山梨在住の歴史学者。健康科学大学特任教授。ポニーキャニオン所属。著作は、『戦国大名領国の基礎構造』(校倉書房)、『天正壬午の乱』(戎光祥出版)、『武田氏滅亡』(角川選書)、『戦国の忍び』(角川新書)など多数。
え?新聞に発表してしまったの?5月解禁ではなかったのかな?この科学分析による新発見は非常に大きい。長篠古戦場から発見された鉄炮玉(鉛)のなかに、古戦場近くの睦合鉱山より採掘された鉛と、同位体比が同じものがあることが立証された。これは大発見。tonichi.net/news/index.php…
2021-03-28 23:26:06この睦合鉱山は山家三方衆菅沼氏の支配領域に存在し、井代菅沼氏の拠点井代城のすぐ側に位置する。この鉱山については、元亀二年九月五日、徳川家康が三河仙昌院と小林三郎左衛門尉に宛てた判物があり、菅沼常陸介(定仙、井代菅沼氏、田峯菅沼氏の支流)と菅沼半五郎(定滿、野田菅沼氏、定盈の叔父)
2021-03-28 23:29:55の所領の境界に鉛があるとの情報を、宛所の二人から報告を受けた家康が、諸役免許を約束し、採掘を指示している。このことは、拙著『検証長篠合戦』吉川弘文館117頁以下に指摘しておいたもの。武田・徳川の抗争には、この鉛などの鉱山資源をめぐる争いという側面もあったのではないかと推定していた
2021-03-28 23:32:43まさか、ドンピシャの実証例が出るとは思わなかった。長篠古戦場出土の睦合鉱山産鉛による鉄炮玉が、武田側なのか、徳川側のものなのかは、判断に迷うが、私は徳川と判断。元亀2年9月発見→元亀3年10月武田方となり徳川から離反→天正元年9月長篠城陥落、徳川方となる→天正3年5月長篠合戦に
2021-03-28 23:37:00より徳川領国として確定。という経緯なので、睦合鉱山が稼働していた時期に、支配者として長かったのは、明確に徳川氏ということになる。鉛の同位体比分析は、分析のための見本となる鉛(採掘場所が検証できるものに限る)さえあれば、基礎データの蓄積が可能となり、今後の考古学調査による鉄炮玉の
2021-03-28 23:40:10発見があれば、事例を集積していけば、鉱山の稼働していた時代の推定とともに、流通などの研究も可能になっていくことだろう。拙著『検証長篠合戦』以外に、管見の限り、この事実を指摘した論著はなかったように思う。自分の研究が実証されてうれしい限りですね。
2021-03-28 23:41:49@HIRAYAMAYUUKAIN これが先日来平山先生が仰っていた5月に発表するっていうことなのですか? これは大発見ですね😲武田勝頼が長篠にこだわっていた理由の一つになりますね。
2021-03-29 07:13:02この話は凄い! 平山さんの研究も凄いが、科学の力で鉱物の産地特定が進めば、北海道,東北の産出物がどの程度日本各地に出回ったか解ってくる。 太良鉱山の鉛が秀吉公に送られているのは算用状にあるので、それが何処まで遡れるのか?解ってくれば、謎だらけの東北と中央との関わりが見えてくる事に。 twitter.com/HIRAYAMAYUUKAI…
2021-03-29 05:49:25奈良の土器とかと一緒ヤ~ twitter.com/HIRAYAMAYUUKAI…
2021-03-29 01:47:45鉄炮玉の発見事例が少ないことへの驚きや疑問があるのは当然です。ただ、設楽原歴史資料館長湯浅氏や、地元の古老からお聞きした話では、地元では鉄炮玉が田畑から見つかると「ああ、また鉄炮玉か」といって捨てていたそうです。鉄炮玉は、石と同じく、農業にとっては邪魔な存在でしかなく、その歴史的 twitter.com/u017019/status…
2021-03-28 23:44:14新たな段階へと移行しうると考えます。いやー、長生きはするもんですね。少なくとも、30年前は考えられなかったです。
2021-03-29 01:18:58竹さんのおっしゃるとおり、山家三方衆の支配領域は、金山と鉛山が複数存在する希有な地域でした。史料が乏しいので、実証が難しいのですが、考古資料では石臼などが、甲州系のものであることが指摘されています。文献が乏しいのが悔しい限りですが、こうした化学分析の成果が取り入れられれば、研究は twitter.com/Raijing_take/s…
2021-03-29 01:18:18@HIRAYAMAYUUKAIN 武田は騎馬隊が有名ですが、鉄砲も使用していたって結構知られてないですもんね。信玄の西上作戦で山家三方衆を味方にした理由も透けて見えます。ひとつの発見で色んな考証ができる歴史はやはり楽しいです!
2021-03-29 00:57:01最近、この種の「成分分析が詳しく可能になり、原材料が採れた場所が確定できるようになった」ことによる歴史の発見が相次ぐ。これはかなりの「スモーキンガン(明確な証拠)」なのでほかでも色々やってほしい / “K・HIRAYAMA on Twitter: "え?新聞に発表してしまったの?…” htn.to/MrUQHgay7E
2021-03-29 00:04:59@sanadaimu それも、アタクシの『検証長篠合戦』に一覧表を作成し、分析、指摘しております。ぜひお買い求め下さいませ。
2021-03-29 00:04:03@Raijing_take 確か、山梨県勝沼町では、勝沼戦争の時の鉄炮玉が、樹木に食い込んでいて、それが伐採した樹木内部から見つかったことがあると聞いたことがあります。
2021-03-29 00:01:00@Raijing_take それも可能性としてあると思いますね。また、樹木に食い込んだり、人馬に命中してそのまま埋葬されたり、いろんな理由で回収されなかったものもあると思います。
2021-03-28 23:59:14@saemonhiguchi @zorotto_BJ その通りです。掘るのは言語道断で、罰せられますが、表面採収(地表面を観察して、あるかないかを探すこと)は大丈夫です。
2021-03-28 23:57:06@HIRAYAMAYUUKAIN シュリーマンみたいなお話で夢がありますね。よ~し、やりますか(いつだろ)
2021-03-28 23:56:06@u017019 困ったことに、鉛って、時間が経つと、小石と見分けがつかなくなるんですよ。なので、より発見しにくいんです。
2021-03-28 23:55:53@zorotto_BJ 確か平成15年、武田氏滅亡地の山梨県大和中学校の生徒たちが、修学旅行で長篠古戦場に行き、資料館周辺をみんなで鉄炮玉を探そうという試みをして、本当に発見したということがありました。可能性は皆無ではありませんね。
2021-03-28 23:54:32