無能?平凡?それとも優秀?二代将軍「徳川秀忠」を語ろう

往年の大河ドラマ「葵〜徳川三代」が再放送されていることもあり、徳川幕府第二代将軍・徳川秀忠のことが話題になったそうです。この議論もtwitterでは定期的にされている印象がありますが…ふつうはここに隆慶一郎史観(影武者徳川家康史観)が入って、さらにややこしくなる(笑)
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アリノリ @a_ri_no_ri

家康もそうだけど、秀忠はもっと参考になる本が存在しないよな。大坂の陣も江戸初期も秀忠なしで見て良いものではないのにな。

2019-06-14 21:19:20
アリノリ @a_ri_no_ri

家康が将軍になる前に、秀忠の方が将軍に就任するという噂が出たらしい。前にも書いたけど、家康は将軍になった時点で50歳を超えており、鎌倉〜室町時代を通しても最高齢での将軍就任となる。たった2年でやめるとのは、年齢からして当然だし、秀忠就任の噂が出るのも不思議ではないと思う。

2019-06-14 21:27:30
まとめ管理人 @1059kanri

@Freezing_yukiho 優秀なのに北条氏綱がマイナーなのと似たような感じで

2019-06-14 21:30:05
アリノリ @a_ri_no_ri

いかん。50歳じゃなくて、60歳超えてる。この人は健康そうに見えて、メジャーな病気は全部かかってるからね。京都にいると夜更かしして長話しているし、あんまり健康に気を使ってるように見えない。

2019-06-14 21:32:52
アリノリ @a_ri_no_ri

家康は健康に気を使ったというのも、京都での生活を見ていると盛った話じゃね?と思ったり。母親の於大の方も長生きだから、遺伝じゃね?

2019-06-14 21:37:03
アリノリ @a_ri_no_ri

てゆーか、家康について調べようとしても、使えないのばかりなんだけど。ちょっと、幕府、ここ来て座んなさいと言いたいレベル。

2019-06-14 21:56:57
千鶴 @Tdr_moeguti4065

@aoitokugawa1 私は今のところ確認できていません。 遅参を怒ったのではなく、強行軍をさせすぎて徒に軍勢を疲れさせた。事を叱責した、との説がありますよ

2019-06-14 23:22:57
千鶴 @Tdr_moeguti4065

しかし真田仕置きが当初の命令ですから、素通りすると叱責されるおそれが…

2019-06-14 23:24:52
千鶴 @Tdr_moeguti4065

多分家臣団家譜あたりだと twitter.com/alcohol_d7/sta…

2019-06-14 23:28:41
たすく @Usk_tsk

関ヶ原において決戦が行われるなんて想定外だったわけでして、遅参もくそもない。そもそも物理的に間に合わんし、誰も処罰されていない。 というかこの秀忠遅参の俗説って一体いつ頃成立したんや

2019-06-14 18:35:45
千鶴 @Tdr_moeguti4065

@abtom3090 いえ、上田城戦は合戦と呼べる規模ではなく、苅田(攻城準備)の時の小競り合いぐらいのようです。数日かかったのは、当初昌幸が信幸を通して助命開城を打診してきたから。その後昌幸が掌をかえして籠城しました

2019-06-15 00:13:49
ドンじょぶお @urakkun26

>>「秀忠遅参」は15日決戦が必然というか徳川家康が戦争をコントロールしていたという幻想をベースとした辻褄合わせなんだろうが、秀忠軍を温存するための父子芝居というのもその亜種だねぇ。

2019-06-15 08:09:32
ドンじょぶお @urakkun26

秀忠は軍勢西上を急がせたが15日の合戦に間に合わなかったというのが事実で彼がそれを面目無く感じていただろうというのも推測されるね。

2019-06-15 08:09:32
ドンじょぶお @urakkun26

どうやっても間に合わなかったという後付けの事実と間に合わなくても問題無い事まで関係者はおりこみ済みだったはずという想像をゴッチャにしてはいけない。

2019-06-15 08:09:32
古上織蛍 @koueorihotaru

@urakkun26 秀忠遅参というより、大垣に籠城していると、やがて秀忠軍は到着してしまうので、その前に戦う必要が西軍側にあったという事です。西軍が籠城を選択していたら、秀忠は城攻めには間に合っていたでしょう。

