科学と哲学のあいだ
@tashirotakahiro ドーキンスの利己的な遺伝子ですね。あれは「利己的行動から利他的結果が派生する」ことをまず押さえてないと勘違いしてしまいますね。
2011-07-06 09:42:45@tashirotakahiro ミームはむしろ、生物学的遺伝子だけで人間の気質を捉えようとする風潮に対抗する概念だと思っています。
2011-07-06 09:47:39キャッチーな分齟齬が生まれがちですよね。岡田斗司夫さんの功罪は大きい!w一方の盲目の時計職人は分子生物学者の福岡伸一先生ですら勘違いしてしまった。 RT @ceno_sougou ミームはむしろ、生物学的遺伝子だけで人間の気質を捉えようとする風潮に対抗する概念だと思っています。
2011-07-06 09:49:35@tashirotakahiro ミームのお陰で、宗教を神聖視せずに科学的に分析できるようになったのは人類にとって大きな進歩だと思います。
2011-07-06 09:51:11@tashirotakahiro なにしろ「精神」とか「神」とか「人間」とか「個人」とかを物質界よりも上位として考える世界観が通用しなくなったわけですからね。形而上学はズタボロですよ。
2011-07-06 09:59:43近代から現代への移行は、思想史的には形而上学の崩壊といえる。原因は大きく分けて2つ。1つは物質世界のような単純な世界から人間や精神のような複雑なモノが誕生するモデルを提示したダーウィニズム。もう1つが限界に行きついてしまった論理学と、その追い討ちとしての現代数学やポスト構造主義。
2011-07-06 10:06:42中学生の頃『ソフィーの世界』の後ろの方にダーウィンがいて「ええ?」って違和感があったけど、ダーウィニズムは哲学史・・・いや人類史にとんでもないパラダイム転換をさせてしまった。
2011-07-06 10:14:43さらに追い討ちとして、物理学において、哲学的理解が追い付かない現象が続々と発見されたのも大きいかな。 一言で言うと、空論は現実に負けた。現実を元に理論を構築する科学のみ(「のみ」というとやや言い過ぎかも?)が、学問として生き残った。
2011-07-06 10:10:13しかし、人間はそれでも絶対的真理への憧れを捨てきれなかった。結果、現実よりも自分達の理論を信じるという、科学においてはやってはいけないことをしてしまう科学者が現れた。後の疑似科学である。
2011-07-06 10:14:53形而上学って、一言で言えば絶対的真理の探求なんだよね。 でも、近代の終わりごろに、絶対的真理の証明は論理的に不可能であることが論理的に証明されてしまった。
2011-07-06 10:21:12まあ、かいつまんでいえば、証明は簡単で、仮に絶対的と思われる真理を発見できたとしても、それが本当に絶対的真理であるかどうかについては絶対的な証明ができない。 「俺は正気だ!」という主張と同じで、外部からしか判定できないんだ。その外部が正気であることは、どうやって証明するんだい?
2011-07-06 10:25:17