般若心経・空・無我

備忘録。仏教トーク楽しいなぁ。
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@stogyo

昨日の講義でたまたまスマナサーラさんの話が出たのだけど,「スマナサーラさんは大乗が嫌いっぽい」という共通認識だった.naagitaさんのツイートを読む限りその認識は間違ってないようだ.昔の部派の人たちも大乗に対してはそんな感覚だったのだろうか.

2010-07-03 16:51:30
@stogyo

そもそも仏教というやつがそんなに合理的なものだとも思えないのだけど(合理的という言葉の使い方にもよるが).いや仏教だけでなく,仏教を含むインド宗教思想史の全体を考えると,それらは数千年に渡って肥大化した誇大妄想の塊としか私には思えない.

2010-07-03 17:06:21
@stogyo

...なんてことを言うと研究者仲間からバッキバキに叩かれる(異常な)分野なので,普段はこんなこと言いません :-)

2010-07-03 17:11:43
@stogyo

ただ,「苦の解消」という単純な目的にとっていかなる手段をとることが合理的か,という問題を考えるとき,古代人の方法に比して我々が進歩していると言えないかもしれない.1000年,2000年先のことは分からないが.

2010-07-03 17:35:37
@stogyo

我々にとって不合理に見える振舞いが,我々にとって追求することが合理的に思える目的の達成にとって,(少なくとも既存の方法の中では)最も効果的なものであることはあり得る.その場合,ある種の人々は,「合理的に考えた末に不合理な振舞いに至る」ことを考えるがそれを実践するのは難しい.

2010-07-03 18:04:54
@stogyo

結局は,最も不合理な人々が最も合理的であるというパラドキシカルな結論になる.(もちろん嘘である.前と後の「合理」は意味が違うから.)

2010-07-03 18:13:10
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

.@stogyo 大体同意しますけど(いちお、釈尊以外はw)、西欧と違って戦争や異端者狩りや植民地支配に加担する事なく、ほとんど平和裏に肥大し続けた誇大妄想という点では、これからも妄想し続けるしかない人類にとって、インド思想はピースな妄想術として学ぶべき価値があるかと。

2010-07-04 02:00:11
@stogyo

@naagita わたしもそう思いますよ >インド思想はピースな妄想術として学ぶべき価値がある ...なので,一方でスマナサーラさんの「病気だ」発言を聞いて「結構激しいことを仰るのだな」と驚きました :-)

2010-07-04 02:08:43
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

.@stogyo パパンチャを弄んでる奴らはみんな病気!というスタンスと思います。もうちょっと引いて話す場合は、「大乗仏教は元々の仏教を素材に俗人がごちゃごちゃ考えて作った宗教なので、欠陥だらけだけど、他よりは遥かにましな作品ではある」というようなことは仰っていたような。

2010-07-04 03:02:36
@stogyo

@naagita なるほど.言い方はキツイですが,でもそういうスタンスって基本的にはいいものだと私は思います :-) でもスマナサーラさんの『般若心経』の理解はちょっとまずいところがあった気がします(うろ覚えです).たぶん註釈とか読んでらっしゃらないのだろうなという気がしました.

2010-07-04 03:09:07
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@stogyo 長老の『般若心経』解釈の「ちょっとまずいところ」、もし思い出したらお手すきの時に教えてください。長老にもお伝えしておきます。

2010-07-04 03:16:21
@stogyo

@naagita 了解しました.今手元にないのでまたいずれ.ちなみにその箇所は「空即是色」の解釈についてなのですが,プラシャーストラセーナの註釈があって,一応説得的な解釈を示しているようです.私は専門ではないので明言できませんが.

2010-07-04 03:22:41
@70702

【「スマナサーラ長老の般若心経批判」批判】 [http://bit.ly/dsZmUq] 「大乗とテーラワーダでは、そもそも、空の定義が違うんだお!」(by 蜜猟)

2010-07-04 10:53:09
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@70702 すみません、リンク先見ましたけど、大乗仏教でもこのように「空」を定義する人は少ないのでは?

2010-07-04 19:03:52
@70702

@naagita 山下先生(@Sudhammacara)の「空」の定義とほとんど同じだったので、あれが大乗での「空」の定義なんだと思ってしまいました。勉強不足ですみません。ただ、修行して実際に「空」を体感した人は、「大いなるイノチ=空」みたいな理解の人が多いです。

2010-07-04 19:19:28
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@70702 うーん…「空と」体験するのと、「空を」体験するのとは違うんじゃいでしょうかねぇ。「大いなるイノチ=空」となると、個ほとんどヒンドゥー教化した「空」のように思えますけど。

2010-07-04 19:48:47
@70702

@naagita そうですね。本人たちに聞いて欲しいです(笑)ただ、私の考えを述べると、「空」の理解のレベルが違うだけで、スマナサーラ長老もインターネット和尚も間違っていないと思います。例えば、我々の無常の理解と悟った人の無常の理解は違います。(続く)

2010-07-04 20:58:28
@70702

@naagita 普通の「空」の理解は、「現象は複数の要素から成り立っている。よって、実体はない」ということです。悟っていない我々はこの定義について暗黙の了解があります。それは、「要素は独立に存在する」ということです。

2010-07-04 21:34:32
@70702

@naagita しかし、インターネット和尚や山下先生によると「すべては根源では、つながっている」らしいです。これは、そういう思想とか考えではなく、悟りの実体験としてそれがリアリティーらしいです。その次元では、「要素が組み合わさって」というのが成り立たなくなりますね。(続く)

2010-07-04 22:12:34
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@70702 アビダルマの議論ですが、南方分別説部では、色・心・心所が有為法(施設)、涅槃のみが無為法です。要素が独立に存在するという教えはないです。そういう「暗黙の了解」は慎重に排除されていると思います。

2010-07-04 22:18:13
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@70702 悟りのリアリティといいますが、どうも、単なるおっちょこちょいな気がします。空性を現観したら、執受から離れないと解脱じゃないです。煩悩はそのまんまです。例として挙げた方々の話は、「空性(という現象)への執着」をこじらせているに過ぎないのではないかでしょうか?

2010-07-04 22:38:46
@70702

@naagita うまく伝えられませんが、別に学問的なことは間違いだといっていません。ただ、テーラワーダ的な世界観とは異なったリアリティーを体験している人の話を紹介したかっただけです。そして、私はどちらかというと瞑想者の観たリアリティーを尊重したい。

2010-07-04 22:41:38
@70702

@naagita 私には、当人たちに煩悩が残っているかどうかまではわかりません。それは、人それぞれの見方だと思います。

2010-07-04 23:01:53
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

@70702 もちろん、それぞれの方が自分の修行体験を通して自分なりの宗教観を確立されることは自由と思います。ただ般若心経については、批判するにせよ擁護するにせよ、その経典が書かれた当時の「空」理解に依らないと。味噌でも糞でも代入できる、現代の堕落した「空」ではなく。

2010-07-04 23:51:07
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

今日の法談まとめ。「空と」観るのは智者。「空を」観るのはおっちょこちょい。

2010-07-04 23:57:27
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