時代の信長は他の遊びには目も向けず馬の調練、水練、模擬戦にいそしみ、不断に弓、鉄砲、兵法の稽古をしていたとあります。「奇抜な格好」というのも朱武者をイメージしたもので、彼の武辺へのあこがれを表したものと言え、戦国武将の子としては実に真摯かと pic.twitter.com/87puZiLRD8
2019-03-07 16:06:20@1059kanri その後ろの文で、当時の人も「ケッタイな恰好してるうつけ」と評価してるので、常識は持っているが、常識にとらわれていないと評価すべきだと思いますが 教育係も嘆いて切腹するくらいの、異端児ですし。
2019-03-07 16:12:40@tanteino この部分ですね。常識にとらわれないと言うより、ただだらしなかっただけという感じもありますwあと平手政秀の切腹は信長が平手の息子の馬を欲しがりそれが拒絶されたことからの関係悪化が原因であると信長公記にははっきり書いてありますね。 pic.twitter.com/bA3jzIxC9R
2019-03-07 16:21:37@1059kanri それまでは品行方正(水練云々)、今は異端児(うつけ)なので、ものぐさではなく、意図的だと思います。これは焼香の事件が端的に出ています。 平手の件は、不和になっている時期に平手は「信長公の領主にあるまじき行いようの数々を悔やみ~」とあるように、不和が主原因とは書かれていません。
2019-03-07 16:36:11@tanteino まー、実は太田牛一は若い頃の信長には接しておらず、焼香の件も含めて伝聞情報のようなので、実際にあったことかどうかという部分で疑問はあるらしいのです(補完史料が存在しない)
2019-03-07 16:43:24@1059kanri 「信長公記」は、一次資料として、評価されているので、そこを否定するのであれば、水掛け論ですね。 まぁ僕の信長像は、キチガイじみた改革者ではなく、常識を知り、常識を常識に疑い頓着しないクレバーな改革者だと考えてます。「当時としても常識人」の考えとは相いれないな、と主張して終わります
2019-03-07 17:40:59本人の中では完結していると思う。あくまで本人の中では。 twitter.com/1059kanri/stat…
2019-03-07 00:01:25@toronei 最初から改革を旗印にしてしまうと、あれもこれもで全て中途半端に成り勝ちなのに対して、保守だと守るべきコアの部分を先に設定するので、重心が定まりやすい、ということはあるかも知れませんね。
2019-03-07 00:05:31@1059kanri 頼朝も尊氏も信長も家康も結果的に改革を嫌々含めてしてしまった人で、改革派ではないんですよね。どちらかというと改革派と戦ってたし。
2019-03-07 00:08:40