2019-06-15 08:36:13
ドンじょぶお @urakkun26

@koueorihotaru 事実はそうなんですが、大垣勢は中山道の秀忠軍の動向を把握しようも無いのでやはり関ヶ原方向への移動は家康軍到着に対するリアクションでしょうね。

2019-06-15 08:39:29
古上織蛍 @koueorihotaru

@urakkun26 動向が把握しようがないでしょうが、西軍は真田と連絡とっていますので、上田城攻めていた秀忠軍が上田城攻めを断念し、上方へ向かっていた事は知っていたでしょう。いつ着くのは把握できないながら、いつかは着く。そうなれば西軍はますます不利になるでしょう。

2019-06-15 08:44:07
古上織蛍 @koueorihotaru

@urakkun26 9月15日という決戦の日を定めたのは西軍側の事情であり、東軍としては秀忠の到着を待ちつつ大垣城を包囲攻城していればよい。西軍が小早川・吉川を救援せず大垣籠城を決めれば離反の風聞が立っている小早川・吉川も「西軍の救援がなかったのでやむを得ず降伏した」と大手を振って降伏する事ができる。

2019-06-15 08:53:33
ドンじょぶお @urakkun26

@koueorihotaru 石田と上田との連絡は8月中には途絶してしまった様なので秀忠軍の中山道の動向を把握するのはほぼ無理でしょう。毛利の情報体制からも外されていた様なので家康本軍の位置すら視認するまでは掴んでなかったと思われます。目の前の徳川軍がまだ増えるという事まで予測する余裕は無かったのでは。

2019-06-15 09:29:35
HI @tateita_HI

@Tadashi_Imafuku 失礼します。森忠政宛秀忠書状によれば8日の上田に家康より上洛命令が届き、9日に上田へ帰還するとあります。また12日に「かちヶ原」とありますが、これは茅野市北山柏原に比定され、大門街道経由で南下したと見られます。

2019-06-15 09:51:44
☆はる☆ @2007haru2008

#葵徳川三代 秀忠「我が遅参は未来永劫笑いものにされようぞ!」 400年後まで、笑われてますぞ!

2019-06-16 06:44:47
バレンシア @farewellrhythm

#葵徳川三代 #おんな城主直虎 家康『こんな時、倅がいたらのう…』 正信『秀忠様がご到着なされます』 家康『その倅では、ないわい』 と、直虎に続くのだなあ。 とつくづく感じる…

2019-06-16 11:13:00
bookroad @bookroad1

@1059kanri @ViSiONeGATiVe あー、あとで気づいたけど、秀忠遅参話は家康の権威を背景にするから、秀忠DISになっても、あんまり大っぴらな咎めは受けにくいんだ。水戸黄門も同じか。 戯作者「超偉大なA様が、B様(この人もエライ)をお叱りになられた。さすがA様は、超絶すばらしい…そうですよね」 検閲官「ぐぬぬ」 みたいな。

2019-06-17 13:36:37
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

togetter.com/li/1036263用に 「影武者徳川家康」の秀忠・秀頼画像も張ろう(傍若無人) で、家康の代わりを務める影武者は「秀頼を死なせたくない」と、駿府に割拠することを考えたと。隠居ではなく、対江戸戦争を想定し… pic.twitter.com/CeHrp2cihN

2016-10-14 03:18:11
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まとめ 徳川秀忠と豊臣秀頼~2人の「二代目」論/大坂の陣は、誰に責任があり、誰が主導権を握ったか?(「真田丸」を受けて) 「真田丸」は人気作だけあってまとめも多く、一部重複や繰り返しがあるかもですがすいません。 大坂の陣直前を描くドラマの展開を見た歴史クラスタの議論の中で、「大坂の陣を、誰が積極的に望み、誰が回避しようとしていたのか」「どうすれば戦を回避し、豊臣家は存続できたのか?」という議論に興味をひかれました。 そしてその話題は、必然的に「徳川秀忠」「豊臣秀頼」という二人の二代目貴公子に焦点が当たります。作劇上の都合や伝説によってぼかされたり歪められるることも多い、ふたりの人物像とは? 102077 pv 132 38 users 17