@dynamanTW @kankimura 対面取材が無かったとはいえ,新聞記者ですから,ブログやツイッターの記述,あるいは他の皆さんのご反応を参照しつつ執筆されるのではないかと思ったのですが,経緯からして期待してはいけなかったようです.今回の件は交通事故と思うことにします.
2010-05-07 03:02:06@sugawarataku @kankimura 経緯の説明ありがとうございました。真相は想像以上の酷さですね。ところで、「おまえは学会でもポスター見てんのか!」が最高でした(笑)。
2010-05-07 03:11:56@sugawarataku 経緯はよくわかりました。新聞は取材記事は「確認なし」が基本ですので、取材があった場合もリスクがあります。私もそれで何回も喧嘩したことがあります。でも、今回の記事は、それ以前の内容ですから、本当にお気の毒です。
2010-05-07 03:11:59まあ、メディアの中には、依然として「記事にしてやるから有難いだろう」みたいな人、時々いるんだよなぁ。「せんせ、うちの新聞に記事載ると、影響力が違いますよ!」って言った人、いたもんなぁ。
2010-05-07 03:15:59@kankimura 慰めありがとうございます.インタビュー以外はだいたい確認無しで対応していますが,先生のおっしゃるとおりリスクがありますし,やはり記者の方への信頼があってこその話なので,吟味して対応したいところです.上司にはどんどん対応するように言われているのですが...
2010-05-07 03:21:10遅ればせながら、M. Blyth, "Structures Do Not Come with an Instruction Sheet", を読む。内容的には驚くべきものは含まれていなかったけど、頭の整理にはなった。従って、以下、自分の研究の関心について整理しておく。
2010-05-07 06:07:01歴史的或いは合理的選択による制度論が基本的に均衡状態(に至る道)を説明するものであり、変化を説明することが苦手、というのはその通りだと思う。尤も、そのことは、文化やイデオロギーを用いる研究が変化を説明するのが得意だ、ということでは、勿論ない。
2010-05-07 06:09:26寧ろ古い形での文化論やイデオロギーは(素朴な形で)ある一定の状態が何故に変わらないかを説明してきたように思う。変化を説明する場合にも、その要因は外部環境の変化に求められてきた。つまり、外部環境の変化により、特定の文化やイデオロギーが新しい役割を果たすようになる、という説明。
2010-05-07 06:11:39とすると、制度論的な立場に立っても、文化論的な立場に立っても、従来の政治学は、変化を描写することはできても、変化の原因を説明することは苦手だった、ということになる(この理解で良いのか?>自分)。
2010-05-07 06:13:29で、自分はそのような状況に二つの意味で、何となく不満を持っている。一つは、従来の政治文化論の容の薄さ。伝統的な文化論は、トートロジーに陥っている(韓国が韓国的なのはそういう文化だから、の類)し、統計的な政治文化論には、傾向性と相関関係は示せるけど解釈は薄い、という問題がある。
2010-05-07 06:18:01変化の原因を仮説として提示することは容易でも、それを実証するのが難しい。RT @kankimura: とすると、制度論的な立場に立っても、文化論的な立場に立っても、従来の政治学は、変化を描写することはできても、変化の原因を説明することは苦手だった
2010-05-07 06:18:21そうですね。RT @myamadakg: 変化の原因を仮説として提示することは容易でも、それを実証するのが難しい。
2010-05-07 06:19:38(続き)二つ目の不満は、やはり、政治学の研究の多くが現状説明に留まり、ダイナミズムを説明することが上手くできていない、ということだ。自分の研究の出発点は、どうして「停滞のアジア」が、停滞を脱することができたのか、という所にあるので、その不満は大きい。
2010-05-07 06:23:53で、両者の不満を一挙に解決すべく、政治文化論をまともな議論に育て上げて、これで以て、変化の原因を説明し、或いは、最低限、変化をよりよく描写できるようにできないか、という「野望」(「見果てぬ夢」とも言う)を20年間持ち続けていることになる(^^;)。
2010-05-07 06:26:21で問題は勿論、文化的要素を、どうやってまともな研究ツールに育て上げられるか、だ。管見(本当に僅かしか読んでいない)の限りでは、最近の政治学ではここで"Idea"という概念を使うことが多い。ある特定の”Idea"が特定の歴史的条件の中で生まれ育つことが、変化の原因の一つになる、と。
2010-05-07 06:30:10この”Idea"という考え方/表現には、少し違和感がある。何故なら、"Idea"そのものは人を動かすことはないからだ。"Idea"が人を動かすのは、それが特定の"Symbol"を介して、一定の意味を持たされているからの筈だ。だとすると重要なのは、その背後にあるものの筈だ。
2010-05-07 06:34:01従って、自分はこの"Idea"∈言説の変化を、単にその考えが生まれたか否かのみでなく、その社会的含意の変化も含めて分析しようとしている、ということになる、か。
2010-05-07 06:37:19でも、結局、このやり方でも、変化の原因は特定できない。@kyashima氏が指摘するように、それでは文化は媒介変数の役割を果たしているだけだからだ。これまでの研究で独立変数の役割をしているのは、結局、環境の変化。
2010-05-07 06:40:20いや、もう一つある、突発的な個人的要素だ。特定の”Idea"や言説を最終的に「何に」結び付けるかを決める際には、そこに個人の活動がもう一つの媒介要素として入る。ミクロな個人の選択は、マクロな状況とは異なることがあるので、ここで一定の説明の「調整」ができる。
2010-05-07 06:43:20そして、これによりミクロな個々人の思想的方向と、マクロな政治的変化の関係も、部分的に説明できる、と。これで良いのかな?
2010-05-07 06:44:53突発的なものを理論化出来ますか?ある種のリーダーの登場を時代の必然のように説明することは常套手段だけど、その手のリーダーが現れることをほんとに予見できるのかなあ?RT @kankimura: いや、もう一つある、突発的な個人的要素だ。
2010-05-07 06:46:52