巽昌章氏によるミステリー「本格冬の時代」考

1 冬の時代の存否をめぐる議論は、いちおう、「現実離れ」「お化け屋敷」を好むか否かによって左右されるといえる。  2 しかし、単なる趣味の違いですまされないのは、リアリズムへの同調圧力が働いていたのではないかという点である。 3 クローズドサークルや名探偵や連続見立て殺人といった意匠自体が本格の「伝統」だとはいえず、たとえば、新本格によって過去の伝統が作り直されるといった倒錯も生じる。  4 したがって、連綿たる本格の伝統が社会派によって中断され、新本格で復興したなどというのは単純すぎる史観である。 5 また、冬の時代の要因としては、社会派よりも戦後の海外ミステリを手本とした進歩主義の影響が大きい。  続きを読む
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巽昌章 @kumonoaruji

「掌上の黄金仮面」を読んだ時の、まさに胸のすくような気持ちは今も忘れられない。トリックを成り立たせるためだけに、へんてこな大仏のある街並みを設定し、そこで登場人物にへんてこな行動をさせているのだ。

2012-05-07 21:09:06
巽昌章 @kumonoaruji

こうした初期の泡坂作品には、いわばパフォーマティヴな意味がこめられていたはずだ。「現実離れ」で何が悪い、「必然性」などは、謎解きの面白さを実現するためだけで十分だ、という。

2012-05-07 21:12:38
巽昌章 @kumonoaruji

私にとっての「冬の時代」の一つの意味は、こうしたところにある。「現実離れ」を許さない、小うるさいリアリズム主義者が跋扈する鬱陶しさを感じていたということである。だから、「掌上の黄金仮面」のばかばかしさに、救われる思いがした。

2012-05-07 21:16:39
巽昌章 @kumonoaruji

実際、「幻影城」の評論方面を見てみれば、こうしたリアリズム至上の傾向がうかがえるはずだ。当時、評論家らしい評論家といえば、まず権田萬治氏だった。だから、私は権田氏の活動には十分に敬意を払うつもりだが、同時に、彼がリアリズムへの同調圧力を体現する存在だったとも思っている。

2012-05-07 21:21:15
巽昌章 @kumonoaruji

それがなぜ間違いなのか?幼稚なお化け屋敷を卒業し、大人の読み物としての推理小説に市民権を得させようというのは正論ではないか?そう考える人も多いかもしれない。だが、そうした「正論」によって見失われるものがある。

2012-05-07 21:24:20
巽昌章 @kumonoaruji

たとえば、松本清張は決してトリックを軽視しなかった。エッセイでは、トリックを考える頭の中は地獄だと書いているが、そんな地獄とつきあってまで、やはりトリックは手放せなかったのだ。だが、清張的リアリズムの小説世界において、トリックはなぜ存在しうるのだろう。

2012-05-07 21:26:44
巽昌章 @kumonoaruji

現実の犯罪事件で、巧緻なアリバイトリックを弄する犯人などまずいないし、トリックがあることによって、その小説が多かれ少なかれ現実離れした遊戯的なものとなることは否定できないはずだ。では、清張にとって、自分の小説にトリックをもちこむ積極的な意義はあったのだろうか。

2012-05-07 21:29:43
巽昌章 @kumonoaruji

清張に限らない。小説の舞台や登場人物はなるべくリアルであるべきだ、だが、推理小説なのだからトリックはあった方が良い、こんな考え方には、根本的に抜けているところがある。なぜトリックがあるべきなのか、というより、小説の中にトリックがあることによって、いったい何が変わるのか。

2012-05-07 21:32:25
巽昌章 @kumonoaruji

都筑道夫が論じた「トリックの必然性」とは、登場人物がトリックを弄する功利的理由が必要だとの意味だった。さらに、その理由が面白い「論理のアクロバット」たるべきだという問題提起だった。私が言う「なぜトリックがあるべきなのか」という問いは、そうした作中人物にとっての功利性とは別である。

2012-05-07 21:37:00
巽昌章 @kumonoaruji

たとえば、大坪砂男の「天狗」にはトリックの功利的理由などないが、トリックが中心にあることで、小説は前代未聞の感銘を残す。『点と線』のトリックは、実用性という面では古びているが、当時の社会や犯人の心情を象徴するものとしては、いまも新たな読解をさそう。これらもトリックの存在意義だ。

2012-05-07 21:45:02
巽昌章 @kumonoaruji

要するに、トリックや論理がなぜなければならないのか、それらを内にはらんだ推理小説とは、他の小説とどこが違ってくるのか、という意識が必要である。当時のリアリズム推理小説には、そうした問題意識はなかった。私はそれを自堕落だと思った。私にとっての「冬の時代」の二つ目の意味がそれである。

