江戸時代。町人文化の花開いた天下泰平の世の中で、庶民はどんな食生活を送っていたのか? 江戸時代の食事事情についてまとめてみました。 #江戸時代 #和の文化 #和食 #日本の風習 nipponbiyori.com/edo-meal/
2019-09-23 14:21:06主食の起源
佐藤洋一郎(2020)『米の日本史』(中公新書)は、素晴らしい書でした。 新書らしく入門者にも読みやすい文章でありながら、学術知見の紹介の際に、参考文献(書籍・論文)を1対1対応で逐一しっかり載せるスタイル。 学んだ内容を少し書き出します。 pic.twitter.com/VRYLEPbbW4
2020-07-25 14:26:59佐藤洋一郎(2020)『米の日本史』からの学び① 田植えは少なくとも古墳時代に遡れる。群馬県渋川市の黒井峯遺跡の短冊状構造は、プラントオパール分析により陸苗代であった可能性あり。 能登健(2000)「古墳時代の農業」(『講座日本の考古学8古墳時代下』(東京堂書店))
2020-07-25 14:31:21佐藤洋一郎(2020)『米の日本史』からの学び② 荘園時代には、耕田の地力低下による休耕・不耕地が発生していた可能性あり。荘園絵図における「野」がこれにあたるとの指摘。 宇野隆夫(2001)『荘園の考古学』(青木書店)
2020-07-25 14:36:14佐藤洋一郎(2020)『米の日本史』からの学び③ 日本における二毛作の始まりは武士の時代から。 麦の収穫が、米の端境期にあたる初夏の食糧不足に対応できることがメリット。 磯貝富士男(2002)『中世の農業と気候 -水田二毛作の展開』(吉川弘文館)
2020-07-25 14:40:42佐藤洋一郎(2020)『米の日本史』からの学び④ 二毛作の課題は、肥料と稲の夏作の遅れ。 麦は肥料を食う作物であり、二毛作が行われた背景には動物質由来の肥料の利用開始があったことが窺われる。 (佐藤先生ご自身の整理)
2020-07-25 14:43:20佐藤洋一郎(2020)『米の日本史』からの学び⑤ 二毛作で課題となる稲の夏作の遅れ(=麦収穫まで播種できない)を解決したのが、苗代の活用。苗代によって麦収穫前に稲の播種を済ませることで、稲夏作の遅れを防ぐことができた。 (佐藤先生ご自身の整理)
2020-07-25 14:46:55佐藤洋一郎(2020)『米の日本史』からの学び⑥ 弥生期の稲はジャポニカ。日本にインディカが入ったのは九~十世紀。「東寺百合文書」に「大唐米」が登場。 盛永俊太郎編(1969)『稲の日本史 上』(筑摩叢書) DNA解析からインディカであった可能性が高い。
2020-07-25 14:51:11佐藤洋一郎(2020)『米の日本史』からの学び⑦ 大唐米は、従来の想定以上に西日本で普及。江戸期に大阪市場に送られた肥前蔵米の二割が長粒米であった。 嵐嘉一(1967)「西日本ー特に九州ーにおける近世代の長粒品種の栽培事情並びに品種改良に関する研究」(『農業』985:14)
2020-07-25 14:58:01佐藤洋一郎(2020)『米の日本史』からの学び⑧ インディカである大唐米は800年近くにわたって日本人の胃袋を支えた。受容したのは地方の貧しい人々であり、地域的には西日本が中心であった。 (佐藤先生自身の整理)
2020-07-25 15:02:03佐藤洋一郎(2020)『米の日本史』からの学び⑨ 大唐米は早生の品種が多かった。戦国時代の「刈田」(敵に田畑からの略奪)への対抗として大唐米が使われた可能性がある。 (佐藤先生自身の整理)
2020-07-25 15:04:52佐藤洋一郎(2020)『米の日本史』からの学び⑩ 「すし」は、米がとれる土地で、水田で獲れる淡水魚を合わせた発酵食品。水田に生息する魚種は決まっており、水田システムの固有種と言える。 それゆえ、すしは日本固有の食品ではなく、水田技法とともに外からもたらされた。 (佐藤先生自身の整理)
2020-07-25 15:10:35佐藤洋一郎(2020)『米の日本史』からの学び⑪ 稲は水生植物なので水に強そうに思えるが、案外そうでもない。今日米どころの水郷地帯は、かつては「多すぎる水」に苦しんだ地域でもあった。 (佐藤先生自身の整理)
2020-07-25 15:14:39坪刈帳が語る江戸から平成までの米作りの歩み(1) agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010601755
2020-07-25 22:46:28目次あり。「古来「大唐米」などの赤米は庶民の生活米として重宝されたが、食味が劣るため白米に圧倒される。赤米の盛衰を歴史的に位置づける。」 ⇒福嶋紀子『赤米のたどった道 もうひとつの日本のコメ』吉川弘文館 yoshikawa-k.co.jp/book/b219811.h…
2016-03-03 23:38:33「米は白い―。これは今では常識だが、古来日本では…赤米が、生活米として重宝された。水田不適な土地でも耕作できるなど、新田開発を側面から支えた庶民の赤米は、食味が劣るため、白米の普及とともに生産が減少していく。今日のブランド米の特殊性にも触れ、赤米の盛衰を歴史的に位置づける。」
2016-03-03 23:39:05