2012.2.2 ヨアヒム・ラートカウ氏インタビュー
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【IWJ・UST】 2月2日10:00〜Ch1にて、ヨアヒム・ラートカウ氏インタビュー を中継します。 [インタビュアー] 朴勝俊 関西学院大学教授/大島堅一 立命館大学教授 Ch1→ http://t.co/08sKKTG3
2012-02-02 01:18:59ヨアヒム・ラートカウ氏は、「ドイツ反原発運動小史」の著者。現在来日中で、立命館大学の大島堅一教授が絶賛。同時に、誰かインタビューしないのかとツィッターで呼びかけたので、私が挙手。しかし、明日しか時間がなく、福島での予定が目一杯詰まっているので、大島教授にインタビューをお願いした。
2012-02-02 01:25:45ラートカウ先生「驚くべきことに、ノーベル賞物理学者で原子力の守護神とも言うべきハイゼンベルグの手紙から、彼が原発技術の実態をまったく理解していないことがわかった。たとえば1953年に高速増殖炉がすぐに実現すると信じていた。このことから私は専門家を簡単には信頼しえぬことを学んだ。」
2012-01-31 22:54:20ラートカウ先生「バスに乗りながら、原発所長以下の専門家たちと議論したことがあった。途中で、バスの運転手が議論に参加した。彼は反原発で知識があった。議論が進むに連れて、所長はどんどん小さくなって後退し、運転手に言い負かされてしまったのだ。世俗の人が専門家を凌ぐことは稀ではない。」
2012-01-31 22:57:38ラートカウ先生「原発は理論上、安全に運営できるかもしれぬ。しかし情報は独占され、事故が起きても本当の規模すら人間にはわからない。そうなると、試行錯誤が効かない。試行錯誤できない技術は、発展しない。それゆえ、人間には安全に運営できないのだ。」http://t.co/khTHj5UC
2012-01-31 22:59:35ヨアヒム・ラートカウ氏プロフィール:1970年フリッツフィッシャー博士http://t.co/rPUGyuvBの元で論文を出した。フリッツフィッシャー博士は、ドイツの伝統を否定するような立場で非常に議論?のあった方。その下でナチス時代にアメリカに移民したような人達の研究を始めた。
2012-02-02 12:45:481933年アメリカに移民したハルガテンhttp://t.co/pGA0cnbvという研究者が原子力の研究をしていた。日本にも長年いて教授もされていた。ハルガテンは、広島(原爆投下)のことに大変ショックを受けた。アメリカに移民をした人達は、マンハッタン計画に関わった人が多かった。
2012-02-02 12:55:51ナチスのホロコーストに追われてアメリカに移民をした人達が、原爆を作るのに加担したことは、歴史的にアイロニー皮肉ですね。この問題を一つの問題として、核技術に関する博士論文を1980年にビーレフェルト大学で出す事になった。
2012-02-03 02:50:24大島教授:福島第一事故が不幸にして日本で起きて非常に大きな被害をもたらした。研究者として、何故福島のような事故が起きてしまったのか見解を聞かせて欲しい。
2012-02-02 13:07:19ラートカウ氏:外国の人間なので日本の事は大きく言えない。見聞きしている事も間接的なので気をつけて発言する(お気遣い痛み入ります)言える事は3点。これは印象ですが、これはパラドクス逆説的な事だと思う。日本の最先端の科学者達はあまり原子力に希望や情熱というものが無かったのではないか?
2012-02-02 13:22:05トップの科学者は違った分野に進んでいったのではないかと考えられる。だからアメリカから原発(沸騰水型)を輸入した。沸騰水型は、様々な問題を抱えていて最先端とは言えなかった。最高の技術者・科学者達が関わっていれば、こういうものを輸入する事は避けられたのではないかと思う。
2012-02-02 13:25:002つめは地震の問題。原発は地震の有無に関わらず内在的な問題があるが、特に地震は避ける事ができない問題。アメリカは地震問題を重要視していた。アメリカ初期の反原発運動で1番成功したのが、北サンフランシスコの原発が計画された時。その時地震の危険性があるという事で原発建設が中止になった。
2012-02-02 13:39:22北サンフランシスコには、1906年大きな地震があった。その記憶がありそこへの建設は避けた。それ以降もアメリカの原子力規制当局は、地震が起こりうる地域への原発の建設を認めていない。
2012-02-02 13:43:393つめは日本の環境保護運動の問題。日本は、水俣やその他の公害問題にしても、大きな反対運動で様々な変化をもたらしてきた。これはドイツに対しても、日本は公害対策の成功例として伝えられている。日本の反公害運動は弱いと思わないが、しかし反核運動というのはかなり押さえ込まれていると言える。
2012-02-02 13:52:12ドイツの高速増殖炉カルカーの設計者が興味深い事を言っている。『自分が高速炉を設計した時代にもっと激しい反原発運動があったら、コストを削れと言う経営者に対して、コストがかかっても、もっと安全な原発を設計したのではないか』と言っている。それくらい運動は大事もの。
2012-02-02 14:03:28大島教授:運動の大事さ、運動する事で変化をもたらしてきた。今、日本も歴史的な転換点にあると思っている。ドイツは、日本人から見て脱原発社会を一歩踏み出し、ずっと先にいっている国という印象。どうしてドイツで脱原発が成功したのか?
2012-02-02 14:11:35ラートカウ氏:ドイツが希望と言ってくれる事は嬉しい。どうやって運動が成功したかは、そう簡単には言えない。というのは、スイスやオーストリアなどドイツ語を喋る国々のほうがドイツより早く、1970年代頃から運動を始めてきて原子炉を停めてきた。
2012-02-02 14:26:15ドイツの推進派は『ドイツ人は一般的にロマン主義的な思考で後ろ向きである。進歩のある技術に懐疑的で批判的である。ヒステリーのようなもので、これをドイツ的な不安と言う。ドイツ人はそういう性格を持っている』と言う。でも、必ずしもそうではない。それは歴史的な側面から反論できる。
2012-02-02 14:29:50