歴史系私論・目内沢田氏の存在について

南部八戸氏の近世史料に名前が出ており、戦国末期の津軽と南部の戦いにおいて大きな役割を担った目内沢田氏についての連ツイと思考メモです。
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帆船ハッカ @kotosakikotoko

15世紀初期に、糠部南部氏は岩手郡までその所領としていて、15世紀後半から末期にかけて撤退しているわけだけど、八戸南部氏的には津軽・田名部の所領維持に注力して仙北岩手は捨てたーーみたいな見通しは出来るかしら?

2019-10-10 21:51:24
帆船ハッカ @kotosakikotoko

土地を名字にしている以上、彼らは馬場政親が扶植して別家が広がる程度にはいたはずだけど、それ以降は分からない。あえて浪岡北畠の史料と整合を取るなら、浪岡北畠の被官として生きていた可能性もあるけど、浪岡の家臣団にその名はない。他の史料でも、退転したとも土地に留まったとも書かれてない。

2019-11-10 23:40:40
帆船ハッカ @kotosakikotoko

中世の津軽目内沢田や飛内が(津軽郡中名字の写本のひとつが言うように)浪岡北畠氏の所領であるとして、ならば近世まで確実に八戸家中にいた馬場氏や目内沢田(目内沢)氏や飛内氏などの一族の存在はどう語るべきなのかなぁとかダラダラ。

2019-11-10 23:29:53
帆船ハッカ @kotosakikotoko

飛内や目内沢田を位置不明の『根城南部氏の津軽領』の一角、もしくは中核と考えると物凄く自然なんだけど、そこまで言うにはまだ証拠が足りない。

2019-11-10 23:46:07