「軍師」っていう存在は実際にはなかったという話。

9/11、9/14あたりのツイートをまとめてみました。 関連するまとめ:実は、軍師は存在しなかったんだよ、という会話http://togetter.com/li/387984 ↑こちらには2014大河ドラマ発表(10/10)以後のツイートがまとめられています。
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お菓子っ子 @sweets_street

受)@FXMC_さんの御指摘通り、本来の幕僚の職責の中に天文や方術といったオカルト的な要素があったことの反映でしょう。現代から見れば天文だの方術だのは迷信としか思われないですが、過去の人々にとっては踏まえるべき常識でありました。皆が天文などを信じている世界では、(続

2012-09-13 23:52:08
お菓子っ子 @sweets_street

受)天文の吉凶次第で敵味方の士気が大きく変わってくるから、吉凶を占うのは作戦判断を左右する重要な情報を得るために必要なことだったのです。オカルトが常識として通用していた時代では、オカルトが人心に及ぼす影響を考慮して判断することが合理的ですから。(続

2012-09-13 23:56:05
お菓子っ子 @sweets_street

受)だから、講談などでイメージされる軍師像のうちのオカルト的要素は、情報参謀としての職務の1つを反映したものなのでしょう。結局のところ、「采配一つで諸将を縦横無尽に動かし、助言や策謀は常に誤りがない」という通俗的なイメージの中の軍師像というのは、(続

2012-09-14 00:03:33
お菓子っ子 @sweets_street

受)「スタッフを統括する管理職」「トップに助言するブレーン」「君主の代理として群臣に睨みを効かせる監察官」の理想像の反映なのでしょう。その軍師像を中国から輸入した日本で筆頭家老や政治顧問やトップの手足として軍監を務めた人物が軍師とされるのも無理は無いことなのかもしれませんね(終

2012-09-14 00:09:09
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

今日もお菓子さんが軍師について詳細な考察をしていて興味深く拝読しました。昨日も言ったけど、戦国大名に関していうならば、軍師の存在はありえないんだよね。

2012-09-14 02:04:20
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

というのも、たった一人の軍師が助言する→それをもとに戦国大名が軍事・政策を実行、って戦国大名の権力機構に合わないんですよ。

2012-09-14 02:05:53
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

戦国大名というのは、個別の領主では解決できない問題や、領主間の相論の解決を委ねられて成立した存在で。もちろんこれに巨大な軍事力による戦争からの保護、という側面もあるんだけれど、それはおいといて、前者に注目。

2012-09-14 02:08:03
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

みんなのトラブルの調停・解決、ということを期待されて成立した権力なので、世間一般に想像されているほど専制的な君主ではない訳です。合議を重んじ、かつ合議の決定を背景に自信の発言力を補強していった権力、というのが実像に近い。

2012-09-14 02:10:24
国際協調派 @kaz005

@kurmacf 鎌倉殿の時代はそうでも時代が下がって戦国期には地域的な中央集権が進んで戦国大名という認識でしたが違うんですね。地域差が有るとは思いますが。

2012-09-14 02:10:27
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

なので、たった一人の軍師の助言で物事を動かす、ということ自体がおかしな話になってくるわけです。軍師とはあくまで、江戸時代の講談や浄瑠璃で、話をうまく転がす為に創作されていった存在、と思ったほうがよい。主君の相談役がいたほうが、話は作りやすいはずです。

2012-09-14 02:13:28
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

.@kaz005 地域的な権力機構が構築されていくのはそうなんですが、あくまでそれは調停役が出発点です。ただし、一度調停役を委ねられたからには、強権を発動してでも家臣を従わせる必要が出てくる。これが喧嘩両成敗法などで、戦国大名を生み出した側からするとパラドックスになるわけです。

2012-09-14 02:16:39
国際協調派 @kaz005

@kurmacf なるほど。単純ではなく重層的なんですね。勉強になります。ありがとうございました。

2012-09-14 02:21:49
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

買って戦国大名は、ヨーロッパの絶対王政に比肩される、専制権力体と考えられて来ていました。ただ、もういい加減この考え方からは卒業すべきでしょう。学界では、だいぶ論調が変わって来ています。これには、絶対王政の定義自体が変わったこともありますが。

2012-09-14 02:23:41
とりん(・と・) @trinh_JP

@kurmacf 軍師イメージも多様でしょうが、政治面では合議の席で議論をリードしたり、調停の際に主君にアドバイスを与える役回り、身分的には側近で自身はあまり大規模な所領を持っていないといったイメージが強いですね。さて、合議でそういう人間がイニシアチブを取れたのか?

2012-09-14 02:27:00
お菓子っ子 @sweets_street

@trinh_JP @kurmacf 主君本人がイニシアチブを取るのも難しいのに、側近ならなおさら難しいと思いますよ

2012-09-14 02:31:10
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@trinh_JP まあ、難しいでしょうね。側近はどちらかというと主君と家臣の間を取り持つ取次役に終始したり、主君の意向を合議で代弁して主君をサポートする、そういう場合が多かったと思います。たとえば上杉景勝などは、直江兼続の起用後も、一門の上条政繁にそうとう遠慮しています。

2012-09-14 02:31:54
とりん(・と・) @trinh_JP

@kurmacf ではもう少し専門性が高そうな戦略担当参謀はどうか。国衆・豪族・直轄情報網から集めた情報を総合する情報分析担当。総合された情報を一手に掌握してそれを背景に外交・戦略面で最高経営会議での議論をリード。これはありえますか?

2012-09-14 02:37:28
地雷魚 @Jiraygyo

@sweets_street @trinh_JP @kurmacf ならば絶対王政とされる16世紀から17世紀のヨーロッパに軍師に相当する用語はあったのだろうか、などと

2012-09-14 02:38:53
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

.@trinh_JP 参謀、という概念が戦国時代には適さないように思います。重臣たちが、個人の人脈(自分の担当取次相手)から得た情報・要望をもとに、合議で発言し合い、自派の意見を通す。ざっくりいうと、自民党の陳情政治がイメージに近い。これで一致をみないと、お家騒動に。

2012-09-14 02:45:45
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

.@trinh_JP ちなみに情報の総合的判断をやってのけたのが、豊臣政権における豊臣秀吉だった、というのが従来の豊臣政権取次論(山本博文氏)です。つまり軍師ではなく主君がやっていた、という考え。

2012-09-14 02:48:41
とりん(・と・) @trinh_JP

@kurmacf 君主直轄で重臣から独立した強力な情報部門が無く、情報の総合と検討は重臣会議が担っていたと。

2012-09-14 02:49:06
扶桑委員会 @fussoo_moe

@Jiraygyo @sweets_street @trinh_JP @kurmacf なかったと思う。傭兵が主力で兵站は商人任せ。常備軍かが進んで参謀が設置されるようになってからじゃないかな。初期の参謀は行軍けいかくとかの事務屋さんだけど

2012-09-14 02:50:47
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf

@trinh_JP そんなイメージですね。もちろん側近は主君の日常的な相談相手だったでしょうが、参謀とまではいえない。また彼ら自身も特定の取次相手と結びついていたので、ロビイスト的側面がありましたし。

2012-09-14 02:53:11
とりん(・と・) @trinh_JP

ご論考を読んでおらず失礼な質問ですが、「従来の」ということは @kurmacf さんは別の見解ということでしょうか

2012-09-14 02:53:42
地雷魚 @Jiraygyo

@fussoo_moe @sweets_street @trinh_JP @kurmacf に安心できる心理があったのではないかなー、などと。君側の奸臣と軍師という概念は裏返しの東洋独特の概念のような気がする。

2012-09-14 02:54:09