【電信 19世紀のグローバル情報ネットワーク】

1840年代に実用化された電信は、瞬く間に欧米諸国に普及しました。19世紀後半には大陸間を連結する海底ケーブルも建設され、電信網は世界を覆います。 この結果、社会や経済、軍事の在り方は大きく変容。人類史上初の近代的情報革命が生起したのです。
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HIROKI HONJO @sdkfz01

同じく1852年、プロイセンは2,300キロ、オーストリアは1,600キロ、腕木通信からの転換が遅れたフランスは1,100キロの電信線を有していました。 画像は1856年の電信網敷設状況。欧州で急速な電信の普及が進んだことが分かります。 pic.twitter.com/yaOIiFZKyr

2020-12-12 17:32:44
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この画像は1860年。更に稠密なネットワークが短期間で形成されていますね。 pic.twitter.com/GF0NGjYB1L

2020-12-12 17:33:44
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一方、広大な国土を有する米国は1852年の時点で総延長37,000キロという桁違いの電信網を有していました。画像は1853年のもの。DLして拡大すると良く見えます。 pic.twitter.com/OT41a2LDVX

2020-12-12 17:34:42
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1861年には西海岸と東海岸を結ぶ初の大陸横断通信線が開設されました。ここに、従来の馬による駅伝郵便(ポニー・エクスプレス)では10日かかっていた中部-西部間の連絡は一瞬に短縮され、駅伝は廃業に追い込まれました。 画像は駅伝郵便の騎手と建設中の電信線。 pic.twitter.com/GVkcqnOaRE

2020-12-12 17:35:46
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HIROKI HONJO @sdkfz01

大西洋の両岸で、電信網は日々成長し、遣り取りされる情報量も爆発的に拡大していましたが、人々の理解はまだ追い付いていなかったようです。 ある米国人は電信線を綱渡りの一種だと思っており、手紙を詰めた袋を携えた配達人がその上を歩いていくのを見ようと見守っていました。 pic.twitter.com/Vl3ya2bfZ5

2020-12-12 17:36:49
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また、ある電信局を訪れた男性は、メッセージが書かれた用紙を差し出し、すぐ送ってほしいと頼みました。電信員が送信を終え、その用紙を「送信済み」のフックに刺しておいたところ、男性は早く送れと怒り出しました。「私が記入した用紙はずっとそこにぶら下がったままじゃないか!」 pic.twitter.com/n1oMqEDZxS

2020-12-12 17:38:07
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西方政府軍兵士@ノクターンノベルズ&ノベルアッププラス @Lkpi8dEIKmF7bi1

@sdkfz01 海底ケーブルは一時期イギリスが運営を独占状態で、フランス等に情報伝達遅れさせたりしていたらしいですね。日清戦争がフランスに伝わったの、5日も遅れたとか

2020-12-12 18:55:30
HIROKI HONJO @sdkfz01

@Lkpi8dEIKmF7bi1 仰る通りです。日清戦争では、日本と英国は情報協定を結び、英国は日本が必要な情報を迅速に提供し、日本の勝利を大々的に世界へ伝えていたそうです。 日英同盟の淵源は、このあたりにあるのかも知れませんね。

2020-12-12 19:25:52
HIROKI HONJO @sdkfz01

またある女性は「用紙に書き込んだ字が汚くて送り先に失礼だから、書き直さないと」と言い出し、別の女性は息子からの電報を疑いの目で見ました。「私はあの子の筆跡を良く知っているが、これは全然別物じゃないか!」 pic.twitter.com/t2xbhBpblk

2020-12-12 17:39:08
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繰り返しになりますが、当時の人々にとって、「通信」とは自分の手で書いた手紙を物理的に相手に送ることであって、ケーブルを介し電気信号をやり取りする電信の原理は理解し難いものだったのでしょう。 pic.twitter.com/ll4WBkLMjK

2020-12-12 17:40:20
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こうして愉快なエピソードが次々産み出されている間に、欧州の電信網は新しい段階に入っていました。それは国内だけでなく、国家間を結ぶものとなったのです。1850年にはドイツ諸国とオーストリア、オランダが接続され、翌年にはベルリンとパリを結ぶ直通回線が完成。 pic.twitter.com/L61bCZSckC

2020-12-12 17:42:20
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同じく1851年には、ドーバー海峡に初の海底ケーブルが敷設され、英国と欧州大陸のネットワークが相互に結合されました。これにより外国の出来事が数時間以内に伝えられるようになりました。今や電信は外交、金融、貿易、報道に欠かせないインフラとなったのです。 (画像は英仏間の回線開通の瞬間) pic.twitter.com/9bfhOanMpU

2020-12-12 17:43:23
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この画像は英仏間に海底ケーブルを敷設している様子です。 pic.twitter.com/4jCYg27ZLv

