戦国期会津蘆名家における偏諱と家格

まとめました。
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三浦介 @miurano_suke

そして蘆名家では盛舜の代あたりから諱に「盛」の字を用いることをかなり制限しているのに気付く。盛氏の代には「盛」の字を許されているのは金上、針生両家くらいしか見当たらない。

2020-01-20 23:27:09
三浦介 @miurano_suke

平田盛範や富田盛実なんかの「盛」の字が蘆名家当主からの偏諱なのかは不明だが、盛滋や盛舜の頃からは所謂四天宿老家であっても下の字しか偏諱を受けられなくなったみたいだ(ex.富田滋実、平田舜範など)。

2020-01-20 23:31:46
三浦介 @miurano_suke

これは蘆名家当主が家臣から隔絶地位を得た、あるいはそれを目指したということなのだろうな。 そしてそんな中でも「盛」の字使用を許された金上、針生の両家(金上盛満や針生盛信)は、やはり蘆名家中では特別な家格を持っていたのだろう。

2020-01-20 23:34:46
三浦介 @miurano_suke

そういえばもう一つ。蘆名家臣では天正10年頃の遠藤基信宛の書状が残る中目(なかのめ)盛常という人物が居る。確か中目氏は蘆名家の一族と伝わってるが、天正年間に「盛」の字を用いているというのはそのことと、中目家の家格の高さの傍証と言えるかも? twitter.com/miurano_suke/s…

2020-01-28 11:55:41

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