村の形
その後の中世の歴史を詳細に辿ると長くなるので大雑把に言いますと、正規の騎馬警察軍の武士達は、私兵を抱えた百姓身分の豪族達を内戦の自陣営の軍勢増員のために次々に抱え込んでいくわけです。つまり武士のインフレーションです RT @fidelcastro002: 武士予備軍ですか。江戸時
2010-05-03 21:16:16それは寄親、寄子のことですか? RT @Clunio その後の中世の歴史を詳細に辿ると長くなるので大雑把に言いますと、正規の騎馬警察軍の武士達は、私兵を抱えた百姓身分の豪族達を内戦の自陣営の軍勢増員のために次々に抱え込んでいくわけです。つまり武士のインフレーションです
2010-05-03 21:18:20墾田系荘園は8世紀の初期荘園で、一円領化した後期荘園には連続しません RT @fidelcastro002: 国衙の役人(守、介、掾、目)として赴任した者と、地方の墾田系荘園の領主との争いですね。RT @Clunio この騎馬警察軍としての武士は、11世紀に国衙が徴税権を持つ国
2010-05-03 21:22:08そうですね。地侍の発生。徒歩(かち)武者身分の発生 RT @fidelcastro002: それは寄親、寄子のことですか? RT @Clunio その後の中世の歴史を詳細に辿ると長くなるので大雑把に言いますと、正規の騎馬警察軍の武士達は、私兵を抱えた百姓身分の豪族達を内戦の自
2010-05-03 21:23:40墾田系荘園の荘園領主(坂東八平氏)などは、国衙からの介入を避けるために摂関家や源氏の実力者にこぞって開墾地を寄進したた形にしました。RT @Clunio
2010-05-03 21:26:48そして、中世の中期までは荘園・公領が地域の単位で、その中が長者様(名主)の農園(名)に分割されていた。それが中世末期になると社会のあらゆる階層が「一揆」という武装自治集団を結成し始めるのです。これが現在の「村」の系譜へと繋がる RT @fidelcastro002: 武士予備軍で
2010-05-03 21:29:22これも最近の研究ではちょっと古い学説になってきています。彼らの経済基盤は荘園ではない。 RT @fidelcastro002: 墾田系荘園の荘園領主(坂東八平氏)などは、国衙からの介入を避けるために摂関家や源氏の実力者にこぞって開墾地を寄進したた形にしました。 @Clunio
2010-05-03 21:31:25私は寄親、寄子の制度てのは、ナポレオンの国民皆兵を遡ること300年の斬新的制度だった思っているんです。ところが信長が出てきて常備軍(傭兵)を作って欧米的に言うと後退したと思っているんです。RT @Clunio
2010-05-03 21:33:44彼らの経済基盤は、あくまでも自らの営地に蓄積した動産を元手に、国衙と公領の農地の運用契約を結び、その運用益を上げる事だったのです RT @fidelcastro002: 墾田系荘園の荘園領主(坂東八平氏)などは、国衙からの介入を避けるために摂関家や源氏の実力者にこぞって開墾地を寄
2010-05-03 21:35:14一揆契約による「惣村」という重武装村落が誕生したからですね。 RT @fidelcastro002: 私は寄親、寄子の制度てのは、ナポレオンの国民皆兵を遡ること300年の斬新的制度だった思っているんです。ところが信長が出てきて常備軍(傭兵)を作って欧米的に言うと後退したと思ってい
2010-05-03 21:37:16こうした重武装村落はヨーロッパでは古代~中世初期のゲルマン人、ノルマン人の社会、内陸ユーラシアの遊牧民社会に普遍的に見られます。 RT @fidelcastro002: 私は寄親、寄子の制度てのは、ナポレオンの国民皆兵を遡ること300年の斬新的制度だった思っているんです。ところが
2010-05-03 21:38:41平将門、藤原純友、平忠常にヒントがありますか?RT @Clunio これも最近の研究ではちょっと古い学説になってきています。彼らの経済基盤は荘園ではない。 RT @fidelcastro002: 墾田系荘園の荘園領主(坂東八平氏)などは、国衙からの介入を避けるために摂関家や源氏の
2010-05-03 21:39:19もともと皆兵だったけど、農繁期の問題があって常備軍(傭兵)になって、またナポレオンによって国単位の皆兵になったということでうか?RT @Clunio こうした重武装村落はヨーロッパでは古代~中世初期のゲルマン人、ノルマン人の社会、内陸ユーラシアの遊牧民社会に普遍的に見られます。
