【電信 19世紀のグローバル情報ネットワーク】

1840年代に実用化された電信は、瞬く間に欧米諸国に普及しました。19世紀後半には大陸間を連結する海底ケーブルも建設され、電信網は世界を覆います。 この結果、社会や経済、軍事の在り方は大きく変容。人類史上初の近代的情報革命が生起したのです。
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ドイツの総兵力はフランスとほぼ拮抗していましたが、鉄道と電信の力により、主要な戦闘では常に局所優勢を確保することに成功したのです。他方、フランス軍は拙劣な通信と輸送のために大量の兵力が後方の鉄道駅などで滞留、遊兵化していました。 pic.twitter.com/2Q9xcKjWRF

2020-12-12 18:01:52
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普仏戦争におけるプロイセンの勝利には、参謀本部の的確な戦争指導があったことは有名ですが、これもまた、前線の戦況をリアルタイムで把握するツールとしての電信に負うところが大でした。参謀本部の鉄道電信課は、重要な部局の一つだったのです。 pic.twitter.com/67x5MaXFNh

2020-12-12 18:03:05
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かくして電信は列国間の大規模な戦争の帰趨をも左右する存在となりました。 画像はフランス軍の通信を傍受・盗聴するプロイセン軍情報部隊。 pic.twitter.com/G0bDClaotJ

2020-12-12 18:05:36
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南北戦争終結から間もない1865年7月、一つのニュースが欧米に熱狂を巻き起こしました。幾多の困難と失敗を乗り越え、遂に英国と自治領カナダを結ぶ大西洋横断ケーブルが開通したのです。カナダと米国の通信網は連結していたため、北米と欧州、二つの「文明世界」は瞬時の連絡が可能になったのです。 pic.twitter.com/1rrtVfMvBu

2020-12-12 18:07:05
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当時の人々にとって、これは大変な出来事でした。最新の蒸気船でも、大西洋横断には片道約2週間を要したからです。それが、ほぼリアルタイムで双方向の意思相通が可能になったとあらば、彼らの驚きはいかばかりだったでしょう。 電信は、グローバル化への大きな一歩を踏み出したのです。 pic.twitter.com/OLfXmKYRbi

2020-12-12 18:08:44
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ニューヨークでの祝賀式典では「情報を伝送する時間と空間を両方とも無にした。波打つ大西洋の幅はないに等しい」と宣言され、同席した英国大使は「電信回線は、国際的な生活の神経、出来事の知識を送り、誤解を取り除き、平和と協調を世界に広める」と述べました。 pic.twitter.com/3X5ckJraRX

2020-12-12 18:09:57
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画像は完成した大西洋ケーブルで通信試験を行う瞬間。 pic.twitter.com/uan2h69V1i

2020-12-12 18:11:54
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こちらはお祭り騒ぎとなったニューヨークの街頭。(ただし、1858年の最初の大西洋横断ケーブル敷設時の物。これは技術的に未成熟で、間も無く故障し放棄された) pic.twitter.com/AxiWrNDcWP

2020-12-12 18:13:06
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ちなみにケーブルの敷設には空前の鉄製巨船グレートイースタンが用いられました。同船は19,000㌧、全長200㍍強という破格の巨躯を有し、英国から豪州まで石炭を補給せず直行できる航続力を誇りました。科学技術の粋を集めたこの船は、しかし、余りに大きすぎ、どう使っても採算割れを引き起こします。 pic.twitter.com/enTlq6SxzZ

2020-12-12 18:15:44
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とんでもない「お荷物」になってしまった彼女ですが、大陸間の海底ケーブル敷設には威力を発揮しました。太くて重いケーブルを大量に搭載し、一度の航海で大西洋の両岸を結べるのはグレートイースタンだけだったのです。(画像は敷設作業中の同船) pic.twitter.com/yRh1mihac9

2020-12-12 18:17:17
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大西洋のケーブル建設事業は、社会的多幸症を喚起しました。 ある詩人はこう謳っています。「国々や人種は自然に併存する。彼らは互いを良く知るようになる。…この電気の火花は人類の心を燃え上がらせるプロメテウスの炎なのだ。人類は皆兄弟であることを学び、…地球全体の善意や平和を啓発する」 pic.twitter.com/deRr9KotbI

2020-12-12 18:18:32
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次のような言葉も遺されています。 「これが世界を一つにする。…遠方の国々を一緒にし、一つの大きな家族の一員であるという気持ちを起こさせる。…愛と優しさに溢れた信号が永遠に行き来する。この強い絆は人類を一つに結びつけ、平和と協調をもたらす」 pic.twitter.com/2N4eA9y8ax

