オペラにみる文化芸術論

オペラの話ではあるが、古くからの伝統に基づいた文化芸術どの分野にも通用する佐藤亜紀先生のつぶやき。
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@tamanoirorg

オペラの上演の評価基準とは何か即答しろ、とか言われても困るんだよね、これ。即答できるような簡単なものではないから。それを何とか説明しようと頑張ったんだけど、万人が一致しない判断は客観的判断ではない、とか言う人が相手ではどうにもならないんで。

2011-05-05 23:35:37
@tamanoirorg

でまず、これが文化上の現象である、ということはご承知いただかなければならない。つまり、統計取って何%が良いと返答しました、では片の付かない問題を孕んでいるということ。

2011-05-05 23:37:14
@tamanoirorg

簡単に言うならこうなる訳だ——まず、聴衆のうちから何割かを除外しなければならない。まず、耳の出来ていない人。始めてオペラを聴きます、とかいう人の判断はカウントしない、というのは、当然、わかるよね。

2011-05-05 23:40:05
@tamanoirorg

同様に、過去の上演史に全く疎い人の判断も除外される。この二つの理由は分るよね——舞台とオーケストラピットで何が起っているのか、を判断する基準をそもそも欠いているからだよ。

2011-05-05 23:44:10
@tamanoirorg

前提とすべき経験を欠いているために全く凡庸なものに感動しかねない人や、新しい試みの何が新しいのかを理解できない人に、客観的な判断、はそもそも不可能だ。これは一定以上の蓄積を持つ文化においては当然のこと。

2011-05-05 23:48:18
@tamanoirorg

つまり、こうした事象において客観的な判断と見なされるには、圧倒的多数の判断の一致、ではなく、それまでの蓄積を踏まえて、何が起ったか、を正確に判断し、かつその蓄積が形成している文脈においてそれが何を意味するのか理解した上での判断でなければならない。

2011-05-05 23:56:36
@tamanoirorg

従って、並外れて事例に通暁する人間の判断が、他の全員の判断と異なっていても、客観的判断と言えるのはその一人だけ、ということも、当然起こりうる。

2011-05-05 23:58:46
@tamanoirorg

多くの新しい試みが、まさにそうした形で迎えられてきた、ということを知っていれば当然のことながらそもそもそういう疑問は持たない訳だ。まあ実際に、評価したのは一人だけ、ってことはほぼないとしても。

2011-05-06 00:04:57
@tamanoirorg

ではそうした文化的事象において、客観的判断は常に一致するかと言えば、必ずしもそうとは言えない。それまでの蓄積を同じように踏まえて判断したとしても、結論は正反対のことが当然ある。

2011-05-06 00:13:35
@tamanoirorg

ブーレーズ/シェローの「ラインの黄金」をFMで聞いた時の、幕が下りたら客席騒然、を思い出す。もの凄く興奮した。多分、オペラが好きになったきっかけはあれだ。

2011-05-06 00:14:40
@tamanoirorg

ブーイングとブラヴォーで客席が騒然とする時——終わった後も玄人連中が激論を戦わせ続ける時、一体何が起っているのか。もしどちらもが主観でしか語っていなければ、そもそも論争にはならない。一方が主観によってしか語っておらず、他方が客観によって語っているとしたら、結論は簡単に出る。

2011-05-06 00:17:56
@tamanoirorg

そうではないから、論争は続くのだし、その論争によって当の対象のあり方が洗い出されて来る。そしてその上演と上演を巡る甲論乙駁が、新たな蓄積となって次の鑑賞の鑑賞になる。

2011-05-06 00:22:01
@tamanoirorg

そういう経験をしていないと、理解するのは難しいだろうし、理解できないと、客観的判断など存在しないといとも簡単に言ってしまう訳だけど、そこから出て来る結論の不毛さをちょっと考えてご覧よ。

2011-05-06 00:24:17
地下猫 @tikani_nemuru_M

@tamanoirorg 客観的な判断が「民主的多数決」で決まると思っているバカに何をいっても無駄です。ま、多数決が民主的かどうかはまた別の問題として。

2011-05-05 23:53:23
@tamanoirorg

いや、民主的でさえないんです。科学的な客観性を求める奴がいるんです。 “@tikani_nemuru_M: 客観的な判断が「民主的多数決」で決まると思っているバカに何をいっても無駄です。ま、多数決が民主的かどうかはまた別の問題として。”

2011-05-06 00:25:21
地下猫 @tikani_nemuru_M

なるほど、客観性の質の違いについて僕が鈍いんだ! いわれてみれば違うはず。 RT @tamanoirorg: いや、民主的でさえないんです。科学的な客観性を求める奴がいるんです。

2011-05-06 01:25:47
Hiro Saka @HiroSaka7

@tamanoirorg 考えさせられますね。民主主義に対しても、この感覚が欲しいと切に思います。それまでの蓄積をふまえ、文脈を理解したうえで判断できる国民が増えることが民度を担保するのですから。

2011-05-06 00:13:31
@tamanoirorg

むしろ、今、文脈を理解しろと言っても袋叩きにされるだけですよ。衆愚だけが圧倒的に正しい世の中です。 “@HiroSaka7:考えさせられますね。民主主義に対しても、この感覚が欲しいと切に思います。それまでの蓄積をふまえ、文脈を理解したうえで判断できる国民が増えることが民度を//”

2011-05-06 00:27:21
@tamanoirorg

ちなみに、オペラの上演の可否に関しては実のところ、相当部分が技術上のものであって、それに関しては全く普通に判断の基準はある。ただ困るのは、歌唱に関して言うなら問題はほぼないのに致命的に詰まらない舞台、というのが時々あって、しかもその詰まらない理由というのが、

2011-05-06 00:35:58
@tamanoirorg

常に同じとは限らないし、一つとも限らないことなんだよ。こんな複雑な問題に関して、基準を示せ、とか言われても、何能天気なこと言ってんだよ、としか答えようはない。

2011-05-06 00:37:37
@tamanoirorg

主観だけでブラヴォーやってる客なんていませんよ。恥欠くでしょうが。何言ってんだかw “@ringohatukoi: 客観は理性に訴えることは可能。しかしブラボーやブーイングは感性。主観を動かし感情を司る原始脳が支配。心理は客観は無い。統計を駆使し線引きのみとも”

2011-05-06 00:38:59
@tamanoirorg

感性だけで芸術を鑑賞して、主観だけで褒めたりけなしたり熱狂したりできると思ってる人って、普段何見たり聞いたりしてるのか是非訊いてみたい。

2011-05-06 00:43:27
@tamanoirorg

恥欠く、は恥かく、の間違いです。失礼。

2011-05-06 00:44:47
@tamanoirorg

評価に値すると客観的に判断した歌手に対してしか、普通、ブラヴォーはしないよ。“@ringohatukoi: では、ブラボーになる場合、「主観と客観が論争した際、答えは明らか」の答えは客観の意味ですか? QT @tamanoirorg 主観だけでブラヴォーやってる客なんて//”

2011-05-06 00:52:31
@tamanoirorg

やってみりゃ判るけど、ブラヴォーもブーも、結構度胸いるのよ? 大勢に逆らって敢然とブーとかブラヴォーとかって、訊かれたら何故そうなのか全部お答えできます、でなきゃやれないよ。

2011-05-06 00:55:13