「ルソー・デューイ問題」、「子供が学校で本を読んでいると先生から外で遊べと言われる理由」……など、学校教員育成の場で使われているらしいテキストを読んだ感想

本を読んでいて個人的に気になったことをまとめていきました。
教育 学問 学校 勉強
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三塚ハル @mtkharu3
有斐閣アルマ、やさしい教育原理第三版2016年発行(第一版は1997年発行)を読んだので「感想・思ったこと」を投下していきます。基本的に辛辣な内容になります。
三塚ハル @mtkharu3
まず「人間の生物としての特徴」の話があるのですが、著者は(現代の)進化論の内容を全く理解しておらず、優生学を喧伝した人たちと五十歩百歩になっている。2016年発行で中立進化すら理解してないのがバレバレで進化を語るのはまずいですよ。
三塚ハル @mtkharu3
次にツッコんだのは「近代学校制度」が話の主題とは言え、いきなり何の断りもなくヨーロッパのルネッサンスから話を始めたことですね。一般・大学生向けの本でイスラーム文明に触れずにいきなりルネサンスが天から降ってきたような書き方もまずいでしょ。誰か指摘しなかったんですか?
三塚ハル @mtkharu3
「近代学校教育」を論じるにはヨーロッパ中心になってしまうのは仕方ないのですが、受験制度を批判するというスタンスを取るのであれば(日本にどの程度影響したかは諸説あるが)中国の科挙制は一言触れておくべきだったのではないですか?
三塚ハル @mtkharu3
それから、繰り返しになりますが、21世紀現代日本においても、主要な教育思想家はルソーとデューイらしい。
三塚ハル @mtkharu3
でも主要な教育思想家を「ルソーとデューイ」にしてしまうと、フーコーが一番最初に思い浮かびますが、ポストモダン思想について全く触れることが不可能になって現代の教育にアプローチする道具を失うと思うんですが教育(学)関係者は一体どう考えているのか気になります。
三塚ハル @mtkharu3
ICTの問題など、時代の変化に伴う自然科学の進歩によって誕生した、19世紀的価値観で対処不可能な教育問題、及びそのような問題に「頭ごなしに否定する」以外の対処ができない日本の教育の問題を #ルソー・デューイ問題 と呼ぶことを勧めていきたい。
三塚ハル @mtkharu3
後半に「1960年代の学校紛争」と「1970年代の校内暴力」 を同列に扱っている個所がありましたが、この二つが同次元に見えるのはたぶん学校教育関係者だけで、哲学的社会学的には全く異なるレベルの問題だと思うんですけど、これも「ポストモダン」を解さないが故の問題ですね。
三塚ハル @mtkharu3
1960年代の学校紛争は「社会主義・共産主義」というオルタナティブな「大きな物語」の産物である一方、1970年代以降の校内暴力・いじめ・不登校問題は「ポストモダンによる多極化・小さな物語の乱立」というのがお決まりの解釈だと思うのですが如何に?
三塚ハル @mtkharu3
1970年代になると「高度経済成長によって物質的にみんなが豊かになり「なんのために生きるのか」という問題に一般大衆が向き合う羽目になった」結果の問題だと認識してもらってもよいでしょう。
三塚ハル @mtkharu3
#ルソー・デューイ問題 の厄介な問題は「ルソーを肯定する」と「文明化される以前の原始社会を肯定する」ことがセットでついてくることじゃないですかね。
三塚ハル @mtkharu3
この本だと「学校教育を通して、近代化都市化産業化によって失われた共同体としてのまとまりを取り戻す」という論が展開されている個所が複数あるのですが、これ「文明化される前が理想社会だった」っていうルソーの思想の現出ととらえるのが自然ではないかと思います。
三塚ハル @mtkharu3
ただ、「文明化される以前の社会」を肯定すると、「人権思想」を擁護するの滅茶苦茶面倒になりませんか?大丈夫?という疑念がわいてきます。「子どもの権利条約」とか散々取り上げているし著者たちはどういう認識なんでしょうか?
三塚ハル @mtkharu3
後「前近代・文明化される以前の社会」を理想化するのは勝手ですが、物質的に貧しい社会がどんな世の中か分かってます?大丈夫?貧しかったら教育はできないよ?というツッコミが脳から離れなかったのも事実(「貧しいと教育できない」は一応認めていましたが。
三塚ハル @mtkharu3
受験制度を批判するのは結構なのですが、非常に世俗的な(ニュースなどで大して検証もされず垂れ流されている記事と同次元の意味)内容に留まっていて驚きました。「教育に世俗的な批判をするな」という声は多いですが教育側が世俗と同次元の主張しかできなかったら何の意味もないのでは?