2020-12-12 18:20:12
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しかし、大陸間海底ケーブルの主たる役割は、海洋覇権国家である大英帝国のグローバルな植民地支配の神経になることだったのです。何とも皮肉ですね。 pic.twitter.com/XzEsRcmzLI

2020-12-12 18:21:57
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最も重要な植民地の一つ、インドでは1856年には既に6.800キロの通信線が存在しており、12年後には22,000キロに達します。これをロンドンに結合することは、英国の悲願でした(殊に1857年のインド大反乱後は)。 1865年、この試みは最初の成功を収めます。 pic.twitter.com/bae2eQnIai

2020-12-12 18:23:32
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オスマン帝国が建設したコンスタンティノープル-バクダート間の回線を延伸して、ペルシャ湾岸経由でインドへと繋いだのです。まもなく、黒海北岸→ペルシャ経由のルートも完成しました。 pic.twitter.com/M5qgMl56Oe

2020-12-12 18:24:55
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しかし、これらの回線は英国にとって大いに不満でした。幾つもの国を経由する為、12回から14回もの転送が行われ、5日から6日もの時間がかかったのです(蒸気船による通信は1か月強)。加えてトルコやペルシャの電信員は技量が低く、通信内容が意味不明になってしまうこともしばしばでした。 pic.twitter.com/rnmdHcyVmt

2020-12-12 18:26:46
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そして何より、列強ひしめく欧州と、帝政ロシアの脅威に曝される中東の陸上を通らねばならず、政治的なリスクを抱えていたのです。 pic.twitter.com/O5tPtp0fvv

2020-12-12 18:28:16
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そこで、英国は巨額の投資を行い、インドへ直に向かう海底ケーブルを敷設。これは、ブリテン島→大西洋→ジブラルタル→地中海→スエズ地峡→紅海→アラビア海→インドの経路で、1870年に完成しました。ここに、英国の支配する排他的かつ迅速(片道5時間)な通信ルートが実現したのです。 pic.twitter.com/NjIp325wfa

2020-12-12 18:30:03
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建設工事には、前述のグレートイースタンが投入されました。大西洋ケーブルとインドケーブルの成功により、英国は世界で唯一、大規模な大陸間海底電信線を建設する技術と設備を有する国となったのです。 (画像はインドケーブルの工事) pic.twitter.com/cyZmAKCdox

2020-12-12 18:31:22
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海底ケーブルはインドから更に東進しました。1871年、シンガポール経由で香港と上海が英国に連結されます。シンガポールからは、オーストラリアへ向かうラインも整備され、1872年、アデレードとロンドンが結ばれました。従来、船便で2か月かかったこの区間の通信は、15時間に短縮されています。 pic.twitter.com/hAAafrezof

2020-12-12 18:33:05
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因みに、上海-長崎間は1871年にデンマーク系の大北通信が回線を敷設しており、そこからウラジオストク-シベリアを経由してヨーロッパに伸びていました。今や欧州と極東はロシア領を通過する北方ルートと、英国支配下の南方ルートによって二重に結合され、日本は国際通信網に取り込まれたのです。 pic.twitter.com/BUryOW0joP

2020-12-12 18:34:25
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更に、世紀の転換期になると、アフリカルート(英本土→大西洋→南アフリカ植民地→東アフリカ植民地→インド)と、太平洋横断ルート(オーストラリア→フィジー→カナダ)も完成。海底ケーブルは地球を一周し、世界各地の英国領は相互に繋がれます。 pic.twitter.com/hAysaR7Dy5

2020-12-12 18:36:18
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おっと、書き忘れていましたが、南米(ブラジル、アルゼンチン等)への電信線は1873年に開通しています。当時のこのエリアは所謂「非公式の帝国」で、英国への食料・資源供給地であると同時に、シティの金融資本にとって格好の投資先(鉄道、工場、農園など)だったのです。 pic.twitter.com/BozV4KSXnm

2020-12-12 18:37:50
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こうして大英帝国は広大な植民地や政治的・経済的影響圏(中国、南米、中東など)の動静を迅速に把握できるようになったのです。 米国の歴史学者D.R.ヘッドリクはこう記します。「平和時には、ケーブルは、帝国主義国家を世界中の植民地と結びつける…生命線としての役割を果たした。 pic.twitter.com/NRpjOWlsYi

2020-12-12 18:39:30
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危機に際しては、それは外交上の価値ある道具だった。…ファショダ事件に際して(英軍の現地司令官)キッチナーが…ロンドンと交信できたのに対して、その敵であったフランスのマルシャンはパリとは連絡が出来なかった。 pic.twitter.com/WiZJzPidQV

2020-12-12 18:40:05
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