【三国志&中国史】左右の優劣

中国史での左右の優劣に関連したと思うツイートをまとめてみた。左右尊卑 右尊左卑 左尊右卑 サイト:歴華泉 http://rekishiizumi.web.fc2.com/
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goushu @goushuouji

趙翼の説だと、本来平時では左を尊んでいたが、郷飲酒礼に見られるように、宴会の席では例外的に右(西)が尊ばれたのが、宴会以外にも広がって、戦国・秦・漢のように右を尊ぶ風習になったんだとする

2012-05-20 03:47:07
goushu @goushuouji

清の黄以周は、何休の公羊注を引用して今文系の学者は右を尊んだと言ってる。(『礼書通故』職官礼通故5)それが本当なら、儒学者にも左ではなく右を尊んだ一派があったといういことか?

2012-05-20 04:00:45
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

「左遷」や「右に出るものはない」は熟語なんで左右の優劣や吉凶には関係ないと思う(ノ)・ω・(ヾ)ムニムニ

2012-05-20 09:19:17
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

老子や礼記や論語では「左を吉」「右を凶」・「左を平時」「右を兵事」とする。

2012-05-20 09:21:08
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

「左右の優位」から派生して、漢から魏にかけての爵制の変容に興味を持ったので調べる。

2012-05-20 11:25:51
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

やっぱ左右の優劣や爵位については大学図書館とか行かないとこれ以上調べるのは無理(ノ)・ω・(ヾ)ムニムニ

2012-05-22 13:22:56
drきのこる(専門なき専門バカ) @drkinokoru

左右論なかなかもりあがってるようですな。単純に定住が右優位、遊牧が左優位とかで決まってると思ってました。時代によって変わる理由ってなんなんでしょうね? RT @korekorebox:やっぱ左右の優劣や爵位については大学図書館とか行かないとこれ以上調べるのは無理(ノ)・ω・(ヾ)

2012-05-22 13:28:28
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

自分としては、儒教や老子の影響が濃いか薄いかだと思うんです。あと、儒教や老子の影響が濃い場合は行政職や爵位に将軍号は左優位で、兵職が右優位になっているんだと思いました。全て左優位になったり右優位になるという思い込みで混乱が起きるんだと思います。RT:@drkinokoru

2012-05-22 13:41:22
アキラ・フォン・ランズベルク @akirakenkian

@korekorebox @drkinokoru その…中国の官制における左右の優劣は時代で変わってるって…昔そんな論文を読んだのですが…思い出せぬ…(涙)

2012-05-22 13:43:14
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

@akirakenkian @drkinokoru 春秋左氏伝の「中夏は右を尊び、楚は右を尊ぶ」この中夏って、春秋戦国時代で言うと秦のあたりだと思うんですよね。だから秦の制度では儒教と違って右優位で、当時は地方ごとに右左の優位がたがったんだと思います。

2012-05-22 13:48:25
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

@akirakenkian @drkinokoru 儒教の国教化以降、行政職の記述が多い時代と兵職の記述が多い時代で左右の優位を示す記述の多さが変わるので時代によって左右の優位が変わるように見えたんじゃないかなと予想します(ノ)・ω・(ヾ)ムニムニ

2012-05-22 13:52:29
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

@akirakenkian @drkinokoru 論文読んでみたいけど、普通の図書館じゃ置いてないし大学図書館は雰囲気としてあんま行きたくないw

2012-05-22 13:59:07
アキラ・フォン・ランズベルク @akirakenkian

@korekorebox @drkinokoru なんですよねぇ、古い論文だから多分ネットで拾えないし

2012-05-22 14:00:27
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

@akirakenkian @drkinokoru Wikiで「老子にあるように世が乱れた時は右優位で、世が平穏な時は左優位だった」なんてあるけど、「六朝が平穏ってちょっと待て!」と言いたい。要出典になってるけど、その記事の出典を知りたいw

2012-05-22 14:04:36
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

老子や儒教において、君子や客が座る上座は左。兵を用いる時は右を上座とする。

2012-05-22 14:13:27
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

左右の優位を話している時、同時代でも場合によって左右の優位が逆転すると言うのを聞いたことがない。どちらか一方に全て統一されているはずという感じの会話ばかりだった(ノ)・ω・(ヾ)ムニムニ

2012-05-22 14:19:02
goushu @goushuouji

@korekorebox ところが清の趙翼さんの説によると儒教では酒宴では賓客が座る上座は右になるらしいですよ

2012-05-22 14:33:35
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

@goushuouji 清の時代ですか(ノ)`ω′(ヾ)ムニムニムニ!?礼記の記述だと、身分が下の客が左の上座を遠慮しても左の上座を薦めるとあるのに、どういう解釈なんだろう。どっかに載ってる(ノ)・ω・(ヾ)ムニムニ?

2012-05-22 14:40:57
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

「左丞と右丞」設置当初は上下の違いはなかった。後年になると、左丞には人事の選任権などの権限が付与され地位が上がる。しかし、清代になると権限は元にもどされ右丞との上下の差はなくなる。(東洋歴史大辞典より)

2012-05-22 20:54:25
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

やっぱり左右尊卑に関しては、個別の時代で何でもかんでも左右どちらかの尊卑に傾いていたという考えばかりなようだ(ノ)・ω・(ヾ)ムニムニ

2012-05-24 08:51:58
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

道路の交通方法だって日本では歩行者は右側で自動車は左側となっている。道路の交通は左右の尊卑とは関係ないけど、場合によって左右の尊卑が使い分けられていたと考えられないだろうか(ノ)・ω・(ヾ)ムニムニ?

2012-05-24 08:54:59
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

漢代以降、言葉としての左右と儀礼としての左右の優劣は乖離して反対の意味を持っていたんのかもしれない(ノ)・ω・(ヾ)ムニムニ

2012-05-26 21:57:39
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

木簡や竹簡などで官位などを順番に書いた場合、右から順に位の高い官位を書いていく。だから上位に行く事を言葉として右と言ったのかもしれない。逆に下がる人を左と言ったのかもしれない(ノ)・ω・(ヾ)ムニムニ

2012-05-26 22:05:43
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

表を見て右肩上がりと言うとする。見てる側からすれば右だけれども、表を人に見立てて言えば左肩が上がっている事になる。だから、人から見れば右でも本人からは左と言う事になる。そういう見方もあったかもしれん(ノ)・ω・(ヾ)ムニムニ

2012-05-26 22:08:14
叔嗣(しゅくし) @korekorebox

だから、本人からすれば左は吉礼で右は凶礼となるのかも(ノ)・ω・(ヾ)ムニムニ

2012-05-26 22:09:58
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