宮脇昭理論(「潜在自然植生」)による森づくりをめぐって。(2012年11月)

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※青森県にある「イオンふるさとの森」のうち3カ所の状態(植栽後の経年はそれぞれ約15年、10年、8年)を検証した鹿糠耕治氏の論説(2004.11.20)。ページは「青森の自然環境を考える会」URI下にある。

▽「はじめに/ 私は、「自然林が存在している場所への宮脇理論によるポット苗植樹は不要である」という趣旨の論を展開するために、宮脇理論の構成の矛盾を拾い出すことの他、「宮脇理論の森造りの実践例」と考えていたイオンの森を何箇所か観察することになった。その観察結果は、むしろ「イオンの森は宮脇理論通りに行われていなかった」と結論付けたいものだった。/ 私は「宮脇理論には優れた点も矛盾点もある」と考えるものであり、その理論を評価もするが批判もする立場である。そして「宮脇理論による更地での森造り」の計画段階から運営管理まで宮脇理論どおりに行われたものの20年後の途中経過を是非見てみたかったし楽しみにもしていたのだ。残念ながらイオンの森はほんの一部を除いて宮脇理論の実践例というにはあまりにお粗末なものであり、これでは「宮脇理論という有力な仮説」の擁護はおろか、これを宮脇理論の実践例として批判することもできない。結局私の論は具体例に乏しい理論的なだけのものになってしまった。/ けれども、イオンの森の観察結果から、今日の植樹ブームの問題点が浮かび上がって来たこともあり、また批判だけして対案を出さないのもフェアではないのでここで対策案までまとめて置きたいと考えたわけである。それと面積のある下田〔青森県上北郡おいらせ町〕で、ほんの僅かの部分であるが宮脇理論の森として肯定できそうな部分が2箇所あることも付け加えておきたい。/ ここでは「イオン柏の森」〔イオンモールつがる柏。青森県つがる市。植樹後約15年〕、「イオン下田の森」〔イオンモール下田。青森県上北郡。植樹後約10年〕、及び同様な手法で行われた〔青森県〕八戸市の「マックスバリュ(イオングループ)城下の植栽」〔マックスバリュ 八戸城下店。植樹後約8年〕の3箇所の〔を〕観察した結果から、ここで私は 1)宮脇理論とイオンの森の乖離点 を指摘し、また 2)「何故そうなったのか」を推定し、3)「仮にそのまま放置されていればどの様だったのか?」も推定し、そしてその上で 4)理想的にはどうするべきであったのか を検討し さらに、5)同様のあるいはより良い結果をよりローコストで得るにはどうすべきだったのか を論ずることにする。」 (太字強調は引用者。)
  

(岡山理科大学植物生態研究室(波田研究室))

▼自然回復を目指した緑化|D. 事後のアフターケア|I. 環境アセスメント -地域の自然を把握し、解明して評価する-|地域情報生態学|Y.HADA'S Home Page http://had0.big.ous.ac.jp/gakunai/info-ecology/asessment/asessment2.htm
 ※「宮脇方式(宮脇式緑化)」として知られる「ポット苗」を用いた極相林構成種の密集植栽から生じる問題点を報告している。必読。
 ※ページは、岡山理科大学 生物地球学部生物地球学科の植物生態研究室(波田善夫研究室)のWebサイトURI下にある。(以下、文中の太字強調は引用者。)

