「天皇家はなぜ2000年続いたか、簒奪が無いのか?」議論の補遺集
@bushidoh_sb 皇帝(あるいは皇帝に準じる立場)になろうと表立って動いた人物はいませんね。 東アジアにはプーチンや金一族のように表立っては民主制ですが「皇帝」として支配しようとする者が21世紀でもいますが、日本では「皇帝」の概念が通史でもないのかな?
2024-03-20 06:12:05@bushidoh_sb 欧米列強国から来た人にその質問をされた時には 「ナポレオンもヒトラーもローマ法王になりたいとは思っていなかった。それと同じです」 と答えるようにしています
2024-03-20 06:52:58@bushidoh_sb 有史以前から日本列島に住みついた人々は、人智の及ばない自然は畏怖の対象だった。それらが天つ神(記紀神話)により駆逐され天皇が日本列島の神となった。人間である以上彼を超越することは出来ぬという盲信あるいは信仰が本能に近いものになったのではないか。
2024-03-20 07:18:09誰が天下を取っても飾りにするだけなんてのは易姓革命のある中国でも割とそういう所があるし、世界中どこにでもあるもんじゃないの?そういうのはタブーでもなんでもないし、固有の国民性、民族性というわけでもない。自称「万世一系」の後果を振り返ると世界に誇れるようなものでもない。 x.com/2GinDnYiQj9801…
2024-03-20 07:55:36一緒に「平清盛」を見ていた嫁が「なんで日本って2000年以上歴史があるのに、誰も天皇になろうとしなかったの?結局誰が天下を取っても飾りにするだけじゃん?」って純粋な目で聞いて来たんだけど、まぁこれが日本におけるタブーであり脈々と流れる国民性であり世界に誇れる民族性なんだろうね。
2024-03-19 20:40:37@bushidoh_sb 院政などもそういう文脈で説明されることがありますね。 月の半分以上が儀式と手続きで占められる天皇とは違い、フリーハンドで政策にあたれる立場として上皇というのは都合が良かったと。 だからこそ後白河法皇と頼朝は制度上のコンフリクトを起こした。
2024-03-20 07:57:00@bushidoh_sb @minasemeisui ああそうか、征夷大将軍に目線で考えると、自分が「皇帝」になると、 不正を続けると易姓革命が起こる可能性 中国との間の整合性(朝貢が必要) 統治の理由に儒教がもっと必要(将軍の行為が仁徳によって官僚に判定されても文句言えない) 大名がいつでも易姓革命を起こせる
2024-03-20 08:35:05@bushidoh_sb @niwareki エピソード15で、女神様へのお供えが、稲穂とご飯だったぞ。
2024-03-20 08:41:03@satoshin257 それが「誇れる民族性」とかでは全然無いだろうと思うんですが、そっちは除外して(苦笑)、それは「日本史の特徴」と呼べるのか、「中国でも割とそういう所があるし、世界中どこにでもある」か、 …という観点からはどっちとみるべきですかね?「重層的になる」のは珍しい? twitter.com/practi_beans_2…
2024-03-20 08:52:17頭を取るより、その権威を利用しようと権力関係が、どんどん重層化するのが、日本史の特徴。 天皇はそのまま、摂政、関白、そして、将軍、執権、管領、側用人と上は変わらず、下が複雑になってきた。支配するより、支配される中で他人を蹴落としたほうが早いという伝統なのだろうと。 x.com/2GinDnYiQj9801…
2024-03-20 00:20:53@satoshin257 楚の義帝を適当に担いで粗略に扱った項羽のことをまっさきに思い出しましたw
2024-03-20 08:57:26前にもつぶやいたんだけど、チンギス統原理、日本天皇家、カリフはクライシュ族の男系の子孫、ジョージア王はバグラティオニ家。 王統が単一の系統のみしか認められないという認識が強固なところはいつくかありますが、なぜ漢の劉氏はそうなれなかったのかはとても興味深い。
2024-03-20 09:12:55チンギスとかムハンマドのような創始者の圧倒的なカリスマでできた原理より、天皇家やバグラチティオニ家のような、なんとなく当たり前になっていった過程が特に知りたい。
2024-03-20 09:17:07@gryphonjapan @satoshin257 割りと中国も似ていますが、王朝が変わらないあたり、日本は若干独特な感じです。まぁ、とにかく天皇の存在が良くも悪くも特殊ではあります。
2024-03-20 09:24:47@bushidoh_sb そんなに一杯はいないですよ。崇徳上皇という大怨霊を生んでしまった反省で、天皇の流罪はタブーに近かったです。三上皇を流した承久の乱は異常事態であって、それを実行した北条義時は「大悪人」として記録されました。あと、流刑先の隠岐から脱出してきた後醍醐天皇は明らかに異常 pic.twitter.com/JmgHMiAH63
2024-03-20 09:39:04@bushidoh_sb だからこそ、天皇は譲位して神事や儀礼儀式に追われる天皇の身分から脱して上皇になることで権力者になりましたね。天皇を在位の君、上皇を治天の君とする院政が、朝廷が政治権力を持っていた時期のスタンダードな政治体制になりましたね。
2024-03-20 09:43:59@satoshin257 周の場合は戦国時代が長く続くことで小さくなり、権威が落ちたようですが、 天皇家は鉄砲の伝来で戦国時代がすぐに終わった(戦闘が短期間で終わる)ことが大きかったと思います 実際に、信長が京都に来たときは京都の人間からもかなりバカにされてたと聞きますし
2024-03-20 09:45:27@gryphonjapan 拙著『戦争の中国古代史』でも韓→晋→周の例を示したと思いますが、そういう重層性は特に珍しくないと思います。
2024-03-20 09:49:59@bushidoh_sb 鎌倉幕府で将軍がお飾りになり下位の執権が実権を掌握していったという例もある。政治が世俗化すると身分不相応な者が権力を振るい出すので、社会的承認を得るために上位身分からのお墨付きが必要になる。そういう社会構造そのものを破壊して名目的にも頂点に君臨するという選択はコスパが悪すぎる。
2024-03-20 09:51:34これは雑語りだけど、皇統に比べたら個人としての天皇位にはそんなバリューなくて、わざわざ弑さなくても流刑や廃位もしくは摂関政治で臣下が実権を握る方がコスパ良かったのと、国家の初期に道鏡が盛大にやらかしたから簒奪に免疫がついたという偶然の産物のような気がする x.com/2GinDnYiQj9801…
2024-03-20 10:39:09