Aさんにとって悪いことではないということですか。つまり、Aさんが殺されることはAさんにとって悪くないことだと言ってよいでしょうか。RT @eguchi1965: それが一番だめなことです。RT @iklog: 「Aさんにとって悪いことだ」というのもダメなのですよね。
2012-01-04 23:03:02Aさんが殺されるのは生きているAさんにとってとても悪いことですが、死んだAさんには悪いことではないと思います。 RT @iklog: Aさんにとって悪いことではないということですか。つまり、Aさんが殺されることはAさんにとって悪くないことだと言ってよいでしょうか。
2012-01-04 23:03:54@eguchi1965 ううむ。正直「生きているAさん」と「死んだAさん」の区別があまりよく理解できません。例えば、「生きているソクラテス」と区別される「死んだソクラテス」がいるのでしょうか。
2012-01-04 23:10:24ええと、基本的な論点の確認。私は、「人は、自分が気づきうることによってしか害されない」「当人が気づき得うることだけが当人にとって悪い」といった主張は、害悪に関してあまりに狭すぎるように感じています。(先の、慈悲深い泥棒とかの事例は、その点を示すものだと思っています)
2012-01-04 23:13:51そして、もし「人は、自分が気づきうることによってしか害されない」という広い害(悪)の概念が有意味ならば、死による剥奪の害をそこに含めることを邪魔するのは、死後には死の害を被る主体がないということぐらいだろうと思います。
2012-01-04 23:17:08ところで、かつて存在した(無時間的に存在する)ソクラテスが〈現在死んでいる〉という性質の主体であることを認められるときには、主体の問題は生じないと思われます。
2012-01-04 23:23:28そうだとすると、かつて存在した(無時間的に存在する)鈴木が〈現在死の害を被る〉という性質の主体であることを認めることに困難はないと思います。実際「気づかなくても被りうるものとして」捉えられた死の害には、鈴木が死後において存在することを要請するものは何もないのではないかと。
2012-01-04 23:26:04@iklog 死んだソクラテスはもういません。「死んだソクラテス」についてわれわれが言及するときは、生きてたときのソクラテスについて喋ってます。
2012-01-04 23:39:51ええと、これは死後の害の例ですよね。私はここではとりあえず死の害にのみ集中したいです。死後の害については、幾つもの問題があることはわかります。RT @eguchi1965: 現在死んでる特攻隊を康邦で祭らないと害してるとか言われるのいやじゃん。
2012-01-04 23:45:37@iklog いや、それでもいいけど、そういう形而上学を採用してなにかよいことがありますか? 今存在していないけど無時間的に存在しているソクラテスについていろいろなことが言えるようになる?
2012-01-04 23:47:24現在存在しないソクラテスについて、なぜ様々な有意味で真な主張ができるのか(死んでいる、有名である、死の害を被る…)を説明することができます。RT @eguchi1965: @iklog いや、それでもいいけど、そういう形而上学を採用してなにかよいことがありますか?…
2012-01-04 23:50:51んじゃいったいなんの害の話をしているのですか? 10年前に不慮の事故で死んだAさんに対して、その事故が*今現に*Aさんに害を与えていると言わないとならんのでは?
2012-01-04 23:49:15私の目標としては視野に入れてはいますが、現在の議論とは独立だと考えます。RT @eguchi1965: @iklog んじゃ死後に加える害は関係ないのですね?
2012-01-04 23:49:31