「Aさんがtの時点で存在していなくても、過去のt'の時点で存在していて、かつ、tの時点で生きて存在していればもっとよい生活をしていればもっと本人にとってよかったろう、と言えるのであれば、tの時点でAさんは被害を被っていると言うことができる」か。
2012-01-04 22:45:36@eguchi1965 一応「そう言い張っているだけ」ではないと考えているのは、「死の害を被るために成り立っていなければならないこと」の内に、死後の時点において当人が存在することを要請するものはないと考えているからです。
2012-01-04 22:46:03そうです。RT @eguchi1965 「Aさんがtの時点で存在していなくても、過去のt'の時点で存在していて、かつ、tの時点で生きて存在していればもっとよい生活をしていればもっと本人にとってよかったろう、と言えるのであれば、tの時点でAさんは被害を被っていると言うことができる」
2012-01-04 22:47:04気づかない害
@iklog それは難しいのですぐにははっきり答えられないです。「誰もいっさい気づかない害はない」なら認めます。「本人が気づかない害はない」は苦しい。ごめんなさい。
2012-01-04 22:50:45@eguchi1965 もし「気づかなくても被りうる害」を認めたら、三人称的な害を認めた事にはならないんでしょうか。それは「薄い害の概念」とは言えないということでしょうか。
2012-01-04 22:53:34@iklog なんらかの客観的な基準があることは認められる(客観リスト説は魅力がある)。しかしだからといって、その害を受ける主体がいないことは認められないです。
2012-01-04 22:55:05ええと、「被害を受ける主体が無時間的に存在しない害」が理解不能であることは同意しますが、そういう意味ではないということでいいですよね。RT @eguchi1965: @iklog 「被害を受ける主体が存在しない害」は理解不能です。
2012-01-04 22:55:51「楽しく暮せていたはずのAさんが不慮の事故で死んでしまって、(他の状況が同じなら)世界がより悪い状態になっている」というのはまったくありえます。認める。
2012-01-04 22:57:52もちろん、そういう場合に「Aさんが害を受けているのだ」という形而上学を採用すること自体は別にOKだけど、私にはあんまり魅力がない。
2012-01-04 22:59:18それが一番だめなことです。RT @iklog: 「Aさんにとって悪いことだ」というのもダメなのですよね。RT @eguchi1965: でもそれってAさんが害を受けてるの?
2012-01-04 22:59:41