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ハイデッガー Heidegger 技術論・ニーチェ論

ハイデガーをめぐるツイートのまとめ。二部構成。①部は、ハイデガーの技術論をめぐる國分氏と齋藤氏の対話を中心に。②部は、ハイデガーのニーチェ論を中心にしたもの。ユンガー『労働者』が上梓され、『技術への問い』は平凡社ライブラリーより11月に刊行。
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nos @unspiritualized

#nowreading ハイデッガー研究会『科学と技術への問い』(理想社) まだ収められた論文の半分ほどしか読めていないが、森一郎の『ブレーメン講演』の読解はとてもいい。P・トラヴニーのハイデッガー/ユンガー論よりも一歩先に踏み込んでいる。『思想としての3・11』の共著者か。

2012-12-29 00:24:12

② ハイデガーのニーチェ解釈

Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

ハイデガーは決して好きといえる哲学者ではないけれど、『存在と時間』を読む経験は特別なものだった。この本を読んでいる時、「ああ、もう少しで決定的なことが語られるのではないか!?」という予感にしばしば襲われながら読んだ。そんな読書体験を与えてくれる本は少ない。

2012-07-11 00:10:10
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit 確かに『存在と時間』にはただならぬ緊張感とデモーニッシュな高揚感がありますね。その魅力によって惹きつけられる人たちがいる反面、警戒感を抱く人たちも数多くいるという相反する事態は、昔も今も変わらないように思います。

2012-07-11 00:26:56
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

@eksistenz ありがとうございます。『存在と時間』に漂うただならぬ緊張感、おっしゃる通りです。深淵にのぞんでいくようなデモーニッシュというかウンハイムリッヒというか、そんな気配に教われました。

2012-07-11 00:33:41
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

ハイデガーは確か「沈黙について誰が黙りうるだろうか」ということを、『言葉についての対話』だったかで語っていましたが、「語りえぬものについては沈黙せねばならない」と語ったヴィトゲンシュタインとは対極にくるだろうと思います。

2012-07-11 00:37:18
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

ハイデガーなしではデリダの思考は生まれなかったし、レヴィナスやブランショもハイデガーと対峙することで思考を磨き上げた。しかしながら、ハイデガーやデリダには驚嘆とともにある種の警戒心を抱いてしまう。それは根源への意志とでも名づけてよさそうなものかもしれない。

2012-07-11 00:45:10
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit ハイデガーの深淵への「巻き込まれ」 感、例えばニーチェの「覗き込み」感とも違いますね。「言語の限界への接近」という点でヴィトゲンシュタインはハイデガーに共感したと言われていますが、結局限界点での乱反射に応じて思考の相違が生まれる、と言えるでしょうか。

2012-07-11 00:54:19
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

@eksistenz ありがとうございます。十分な応答ができそうにありませんが、ハイデガーの深淵は「根源への意志」とでもいうべきものに関連してるような印象があります。デリダにも見出せるような語源学的身ぶりもそうですしギリシアへの眼差しもそうです。明日改めて考えてみたいと思います。

2012-07-11 01:03:16
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

@eksistenz ハイデガーとニーチェの違いという点についてですが、ハイデガーの『ニーチェ』はあまり面白く読めなかったんです。『存在と時間』に比べると魅力に欠けていて、デリダのニーチェ論『エプロン』のほうが遥かに面白く、またハイデガー的でもあるのではないかという印象でした。

2012-07-11 21:05:03
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit わたしも『エプロン』にはとても刺激を受けた覚えがあります。ニーチェと女性というこの書の主題そのものにはかかわるわけではありませんが、ハイデガーのニーチェ解釈の(そしてハイデガーの解釈学の構成そのものの)盲点というものへの批判的意識を強く教えられました。

2012-07-11 23:38:30
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit そうした眼差しは、デリダのハイデガー解釈全般に通底していると言えるでしょうけれども。また、デリダが本書のもともとのタイトルに掲げながらも取り上げなかった「文体」の問題についても、サラ・コフマンを経由して多くを考えさせられました。