2010-05-03 21:41:53とするといかにも網の目が多きいですよね。中央のネットワークから外れて、従って記録のない隠れ里とか多いかったのでしょうかRT @Clunio 一揆の時代が来る前の中世前~中期は荘園・公領(国衙領)が社会の基礎単位でした
2010-05-03 21:45:45賄賂経済ということですか。お金がお金を生むと言うような。土地を介在させた金融?RT @Clunio 彼らの経済基盤は、あくまでも自らの営地に蓄積した動産を元手に、国衙と公領の農地の運用契約を結び、その運用益を上げる事だったのです RT @fidelcastro002: 墾田系荘園
2010-05-03 21:45:50平将門、藤原純友がプロト世代の武士で、彼らの適切な処遇に失敗して反乱を誘発、同様のプロト世代の武士に討伐させてその軍功者の子孫を正式の武士身分認定したようです RT @fidelcastro002: 平将門、藤原純友、平忠常にヒントがありますか?RT @Clunio これも最近
2010-05-03 21:54:37内陸ユーラシアでは近代まで皆兵、ヨーロッパでは内陸ユーラシアの遊牧騎兵の侵入に対応するため、エリート騎馬兵を育成するために兵農分離が進んだ側面があるようです RT @fidelcastro002: もともと皆兵だったけど、農繁期の問題があって常備軍(傭兵)になって、またナポレオン
2010-05-03 21:57:38農地面積当たりの課税でしたので非農業的な山村が網の目から外れた可能性が十分ありそうです RT @zoo3o00: とするといかにも網の目が多きいですよね。中央のネットワークから外れて、従って記録のない隠れ里とか多いかったのでしょうかRT @Clunio 一揆の時代が来る前の中世前
2010-05-03 21:59:40まあ、平安時代は常時軍がなかったので反乱した武士以外の武士を褒美で釣って鎮圧させなければならなかったんでしょうけど。RT @Clunio 平将門、藤原純友がプロト世代の武士で、彼らの適切な処遇に失敗して反乱を誘発、同様のプロト世代の武士に討伐させてその軍功者の子孫を正式の武
2010-05-03 21:59:46貨幣経済は浸透していなかったので、農具、種子の蓄積を元手にするわけです RT @fidelcastro002: 賄賂経済ということですか。お金がお金を生むと言うような。土地を介在させた金融?RT @Clunio 彼らの経済基盤は、あくまでも自らの営地に蓄積した動産を元手に、国衙
2010-05-03 22:01:43欧州の人間が狩猟民族だったいうのは私は信じません。なぜかと言うとローマ時代からパンが主食だったからです。ですから、農耕民族に騎馬を教えるのに兵農分離が必要だったということですね。RT @Clunio 内陸ユーラシアでは近代まで皆兵、ヨーロッパでは内陸ユーラシアの遊牧騎兵の侵入に対
2010-05-03 22:03:17いわゆる常備軍はなくとも朝廷・国衙機構が軍事警察機構、即ち暴力装置を瞬時たりとも手放した事はありませんでした RT @fidelcastro002: まあ、平安時代は常時軍がなかったので反乱した武士以外の武士を褒美で釣って鎮圧させなければならなかったんでしょうけど。RT @Cl
2010-05-03 22:04:08それを農民に貸し付けて利子を取る金融業者ということですか。それじゃ昔の米国のプランテーションオーナーと同じですね。RT @Clunio 貨幣経済は浸透していなかったので、農具、種子の蓄積を元手にするわけです RT @fidelcastro002: 賄賂経済ということですか。お金が
2010-05-03 22:07:04そうです。農牧民に騎馬を教える RT @fidelcastro002: 欧州の人間が狩猟民族だったいうのは私は信じません。なぜかと言うとローマ時代からパンが主食だったからです。ですから、農耕民族に騎馬を教えるのに兵農分離が必要だったということですね。RT @Clunio 内陸ユ
2010-05-03 22:07:28これを出挙(すいこ)と言います RT @fidelcastro002: それを農民に貸し付けて利子を取る金融業者ということですか。それじゃ昔の米国のプランテーションオーナーと同じですね。RT @Clunio 貨幣経済は浸透していなかったので、農具、種子の蓄積を元手にするわけです
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