▽「【2】郷土(在来)種による緑化/〔略〕/c.在来種緑化の問題点/〔略〕/ (5)ポット苗による樹林化/ a.背景/ 従来、樹木苗による緑化は畑地で栽培された苗木によって行われてきた。この方法はマツやスギなどの〔を〕植林する手法を利用したものである。畑で育てた苗木は植林直前に掘り取られるので、根の一部は切り取られることになり、輸送中の根鉢の崩れやそれの防止のための根巻き作業などが必要となる。/ 植林作業は植栽適期に実施されるが、工事により発生した法面〔のりめん〕などの緑化は、時期を選ばない緑化が実施されることが多い(その事は、実は大きな問題であるのだが)。そのために根の損傷がない、ポットに植栽して育てたポット苗が利用されることとなった。ポット苗による植栽は、(元)横浜国立大学の宮脇昭教授の提唱した、極相林構成種のポット苗密集植栽の流布によって、一挙に広まった。」
▽「b.ポット苗植栽の問題点/ ポット苗による植栽は、法面などの樹林化に関する緑化技術として活着率の向上、多様な苗を準備しておく事ができるなど、大きく貢献したといって良い。ポット苗の種類も多様な種が準備されており、思わぬ種も入手できるようになった。しかしながら、問題点がないわけではない。/ 当初、宮脇式緑化と呼ばれる極相林構成種の密集植栽は、工業団地などで公害防止などの環境林として実施されることが多かった。密植することにより草本の侵入を最低限に押さえることができ、苗木の成長によって、成長の悪いものが次第に間引きされ、やがて極相林へと育っていくと考えられており、メインテナンスフリーの緑であると言われていましたしかしながら、成長して結果が分かるにつれ、つぎのような問題点の存在が明らかになりました。/ (1)自己間引きが発生しない/ 自然の森林では、沢山の実生〔みしょう〕が存在し、成長に伴って次第に個体数が減少する、自己間引きが発生する。限られた面積で生育する事ができる樹木の個体数は限られており、樹木が成長するにしたがって、樹木の個体数は自然に減少するわけである。/ しかしながら、常緑樹密集植栽では、自己間引きが発生しにくく、年月が経過しても植栽当時の本数がほぼそのまま生残してしまう。その結果、樹高は高くなるものの本数が減少しないので幹直径はあまり太らず、モヤシ状態の細くて高い木から構成される森林となってしまう。このようなモヤシの林は強風には抵抗力が低く、台風などで被害を受けやすい。/ このような自己間引きが発生しにくい状況は、同じように植栽で成立した植林地でも見られる。スギやヒノキの植林地においても、植栽された個体はほとんど枯死せず、森林を健全に育てるためには成長が遅れた細い個体を人為的に除去する必要がある。このような作業を間伐と呼ぶが、この作業は植林事業における作業の中でも、かなりの労力が必要である。間伐が適切に行われていないと、細くて樹高だけが高い森林が形成されてしまい、台風などによって大きな被害を受けやすいことも類似している。/ 自己間引きが発生しにくい原因に関しては今後の研究に待つ必要があるが、地下部における根の発達状態に問題がありそうである。スギの植林地における研究では、植林されたスギの根はお互いに絡み合っておらず、この根の発達範囲の狭さが、地上部の競争の少なさと関連している可能性が高い。なお、このような根の絡み合いの少なさは、斜面の地滑り型崩壊が植林地で発生しやすい事と関係があるものと思われる。」
▽「(6)播種による樹林化/ 苗による樹林化は、上記のように問題があることが指摘されている。これらの欠点を克服するためには、自然が樹林を回復しているような、種子から発芽した実生による樹林化を実施する必要がある。」

※ポット苗を用いた植栽から生じる問題については、同サイトの「緑化に関する研究・記事」ページに、岡山県での法面(斜面)緑化の事例報告が公開されている。
 →▼緑化関係|Y.HADA'S Home Page http://had0.big.ous.ac.jp/norimen/norimen.htm

※また、「ポット苗」を用いた植栽で発達する根の性格(弱点)について、次のページも参照。
 →▼ポット苗と実生苗の根系の違い|用語・項目辞典|Y.HADA'S Home Page http://had0.big.ous.ac.jp/ecologicaldic/p/pottonae/pottonae.htm
▽「ポット苗で植栽した個体の根系調査を多数実施したわけではないが、直根がなく側根は本数が少ないが良く発達しているのが共通点であった。実際にポット苗を作り、植栽試験をやってみると、2年目までは直根が発達したので、初期成長の段階では直根が発達するが、ある程度の年月が経過すると直根が出なくなってしまうものと考えられた(3年目以降の実験は実施していない)。/ 庭師さんに聞いてみると、一度動かしたことのある樹木は側根が良く発達しており、移植は比較的容易であるという。大きく成長した個体では、直根が再生せず、側根ばかりになることがわかる。」
▽「ポット苗でも1年程度ならば主根を再生する。ポット苗を植栽するのであれば、極力若い個体を植栽したい。しかし、芽生えたばかりのような小さな苗を植えるのであれば、直接ドングリを蒔く方が手軽であるし、手間もかからない。ただし、ドングリを蒔くのは秋に限られるので、それ以外の時期に植樹したいのであれば、秋にいったんポットに植えておくのも1つの対応策である。ポット苗の利点の1つは、丈が高いので雑草と競合できる点にある。植えた後、手入れをしなくてもすむわけである。このような背丈の高い苗は何年もポットで育てられておりもはや主根を再生しない。植えた後は手入れをしないということが、間違っているわけです。/ ポット苗による緑化は活着率が高く、草本との競争力も高いので優秀な植栽工法の1つであることは確かである。しかしながら、土壌の安定性に貢献することを求める場合風などが強い場所では問題が発生する可能性がある。自然に戻すことを目的とするならば、時間がかかっても種子を播種すべきである。場所と目的に応じて慎重な選択と対応が必要であろう。」