2012-07-11 23:41:23
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit ハイデガーは、ニーチェ解釈と同時期に書き進められた『哲学への寄与』などではニーチェ特有のアフォリズムを髣髴とさせる文体を使用していますが、実はそれとの「差異」というものも強く意識していたという事実は面白い点です。成功したかどうかはまた別問題ですが(笑)

2012-07-11 23:46:39
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

@eksistenz ご教示ありがとうございます!『哲学への寄与』のことは知りませんでした。ハイデガーが意識的にアフォリズム的文体を用いたことがあるんですね。というか読んでない本は山ほどあります…。デリダ『エプロン』とコフマン『ニーチェとメタファー』はかなり刺激を受けた本でした。

2012-07-12 00:02:25
Motoki Saito @eksistenz

ハイデガーの『ニーチェ』の解釈は実に評判が悪いけれども、ニーチェに寄り添っている部分と離反する部分とを丁寧に見てゆく必要がある。おそらく『芸術としての力への意志』などで展開されている解釈は、ニーチェに寄り添い、その論理を彼以上に整然と解き明かそうという意欲に満ちている。

2012-07-11 23:59:23
Motoki Saito @eksistenz

他方、ニーチェを批判する段になると、ほとんど自分の存在論的差異の枠組みだけをニーチェに押しつけているとしか言えない解釈だけが展開される。しかしその真意は、ハイデガーのニーチェ解釈が「かつての自己自身への批判」であるという点を見落としてはならないように思う。

2012-07-12 00:01:42
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

ハイデガー『ニーチェ』についてはどういう立ち位置で読むかによって、評価の質は変わってくるのでしょうね。ただ少なくとも個人的には『存在と時間』の魅力の半分も感じさせなかったのでした。最初から落としどころを決めていた読解だったように思います。

2012-07-12 00:08:51
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit 『哲学への寄与』では、アフォリズム風の文体、というかまさしく「つぶやき」のようなものが延々と続きます(笑)。長らく公開を想定せず秘匿されていた文書なので、「自分の思想のためのメモ」というわけなのですが、まさしくそれゆえにこれが難解極まります。

2012-07-12 00:09:41
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit そのため、ニーチェのアフォリズムとの親近性を指摘する人たちもしばしばおり、私もそうだと思うのですが、他方でそれとの距離化を必死でハイデガーは模索してもいます。『寄与』を含めた同時期の断片を「アフォリズムではない」と言っているくらいですから(笑)。

2012-07-12 00:12:01
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

@eksistenz 興味深いです!というのも『存在と時間』には、生々しいと呼んでいいような雰囲気、思考のプロセスに立ち会っているような臨場感、そんな不穏な気配を感じさせる力があったからでした。それにしてもニーチェを踏み台にしたがっているような姿勢がハイデガーから感じられそうな。

2012-07-12 00:14:52
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit おっしゃるとおり、おそらく『存在と時間』を根底で突き動かしていたのはニーチェではないかとさえ思わせますね。だからこそ、のちのニーチェ解釈をとおしての自己批判が必然的なものになるように思われます。

2012-07-12 00:18:58
Shigeo Hayashi @HAYASHI_twit

@eksistenz 私のハイデガー読書は『ニーチェ』で止まってしまったのですが、斎藤さんからの示唆でもう少し読んでみたくなりました。『野の道での会話』『道標』あたりには以前から赴きたいなと思ってはいたのです。ただ私の場合はどうしてもデリダ経由になってしまいます。

2012-07-12 00:25:26
Motoki Saito @eksistenz

@HAYASHI_twit それでも構わないと思いますし、むしろさまざまな批判をハイデガーに投げかけることこそが重要ではないかと思います。それこそ、ハイデガーやデリダといった一定の圏域の中で通用する議論だけでなく、多様な議論へと開かれる「対話」へと繋がる哲学的姿勢だと思います。

2012-07-12 00:30:00
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