2020-12-12 17:44:28
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国際電信の実現は、欧州に奇妙な楽観主義をもたらしました。国家や民族同士の相互理解が進み、平和がもたらされるというのです。 「我々は一つだ!と国々は叫び、手に手を取り、その手の間を電気のスリルが伝わった」 (モールスに捧げられた詩より)

2020-12-12 17:45:22
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これはドーバー海峡に敷設されたケーブルのイラストです。海底には幾世紀にもわたる英仏抗争の生々しい痕跡-人骨や砲弾、軍艦の残骸-が散乱しています。その間を通るのは両国を結ぶ太い電信ケーブル。平和を象徴する天使が舞い降り、祝福しています。 pic.twitter.com/jYPV24NSMw

2020-12-12 17:46:28
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皮肉なことに、電信は平和ではなく戦争において、その真価をいち早く発揮しました。 1853年に勃発したクリミア戦争で、英国は野戦電信隊を投入したのです。画像は英軍の野戦電信車。電信機とバッテリー、延伸用ケーブルを積載しています。 pic.twitter.com/CtPSflkKFm

2020-12-12 17:48:09
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1855年のバラクラヴァの戦いで、英軍は画期的な部隊運用を導入しました。それまでは、ナポレオン戦争の時代の様に、最高司令官は主力部隊と共に進軍し、決戦場では戦闘を一望できる場所に陣取り、伝令を用いて(時には前線に立ち)指揮を執るのが定石でした。 pic.twitter.com/UHv9xlsLv7

2020-12-12 17:49:36
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しかし、バラクラヴァ戦線の英軍司令官ラグラム卿は、後方に野戦司令部を設置。前線の諸師団(第2、第3、第4および軽師団)に対する指揮を電信で行ったのです。 麾下の師団とは何時でも交信が可能で、各師団は連携して広範な戦線を形成しました。 戦場は点から線へと変化したのです。 pic.twitter.com/yn0Yrpr0px

2020-12-12 17:50:55
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同じ年、黒海を横断する500キロの野戦海底回線が完成。クリミアの戦線は欧州大陸の既存の電信網を経由してロンドンと接続し、大英帝国首脳部は戦況の変化をリアルタイムで把握することが可能になります。 これは、作戦指揮と和平交渉に大きな威力を発揮しました。 pic.twitter.com/OtQVYWKhH0

2020-12-12 17:52:12
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一方、ロシアはクリミアからモスクワを経て首都ペテルブルクへ至る腕木通信線を有していましたが、速度でも情報量でも電信には全く歯が立ちませんでした。 光学式テレグラフは電気式テレグラフに完敗したのです。 pic.twitter.com/tq3qpSEQrp

2020-12-12 17:53:26
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戦場へ電信機が持ち込まれたことは、「報道の自由と国防」という現代的なジレンマをも呼び起こしました。英国の記者たちは戦場の悲惨さを競ってロンドンへ送信。英軍は情報の漏洩と国民の士気低下を恐れたのです。実際、ロシアの情報機関は英国の新聞を収集していたそうです。 pic.twitter.com/aD5eafpndZ

2020-12-12 17:55:07
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フロレンス・ナイチンゲールを奮い立たせ、野戦病院へと赴かせたのも電信によって送られたショッキングなニュース(負傷兵の残酷な境遇を伝えるもの)でした。 彼女の経営者としての卓越した手腕が医療システムを変革させたのは有名な話ですね。 pic.twitter.com/gRF3hvJYaW

2020-12-12 17:56:43
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1861年に米国が南北戦争に突入すると、北軍は「合衆国野戦通信部隊(USMT)」を設置。戦術・輸送・動員などあらゆる軍事活動に電信を活用しました。USMTは戦時中に24,000キロの電信線を新設し、650万通もの電報を扱ったと言われます。 画像はUSMTの野戦通信隊。 pic.twitter.com/d7AAHCctS6

2020-12-12 17:58:03
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HIROKI HONJO @sdkfz01

この戦争では、この他に暗号通信が導入されたり、リンカーン大統領の声明が電信を通じて全国のメディアへ配信されたりしています。プロパガンダのはしりと言ったところですかね。(画像は北軍の軍用通信機) pic.twitter.com/lqsm5wttKH

2020-12-12 17:59:26
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HIROKI HONJO @sdkfz01

また、およそ10年後の普仏戦争でプロイセンが鉄道を駆使した精緻な動員・輸送計画を実行に移し、仏軍を撃破したのは良く知られますが、その実現には各鉄道駅に設置された電信機が必要不可欠でした。 画像はフランスの電信を切断するドイツ騎兵。 pic.twitter.com/0Pq9Ywz0nj

2020-12-12 18:00:39
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