三塚ハル @mtkharu3
日本における受験競争の激化は「学費の安価な大学を造らず、学生の負担する授業料によって経営される大学が増備されてきた」歴史を持ち出せば終わる話なのに、そこを持ち出さずに「受験競争の激化がー」と言っても何にもならないと私は思うんですよ。
三塚ハル @mtkharu3
後「能力で与える教育を別にするのはよくないって子供の権利条約にも書いてある」「だから無試験で入学させて教育を受けさせるべき」という議論が目立つのですが、数学とか前の学年の内容を理解していないとついていけないですよね?という視点はありませんでした。
三塚ハル @mtkharu3
というか「算数数学・理科(後英語もか?)」の教科教育をどうしたらいいのか、という視点が全く欠如していて驚くほかない。というか「全く欠如しているからこういうことが主張できちゃうんだな」と納得するばかり、やはり算数数学の学力以外の学力は信用できない(暴論
三塚ハル @mtkharu3
デューイあたりにルーツがあるようなのですが、教育の内容は「子供の日常生活に基づいた、身近な経験に題材を求めるべき」という意見が「系統的に内容を教えるべき」という意見より強いようです。
三塚ハル @mtkharu3
で、授業や実践事例として国語や社会、道徳図工体育音楽などが挙げられており、それはまあ、分かる。そういう「身近な事例」から「一般的な事例」に拡張していける内容になってるし、それで十分「勉強」になる。
三塚ハル @mtkharu3
ところがですねー「内容を系統的に理解させるより、子供の身近な経験から学ぶ内容を選ぶべきである」という発想とは算数数学と理科が極めて相性が悪い、という当然の疑問は放置されてましたねー。
三塚ハル @mtkharu3
「子供の身近な経験」に頼っていたら「運動の三法則」や「ベクトル」「デテキントの切断」なんていつ気が付くんですか?という疑問は当然スルーされてましたね。
三塚ハル @mtkharu3
そこまで高度な内容にしなくても「ユークリッド幾何」も多分「子供の身近な日常体験」からは出てこないと思うんですが如何?
三塚ハル @mtkharu3
部活動もそうなんですけど、そこまで系統的な教科教育をやるのが嫌だとお思いなのであれば、もう授業の時間を一日4時間(午前中いっぱい)まで削減して後は学校行事とかで埋め尽くせばいいのでは?と私は思うんですよね。
三塚ハル @mtkharu3
で、なんでこんなに算数数学・理科教育と相性の悪い主張が大きくクローズアップされるのか、という疑問には終盤で答えが書いてありました。
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コメント

松浦 景 @kurakacacique 2020年2月17日
報告ありがとうございます。ポストモダンをわたしは特に信じていません。 その点を除くと、「教育学の本・講義あるある」ですね。わたしが教育の本を読んだりミーティングやシンポジウムに通いまくっていた頃から基本的に変わっていない。 一口で言えば偏向、低水準。現代的じゃない。熱心な力作、子どもが好き、教育は大事、前向きな善意はある。 しかし、今の子ども達に時代錯誤、世代錯誤じゃないか。 一般読者の水準を低く見積もりすぎている。 ルソーやデューイといった源流を訪ねるのはいいが、無批判、無修正、無理解に使う。
松浦 景 @kurakacacique 2020年2月17日
またこのジャンルは、左翼がかった文化系至上主義も問題。 上記の特徴は、わたしが10代だった80年代頃から全く変わらない。 ポストモダンの語を私は使わないけれど、フーコーじゃなくても、例えばイリイチ、ライマー、山本哲士らの脱学校論、ボードロとエスタブレ、ブルデューとパスロン、ボウルズとギンティスといった再生産論、アナール派的な子ども・若者の文化史・社会史の進展(ドイツの子どもの日記からくるアリエス批判含む)も入れるべきですね。 近代、子ども、学校の見直し。 台湾映画「セデック・バレ」
松浦 景 @kurakacacique 2020年2月17日
実践面では、フリースクール、ホームスクール、チャータースクール、各地・各時代の子どもの村的なコミュニティ活動。その源流としての、ニール、モンテッソーリ、シュタイナー、クリシュナムルティ。 北欧の旅の学校。(世界を旅して、それをレポートにしたりプレゼンしたりする)。 東京のパルクのやっている活動家の学校。(市民活動に必要なスキルを伝授)。 旧第三世界のsocial work敵ストリート教育。 フレイレや国連の成人向け識字教育。 フランスのアウトスクール。 それらが取り上げられていない。
