社会は「発達障碍化」しているか
何が面白いかというと,広汎性発達障害では,シニフィアンの病理(頭のなかに文字がわいてくる,声が聴こえる,壁のシミが急に意識される)は出てきたとしても,享楽の病理(世界没落体験,大他者からの享楽的所有)が出てこない,という風に読めるからだ.
2011-12-25 23:29:57何度も言っているように,分裂病の病理の中核はシニフィアンが享楽と絡み合いながら出現する象徴界=現実界の結合構造にある.こういう風にみると,分裂病/広汎性発達障害の鑑別を行うためのキーワードは,享楽,現実界,強度になる.シニフィアンではなく強度が大事ってのはD&Gの主題でしたね.
2011-12-25 23:35:24『精神科セカンドオピニオン2―発達障害への気づきが診断と治療を変える』 http://t.co/n10ozX2s 話もどすと,分裂病vs広汎性発達障害の構図をわかりやすく(戯画的ですらある)を見せてくれたのがこれ.revendicativeな論調なのであまり言及したくはないけど.
2011-12-25 23:40:17@schizoophrenie そこんとこ大事なんですが。意味ではなく強度って一時期の宮台真司がサッカーやクラブで踊ってハイになること、みたいに簡略化し過ぎてて、あれを本気で信じた人が多くないことを信じたいけれど……。
2011-12-25 23:38:58だけど象徴界の穴を超えてくる限りで諸欲動は死の欲動に一元化されるんじゃないのかな?だからこそ固有名、良心、責任が出てくると。
2011-12-25 23:43:11酔っぱらい運転で人を殺したら(統一された意識・主体・人格は吹っ飛んで諸部分が勝手にやったことだとしても)、人間の社会においては責任をとってもらわないと困る訳です。
2011-12-25 23:48:33なんでしたっけ.中安先生の話でしたね.中安理論については,さっきのセカンドオピニオンのグループ関係の方みたいですが(間違っていたらすいません),山崎真也さんという方がいくつか批判を書いています. http://t.co/vejrkkqW http://t.co/cIeQRejo
2011-12-25 23:48:32柴山雅俊『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理』 http://t.co/6aPEkr5w 柴山先生は,初期分裂病症状は解離性障害にも出ると主張.たしかに○先生とかx先生とかの初期分裂病症例は解離にしか見えないのがある.
2011-12-25 23:52:52柴山雅俊『解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論』 http://t.co/uHo3tJYs 柴山先生の議論が示唆的なのは,大事なのは初期分裂病症状が解離にもでるということではなく,同じにみえる症状でも解離の場合には自己ー他者の関係が逆転するパターン逆転が生じていないということ
2011-12-25 23:54:35このあたりも享楽,強度ということを主題化すれば理解できますね.解離は強度(ー)で分裂病は強度(+),と.
2011-12-25 23:56:08@kay_shixima 安永浩のパターン逆転って,突き詰めれば通常は「自分でやる」という意識が前景にたっている現象が,「他人にさせられる」という背景的な意識にとって変わられることですよね(自分が喋らされている→機械に喋らされている).この逆転が,解離では起こっていない,と.
2011-12-25 23:58:24@kay_shixima 分裂病症状と,それに類似する他の疾患の症状を比較して「分裂病には侵入性や強度がある」という結論になるのは精神病理学会ではわりとクリシェで,PDDに関しても解離に関してもそういう良識的な(?)意見にたどり着かざるをえないというジレンマがあります.
2011-12-26 00:06:40@schizoophrenie 僕は(シニフィアンの網の目を経た上での)侵入や強度の方を当然だと思っていたから、それが無いことの方が驚きですね。当然の前提だからいちいち言うことではないと思ってた。
2011-12-26 00:10:05いずれにせよ。スキゾ的対象だと思って近づき手にとってみると実は解離的対象でしかなかった、というのは80年代以降〜ずっとそんなことの繰り返しだったような気がする。そうした中で分裂病的なるものは忘却されていった。
2011-12-26 00:13:42そうなると昨今のパリのラカン派のいう分裂病の軽症化への対応も実は解離・発達障害を相手にしている可能性が出てくるのではないだろうか?引きこもりの人が木工を始めてコミュニティに居場所を見つけました、という話はかなり違和感を感じた記憶がある。
2011-12-26 00:18:57今日はずっと発達障害化していくとされる時代にD&Gをどう読むか,という話を書いたけども,人文系の方々はこういうのは興味ないのだろうか.私は社会や文学を論じることは不得手なのでこれ以上は展開できないので,@kay_shiximaさんのように文学で展開してくださるとありがたいです.
2011-12-26 00:21:29「ノルウェイの森」への共感と違和感はスキゾ的なるものと解離的なるものの混同・誤認から生じていたのだと思う。とりわけ映画版ともなるとそれはもうライヒ理論そのものだし。
2011-12-26 00:21:47