アニメ『さらざんまい』に影響を与えた、芥川龍之介『河童』の考察 ~「僕は生まれてきたくありません」という視点と、社会問題との関係~

つい最近まで放映されていたテレビアニメ『さらざんまい』。その元ネタのひとつであろう作品、芥川龍之介の『河童』について、今回考察していきます。「胎児の視点」、ひいては「他者の視点」が議論の主軸になります。なお、ネタバレについては、内容の紹介はごく一部(河童の胎児のシーン)だけです。
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しろうと @sirouto

たとえば、言葉を喋れない赤ん坊のビデオに、「生んでくれてありがとう」などとナレーションを入れれば、それが親の幻想なのは、誰が見ても明らかだろう。しかし同時に、幻想だとしても安心感がある。

2019-06-24 00:49:44
しろうと @sirouto

あるいは、テレビ番組で動物が出てくるときに、ナレーションをつけたりする。猫がミルクを舐めて「美味しいニャー」みたいな。動物は言葉を喋れないので、これも当然、人間の幻想だ。が、やはり安心する。

2019-06-24 00:51:24
しろうと @sirouto

これだけなら、たんなるフィクションでの擬人化(河童もそうだ)、というだけのお話だが、貨幣がそうであるように、他者の視点をシステムに組み込むというのは、社会システムではよくある。

2019-06-24 00:52:50
しろうと @sirouto

たとえば、投票制も政治家だけでなく、選挙民の視点を政治システムに組み込んだものだろう。選挙とは、政治における市場であり、票は貨幣に相当する。だから、じっさいに金で票を買ったりするわけだ。

2019-06-24 00:54:22
しろうと @sirouto

なぜ、そういうシステムになっているのか。難解な話になるから、できる限り簡単に片付けるならたとえば、「物々交換や直接民主制は、コミュニケーションコストが高いから」、といった説明ができるだろう。

2019-06-24 00:56:15
しろうと @sirouto

ところで私は、アニメ『さらざんまい』放映をきっかけに、芥川の『河童』を紹介した。まあ、単独で難しい議論をしても、「意識が高い」とか嫌がられて、ぜんぜん読んでくれないから、というのはまずある。

2019-06-24 00:58:58
しろうと @sirouto

アニメ『さらざんまい』への、芥川の『河童』の影響についても、触れておこう。「河童とカワウソの戦争」「河童が蛙と言われると怒る」といったモチーフの影響は、前述の記事ですでに指摘しておいた。

2019-06-24 01:00:32
しろうと @sirouto

では、今回触れた胎児視点の話が、「さら」にどう反映されているだろうか? まず、「欲望搾取」のシーンで、カッパの王子であるケッピが、カズキたち少年を丸呑みする。これが、出産しているようにも見える。

2019-06-24 01:02:21
しろうと @sirouto

カッパが出産したから何だというのか? それはこうだと考える。人間が生まれ直すことは、物理的にできないが、「つながり」を(再)選択することは可能だ。たとえば、移住なんかがそうだろう。

2019-06-24 01:03:45
しろうと @sirouto

また、カズキが産みの親より、育ての親を選ぶ(ただし、相手の産みの親から、言外に拒否されているとも見える)シーンがある。そういうのが、「つながり」の(再)選択を表しているだろう。

2019-06-24 01:05:39
しろうと @sirouto

もちろん、「生みの親より育ての親」なんてことわざにもあるし、「大岡越前」の頃からある、物語の類型だ。ただ、今の話の延長で言えば、「僕は生まれ直したくありません」というようなメッセージにも読める。

2019-06-24 01:06:38
しろうと @sirouto

他にも「さら」に「つながり」を選ぶシーンは多い。カズキのサラなりすましや、エンタの自作自演なんかもそうだが、最終回まで持ち越したトオイとチカイ(に変身したカワウソ)なんかは、重大な選択だ。

2019-06-24 01:08:21
しろうと @sirouto

なぜ、平成から令和に変わった、今のタイミングで、「つながり」をテーマにするかといえば、それだけ今の時代で重要なキーワードだからだろう。

2019-06-24 01:09:18
しろうと @sirouto

なぜ今、「つながり」がキーワードかといえば、ひとつにはやはり、昔のつながり方が崩壊したからだろう。たとえば終身雇用は維持不可能だと、大企業の社長が宣言した。あるいは、未婚化が進んでいるとか。

2019-06-24 01:13:20
しろうと @sirouto

約99パーセントが結婚していたような昔の時代なら、そんな意識しなくても結婚できていたのだろうが、今は「つながり」を意識しなければ難しいかもしれない。

2019-06-24 01:14:25
しろうと @sirouto

あるいは、表面上は一見関係なさそうに見えるが、たとえば「ソシャゲ」がなぜ流行したかといえば、そこに「つながり」の要素があるからだ。ツイッターのようなSNSも、ソシャゲも「ソーシャル」要素があるだろう。

2019-06-24 01:15:34
しろうと @sirouto

はたまた、英語学習がブームだが、そもそも英語のような言語も、人間とつながるための仕組みだ。じっさい、海外への転勤や移住など、「つながる」社会が変わるときに、一番役立つ手段ではないか。

2019-06-24 01:18:24
しろうと @sirouto

また、(昨年ほどの勢いはないが)「仮想通貨」だって、なぜ実体がない概念的なモノを買うかといえば、何か社会問題が起きたときに、国家の通貨と仮想通貨と、どちらを信用するかという、つながりの問題だろう。

2019-06-24 01:21:53
しろうと @sirouto

この、英語学習や仮想通貨という例も、適当に持ってきたわけではない。「海外(移住)」「国際(為替)」といった、国より大きなレベルのつながり(の手段)の例だから、挙げたのだ。

2019-06-24 01:23:26
しろうと @sirouto

胎児は他者だが、外国人も他者である。「他者の視点」をどう獲得するか、という問題にとって、「外国」(自国のつながりの外に出る)というのは、ひとつの大きなヒントになる。

2019-06-24 01:24:48
しろうと @sirouto

お札にもなった国民的作家の夏目漱石。芥川はその弟子だった。そして、師匠の漱石も、『吾輩は猫である』で、擬人化の手法を使っている。『河童』も擬人化だろう。もちろん、『イソップ寓話』など大昔からあるが。

2019-06-24 01:26:36
しろうと @sirouto

なぜ、漱石は『猫』のようなユニークな作品を書けたのか。詳しい経緯は省くが、それは漱石がイギリスに留学したからだ。そこで漱石は、日本と海外の文化の違いに直面し、ノイローゼになるほど悩む。

2019-06-24 01:29:11
しろうと @sirouto

この漱石も、芥川も、東大の前身である「(東京)帝国大学」の英文科を卒業している。そしてもちろん、英語は外国とつながる手段である。漱石は英国に留学し、芥川は中国を訪問している。

2019-06-24 01:33:17
しろうと @sirouto

そして、「さらざんまい」の幾原監督も、文化庁の研修員として、アメリカのロサンゼルスに、派遣されていた経歴があるらしい。創作者の独自の表現には、海外経験が影響するのかもしれない。

2019-06-24 01:36:08
しろうと @sirouto

『さらざんまい』は浅草(合羽橋)付近を舞台にしているし、芥川も隅田川の近くで育っている。そこだけ見ると、ドメスティック(国内的)に見えるけれど、同時に国際的な視点も持っていると思う。

2019-06-24 01:40:27