松浦 景 @kurakacacique 2020年2月17日
kurakacacique 「セデック・バレ」は、あれは脱学校論、国家のイデオロギー装置論、伝道主義と帝国主義批判、富者がかならず貧者を、進歩したものが遅れたものを救わないといけない強迫観念批判、過剰で不適切な専門化批判、再生産論、近代国家の押しつける教育から自由な前近代の自律的学び論(寺子屋、民間で発達した国学、中世の徒弟修業や半ば大道芸人風ヒッピー流の旅の学生)を押さえていると分かりやすいんです。 セデックの大人達が、大日本帝国のイデオロギー装置としての学校・警察・軍隊を見抜き、自分たちを助ける
松浦 景 @kurakacacique 2020年2月17日
kurakacacique と称して最下層に組み込む再生産力を見抜いて、ヴァナキュラーな文化の力を基盤に産業的、帝国的、伝道的なものに対抗軸を形成していく様は見事です。 最終的には戦術で勝って戦略で負けるのですが、最後の最後まで闘う姿勢は、掛け声だらけ、矛盾だらけのイデオロギーに終わった全共闘くらいの「世代」には反省してもらいたいものです。
まりも @potimarimo 2020年2月17日
元の本がどうなのかは置いておくとして、このツイートについては、じゃあお前が書け、という話ですねえ。元の本の書きたいことを無視してこれが必要とか言いだすなら、いくらでもいえるのは当たり前であって。
ななよ(七代) @nana4_japan 2020年2月17日
どのメディア(出版もメディア)の質の低下が激しく悲しいですね。 個人の主張は破綻してても問題はないのですが、それをメディアが判断出来ずに流布する。 そして、上辺だけを攫って理解したと誤解する読者が増大する。
tibigame @tibigame 2020年2月17日
現代日本的には子供が外で自由に遊べる空間なんて学校内ぐらいなんだからという解釈ができますね
電子馬🅴 @Erechorse 2020年2月17日
いわゆる「批評」に対して「じゃあお前が書け」ってあんまりな批判じゃないの?
Ishida Brain Dam'd @tbs_i 2020年2月17日
教員採用試験の問題の内容が古くさいということは言われているので、(隣接分野の人が学説史の問題だと勘違いしたと言う話がある)、教育学全体としてそうなんだろうね。
名無しさん@お腹いっぱい @vicy 2020年2月17日
potimarimo 飯くった感想に対して、「じゃあお前が作れ」って言う奴は、普通に叩かれるのに、 それが本になると、いいねつけるやつがいんのか。
cinefuk 🌀 @cinefuk 2020年2月17日
学校教育に於いて「多様性」というものが理解できない人が指導しているのでは?と思うことがある。『休み時間に本を読んでいると、外で遊べと教員に追い立てられた』学校を軍事教練として捉えるなら、画一的な訓練が必要なのは理解できるが、現代社会は(建前上)そうなっていない筈
三塚ハル @mtkharu3 2020年2月17日
vicy Erechorse    potimarimo 氏は「小学校の授業では掛算に順序が有る」という無謀な主張をして私にドチャクソに批判された憂さを晴らしたいだけでしょ。
まりも @potimarimo 2020年2月17日
vicy いやまあ、あまりいいねがつく類のコメントだとは私も思ってなかったのですが。
まりも @potimarimo 2020年2月17日
Erechorse 批評だったら何書いても許されるというものでもあるまい?誰がどうやっても、その批判から逃れられない批判をした場合、じゃあお前がやってみろ、と反論されます。なぜなら、もし自分が同じように批判されたらどう対処すればいいか、と少しでも想像してみれば、その批判が無意味であることが分かるからです。これからはそういう目線で「お前がやってみろ」を見てみると新しい発見があるかもしれません。
まりも @potimarimo 2020年2月17日
mtkharu3 人は、自分だったらどう思うか、を基準に相手の気持ちを予測するものですが。なるほど。そういうことでしたか。語るに落ちましたね。
三塚ハル @mtkharu3 2020年2月21日
tbs_i 別の2010年代出版の教育学部の先生の書いた心理の本は、何のためらいもなくフロイトとエリクソンを紹介していて頭を抱えましたねー。周りに誰か止める人間はいなかったのか!と思いましたよ。
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