2012-05-07 21:49:07
巽昌章 @kumonoaruji

「冬の時代」の例証としてよく挙げられるのは、鮎川哲也の発言であるが、土屋隆夫も、『針の誘い』の序文で、「これは推理小説です。衰理小説ではありません」ではじまる熱烈な信仰告白をし、かつ、各章の冒頭にヴァン・ダインなどの引用を据えるというパフォーマンスをしてみせた。

2012-05-07 21:51:46
巽昌章 @kumonoaruji

彼らの危機意識について注意しておくべきことは、彼らが基本は「リアリズム」の作家だったことだ。鮎川の鬼貫警部もの、土屋の千草検事ものや『天国は遠すぎる』『危険な童話』といった長編は、いずれも職業的捜査官の地道な活動に立脚している。しかし、彼らは「冬の時代」の孤高のヒーローだった。

2012-05-07 21:57:16
巽昌章 @kumonoaruji

かといって、トリックを扱う作家が完全に払底していたとも言い難い。なぜ彼らが危機意識を抱いたのか。それは、彼らが作中でトリックや論理を徹底的に追求しようとする作家だったからだと思う。トリックのための小説、論理のための小説。その徹底性が彼らを孤独にした。

2012-05-07 22:02:07
巽昌章 @kumonoaruji

逆にいえば、そこまで徹底することによって、私の言う、なぜ推理小説にはトリックや論理があるのか、という問題が顕在化するともいえるのだ。

2012-05-07 22:03:11
巽昌章 @kumonoaruji

冬の時代の話の続き。昨日書いたことをまとめ直すと、1 冬の時代の存否をめぐる議論は、いちおう、「現実離れ」「お化け屋敷」を好むか否かによって左右されるといえる。 2 しかし、単なる趣味の違いですまされないのは、リアリズムへの同調圧力が働いていたのではないかという点である。

2012-05-08 20:10:02
巽昌章 @kumonoaruji

3 クローズドサークルや名探偵や連続見立て殺人といった意匠自体が本格の「伝統」だとはいえず、たとえば、新本格によって過去の伝統が作り直されるといった倒錯も生じる。 4 したがって、連綿たる本格の伝統が社会派によって中断され、新本格で復興したなどというのは単純すぎる史観である。

2012-05-08 20:13:03
巽昌章 @kumonoaruji

5 また、冬の時代の要因としては、社会派よりも戦後の海外ミステリを手本とした進歩主義の影響が大きい。 6 「現実離れ」への抑圧、リアリズムへの同調圧力があったと思う。 7 冬の時代の第二の意味として、推理小説がなぜトリックや論理を内にはらんだ存在なのかという意識の欠如を挙げたい。

2012-05-08 20:17:02
巽昌章 @kumonoaruji

567の関係についてもう少し論じたいのだが、今日は時間がない。ただ、先に、「同調圧力」について触れておきたい。もともとこうした圧力は、別に法律や条例で規制したわけではないので、はっきり目に見えるものではない。だから水掛け論になりがちである。

2012-05-08 20:29:21
巽昌章 @kumonoaruji

冬の時代があったという人にとって、こうした目に見えない力をさかのぼって立証しろというのは過酷な話になる。逆に、なかったという人に対して、「目に見えない圧力のなかったことの証明」を求めるのも、やはり過酷だろう。

2012-05-08 20:31:31
巽昌章 @kumonoaruji

ただ、検証可能な部分もあるので、それを挙げておきたい。ひとつは、昨日触れたように、奇抜な設定や名探偵といった意匠に対し、「そのようなものを描く必然性がない」といった批判がされていたかどうか、また、それが「圧力」といえるような形でされていたかどうかである。

2012-05-08 20:36:31
巽昌章 @kumonoaruji

現実離れした小説を書くには特別の必然性が要る、という考えがアプリオリに肯定され、それを前提として、「必然性」が当然のように要求されていたのなら、それは圧力と呼んでよいと考える。ただし、いま資料を引っ張り出して例証するだけの余裕がない。

2012-05-08 20:41:11
巽昌章 @kumonoaruji

次に、推理小説に、現実社会の制度や史実との齟齬があった場合の批判のされ方である。推理小説は当然に現実社会や史実と合致していなければならないという考えが支配的なら、その批判は一方的な糾弾になるだろう。逆にいえば、居丈高な批判がされていたかどうかによって、同調圧力の存否を推し量れる。

2012-05-08 20:46:35
巽昌章 @kumonoaruji

いずれその宿題も片づけたいが、私の重視するのは、「圧力」の有無より、「現実離れ」を批判する人が推理小説のあり方をどの程度詰めて考えていたのかという方である。圧力をかけられて悔しかったというより、こいつらほんとは推理小説のことちゃんと考えてね―な、というのが当時の私の実感だった。

2012-05-08 20:51:34