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「中世オーストリア文学は存在するのか?」という質問に答えてみました

「中世オーストリア文学ってあるんですかね?」と質問されたので、「中世オーストリア」「オーストリア文学」の定義を踏まえつつ、「中世オーストリア文学」がどんなものであったか、だれがどんなところで「中世オーストリア文学」を楽しんでいたかなどをまとめました。
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Hyoro@ウィーン @hyoroWien

そのリチャード王が囚われてたのが、オーストリアのヴァッハウ渓谷のデュルンシュタイン。伝説によれば、どの城に囚われているか不明だったため、吟遊詩人ブロンデルが、王と彼だけが知る歌を歌って城を渡り歩き、場所を特定したとか。ヴァッハウ渓谷には、リチャード王とブロンデルの像もある。

2015-06-25 05:06:57
Hyoro@ウィーン @hyoroWien

吟遊詩人ブロンデルのおかげで、オーストリアで発見されたリチャード獅子心王は、ロビンフッドの集めたお金で開放された、というのが、二つの伝説の接点。史実は微妙に異なるが、なんかワクワクする昔話。シャーウッドの森とノッティンガム城もよく行ったし、デュルンシュタイン城跡も知らずに登った。

2015-06-25 05:10:54
Hyoro@ウィーン @hyoroWien

リチャード獅子心王が支払った多額の身代金の使い道についてはこちら。twitter.com/hyoroWien/stat…

2020-02-05 06:19:04
Hyoro@ウィーン @hyoroWien

それが、ロビンフッドが集めたリチャード獅子心王(デュルンシュタインに幽閉されてた)の身代金で、今のリンクの位置に新市壁が作られた。旧市壁は取り壊し、シュテファン大聖堂は壁の中の町の中心になった。これを立体で見るとピンとくる!

2017-09-16 21:28:17
Hyoro@ウィーン @hyoroWien

こうして見つかったリチャード獅子心王は、多額の身代金を支払い、解放されます。リチャード獅子心王が捕まったのは、1192年のこと。twitter.com/hyoroWien/stat…

2020-02-05 06:13:57
Hyoro@ウィーン @hyoroWien

それが、ロビンフッドが集めたリチャード獅子心王(デュルンシュタインに幽閉されてた)の身代金で、今のリンクの位置に新市壁が作られた。旧市壁は取り壊し、シュテファン大聖堂は壁の中の町の中心になった。これを立体で見るとピンとくる!

2017-09-16 21:28:17
Hyoro@ウィーン @hyoroWien

リチャード獅子心王が幽閉されていたとされる、デュルンシュタインの古城の廃墟。 pic.twitter.com/8FgiceDELI

2020-02-05 06:19:05
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Hyoro@ウィーン @hyoroWien

この古城に登るコースには、同時代人大集合のこんな休憩所があり、家族みんなで歴史のお勉強ができます。イギリスからエルサレムやで、中世欧州史の中にいるって感じがする!twitter.com/hyoroWien/stat…

2020-02-05 06:40:23
Hyoro@ウィーン @hyoroWien

私がデュルンシュタインでめちゃくちゃ気に入ったのがこちら。ロビンフッド大好きな息子に、リチャード王やジョン王から、十字軍やレオポルト5世、センガーブロンデルの話を散々した後でのこのモニュメント!キャラごとに椅子になってて、子供たちは好きなキャラのところに座って写真撮ったw pic.twitter.com/3oAefg3Be0

2018-08-19 06:36:29
Hyoro@ウィーン @hyoroWien

こちらが、ヴァッハウ渓谷にある、リチャード獅子心王とセンガーブロンデルの像(写真はPC奥深くにあるので、これは拾い画)。私の記念碑&現地調査趣味の原点になった像です。 pic.twitter.com/kMYjKvHcVf

2020-02-05 06:40:24
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Hyoro@ウィーン @hyoroWien

私がデュルンシュタインでめちゃくちゃ気に入ったのがこちら。ロビンフッド大好きな息子に、リチャード王やジョン王から、十字軍やレオポルト5世、センガーブロンデルの話を散々した後でのこのモニュメント!キャラごとに椅子になってて、子供たちは好きなキャラのところに座って写真撮ったw pic.twitter.com/3oAefg3Be0

2018-08-19 06:36:29
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Hyoro@ウィーン @hyoroWien

センガーブロンデルの話自体は伝説だけど、ドナウ流域を、楽器片手に城から城を回る吟遊詩人は、身分を隠して城に入りやすかった。さらに、幽閉された本人と吟遊詩人しか知らない歌で人探しするのは、まさにミンネサングや吟遊詩人の時代ならでは。「中世オーストリア文学」あるあるな出来事なのかも。

2020-02-05 06:40:25
Hyoro@ウィーン @hyoroWien

やっと「中世オーストリア文学」のツイートが終わり、やっと別の事が書けると思いきや、「これも書いておかなきゃ!」って話が出てきて、まだ頭は中世w 十字軍や騎士と文学って、相容れないようでいて、不思議と相性がいいみたい。金持ちインテリ騎士は、吟遊詩人やミンネ遊びに興じたんだろうなw

2020-02-04 17:17:30
Hyoro@ウィーン @hyoroWien

十字軍の頃の「中世オーストリア文学」について調べてると、吟遊詩人やミンネセンガーや騎士や領主や平民や専任詩人やスター詩人や旅する公務員(雇われ騎士。侍的な?)や主君を探す流浪の騎士(浪人的な?)が、恋愛やミンネ(騎士のプラトニックな愛)や性愛や歴史や政治批判や社会風刺を歌ってる。

2020-02-04 18:17:03
Hyoro@ウィーン @hyoroWien

誰が何歌ってるのか種類が多くて混乱するけど、まあ、誰も彼も和歌読んでカッコつけてた日本とそう変わらないと思えば、いちいち定義にこだわる必要もないと思う。かっこよくて面白い韻文や歌をひねり出せた人は、どんな身分でも人気になり、その場を盛り上げられた。

2020-02-04 18:17:03
Hyoro@ウィーン @hyoroWien

騎士は韻文で女性の心を射止めようとするし、流浪の吟遊詩人は城に招かれて歌を披露するし、上手い詩人は宮廷お抱えになったりする。すでに定職があっても、詩を書いたり歌を歌うのが趣味で、趣味が高じて後世に名が残る人もある。「歌を作って披露すること」自体が流行りの時代。

2020-02-04 18:17:04
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