現代の価値観を過去の事象に適用する考え方が傲慢だろうか?

反省ができない異常な集団心理
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うりぼーなたかぶー @365Takabu

@Pooh_advanced @WalthervonderV3 @darrakuma @MituzoJ @mgdagmpavmgd @TONTONMOMOTON @yamatoteitoku88 @__Koto__AI @saintarrow @mukaituru @k2Bo5rRSaaJaDk5 @hc34484945 @KaToshirooooow @xtxeNnqF 彼の現代の価値観を適用するという考え方が傲慢です。過去の価値観を現代の価値観で否定してしまうと、あの歴史学の先生の言う歴史から学ぶ事ではなく、歴史の否定にしかならないと思います。その当時の時代背景や文化等あらゆる価値観と現代の価値観を相対的に客観的にみないと学びはないと思う。

2019-09-28 22:40:58
うりぼーなたかぶー @365Takabu

@Pooh_advanced @saintarrow @MituzoJ @WalthervonderV3 @mgdagmpavmgd @mukaituru @yamatoteitoku88 @k2Bo5rRSaaJaDk5 @hc34484945 @KaToshirooooow @xtxeNnqF 歴史学者山田朗『歴史修正主義の克服』から引用 >>「歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう。歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう」 杉田君よく胸に刻め pic.twitter.com/zUsY2Y0C8L

2019-09-24 18:29:49
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「することもやめよう」 (よう:話し手の意志・決意の意を表す)
と言う事は行っている訳だ

やめる事は決まったのか?唯の提言か?何だ?

提言ではなく、現在の社会認識を出してください

>歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない

この学派で歴史を学ぶことは自由です。探求する事も自由です
しかし、この問題は「過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすること」に類する「過去の不正や不公平を批判したり責任を痛感すること」が行われている

ですから、

傲慢か傲慢でないかは個人的な感想による感情論に過ぎませんから誰も拘束されませんので

過去の不正や不公平の考察に現代の価値観で省みる事は制限されません

右翼君が張ったのはこのURL 
https://matuda.wiki.fc2.com/wiki/現在の価値観で過去を見るな 1

其処のテキストを表示します

◆「歴史相対主義」の便宜的利用

「歴史相対主義」の便宜的利用は、『国民の歴史』のところでも触れたが、『新しい歴史教科書』の歴史叙述の特徴にも密接に関連してくることなので、あらためて論じておこう。『新しい歴史教科書』には「歴史を学ぶとは」と題して、次のようにある。

歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった」

「歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう。歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう」

「過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった」というのは、当たり前のことである。その時代にはその時代特有の価値観があったことは確かである。だが、ここでこの教科書が言いたいのは、そこではなく、歴史を「今の時代の基準」あるいは「現在の道徳」で「裁く」ことはいけない、という部分であろう。過去には過去の価値観があるのだから、過去の出来事を現在の価値観から「裁く」ようなことはしてはならない、というのである。

「裁く」という言葉を使うと断罪するといったニュアンスを含んでいるのでもっともらしく聞こえるのだが、歴史学研究の立場から言えば、「過去の価値観」を「その時代特有」のものとして認識することと、現在の価値観を基準に歴史を認識したり叙述したりすることとは、何ら問題なく両立することである。そもそも、「過去の価値観」を「その時代特有」のものとして認識できるのは、現在の価値観を基準に比較検討するからである。「過去の価値観」を過去のものとして、その特徴やそれが形成されるにいたった諸要因を考察するのは歴史学の基本的な仕事の一つであるし、「裁く」といったことではなく、現在の価値観や社会的関心に基づいて、歴史上の人物を評価(発掘)したり、歴史的事件から何事かを学びとるといったことも、歴史学の重要な仕事である。歴史は、つねに歴史研究・叙述がなされるその時代の、つまり最新の価値観に基づいて書きかえられていくものなのである。そうでなければ、とうの昔に『決定版・日本歴史』ができあがっているはずだ。

ここで面白いのは

「裁く」という言葉を使うと断罪するといったニュアンスを含んでいるのでもっともらしく聞こえるのだが、歴史学研究の立場から言えば、「過去の価値観」を「その時代特有」のものとして認識することと、現在の価値観を基準に歴史を認識したり叙述したりすることとは、何ら問題なく両立することである。そもそも、「過去の価値観」を「その時代特有」のものとして認識できるのは、現在の価値観を基準に比較検討するからである。「過去の価値観」を過去のものとして、その特徴やそれが形成されるにいたった諸要因を考察するのは歴史学の基本的な仕事の一つであるし、「裁く」といったことではなく、現在の価値観や社会的関心に基づいて、歴史上の人物を評価(発掘)したり、歴史的事件から何事かを学びとる(A)といったことも、歴史学の重要な仕事である。歴史は、つねに歴史研究・叙述がなされるその時代の、つまり最新の価値観に基づいて書きかえられていくものなのである。そうでなければ、とうの昔に『決定版・日本歴史』ができあがっているはずだ。

も彼が画像に入れている事だろう。



現在の価値観や社会的関心に基づいて、歴史的事件から何事かを学びとるといったことも、歴史学の重要な仕事である(A)

この「過去を省みる」が右翼の主張に欠落している

蛇足ですが、この「現在の価値観や社会的関心に基づいて」は「その時の感情でいつでも過去を改ざん」ではありません

「現在の価値観で過去を見るな」が如何にバカげた話であるかが書かれている

右翼君によくみられるのだが、読みたいことだけ読む傾向が強い

この「歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう。歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう」学派で歴史を学ぶことは自由です。探求する事も自由です。
これは学問の自由ですから私は否定しません。勝手にどうぞ。

しかし

「過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすること」「歴史的事件から何事かを学びとる」も欠かせない大事な事です

常に反省や学びは必要ですので「傲慢」の感情論で排除する事ではない




本体

まとめ 戦地で自由廃業は行われていたのだろうか? 廃業と自由廃業の違いを理解していない人が多いと思う 帝国政府の主張は自由な廃業が法規と執行の実行性により担保されるから、前借の債務と売春業は別物で前借契約は人身売買ではない 自由廃業の記録は何処に有るのでしょうか? 現時点の結論は「安倍総理は正しい!」 1329 pv 2