 ※なお、ポット苗木を用いる植樹そのものはけっして新しいものではなく、以前から林業の現場でおこなわれてきたという。たとえば、速水亨『日本林業を立て直す』(日本経済出版社,2012)p.94 参照。
  

(森林施業研究会)

リンク segyo.ac.affrc.go.jp NewsLetter 2007 March

※森林施業研究会ニュ-ズ・レター「木霊(TARUSU)」No.36 2007.03.06。最後に掲載されている論説「人工林の再生に特効薬はあるのだろうか?」(大住克博)が、「潜在自然植生」概念にもとづく広葉樹林化運動のはらむ問題点について言及している。「筆者追記」も含めて必読。

※また、「鎮守の森」について、次の記述がある。 --「しかし、この運動〔「潜在植生を至上とする植樹運動」〕が社会に広がる中で、少し硬直化してはいないでしょうか。生態緑化においては鎮守の森、特に関東以西ではその照葉樹林をお手本とし、シラカシやタブなどの常緑広葉樹の植栽を柱に据えます。しかし最近の研究では、その鎮守の森の多くは実は明治以降に植樹され整備されたものであったことが明らかにされつつあります。」
  

(「鎮守の森」の変容について)

リンク So-netブログ 原植生: Taglibro de H 手もとの資料を整理していたら、前田(1985)が出てきた。関東平野の原植生はシラカシ林であるという説に疑義を呈したものである。改めて読んでみると、非常に興味深かった。以下、その要約。 関東平野の原植生として宮脇ら(宮脇・大場 1966..

▽「手もとの資料を整理していたら、前田禎三〕(1985〔「シラカシ林が関東平野の原植生かをめぐって」〕)が出てきた。関東平野の原植生はシラカシ林であるという説に疑義を呈したものである。改めて読んでみると、非常に興味深かった。以下、その要約。」
▽「関東平野の原植生として宮脇〕ら(宮脇・大場 1966, 横山ほか 1967)がシラカシ林を挙げて以来、多くの人が引用し、そういう立場からの報告も多いが、それを裏付ける根拠は弱い。/ 1. 自然状態の保たれている地域(神奈川県高麗山、房総半島・伊豆半島)でシラカシが出現しない。/ 2. シラカシの出現の仕方は不自然である。辻〔誠治〕(1984)は「少なくとも段丘崖や丘陵脚部に、シラカシ林が広く存在していたことは事実であろう」としているが、そのような出現の仕方をするところは、シラカシの植栽木のある人里近いところである。辻のいうような場所のシラカシ林は、植栽ではないにしても、それをもとにして二次的に成立した林ではないか。/ 3. 関東平野にはシラカシが他のカシ類に比べて桁違いに広く植栽されており、それを母樹とした後継樹も多く、時がたてば自然状態になってくるものがでてきても当然である。/ 4. シラカシはかつて用途が広く、利用価値が高かった。育林の面からも優れた性質を持っており、そのため広く植栽されるようになったのであろう。いつごろから植栽されだしたかはさらに検討が必要だが、筑波研究都市内にある體見神社では、宝暦4年(1754年)の本殿改築の際、カシ(おそらくはシラカシ)の寄進があったことが記録されている(谷本〔丈夫〕 1982)。」
▽「その後の議論については把握していないが、この論文だけ読むとかなりもっともな気がする。谷本丈夫〕(1982〔「體見神社周辺の植生」〕)も手もとにあったので読み返してみたが、森があったから鎮守の森として残されたのではなく、むしろ宮飾林として積極的に植栽・保護育成が行われていたとの推定など興味深い。/ 京都周辺の社寺林についても、人為的な影響が強いというのは最近小椋純一さんが報告しているところであり、社寺林〔「鎮守の森」〕は必ずしも原植生の遺存物ではないとは確実に言えるだろう。」
▽「1. 宮脇昭・大場達之 (1966) シラカシ群集に関する考察. 第13回日本生態学会講演要旨./2. 前田禎三 (1985) シラカシ林が関東平野の原植生かをめぐって. 群落研究2:3–7./3. 谷本丈夫 (1982) 體見神社周辺の植生. 體見神社修復工事報告書: 69–86./ 4. 辻誠治 (1984) 関東平野のコナラ林植生. 第31回日本生態学会講演要旨./ 5. 横山光雄・井手久登・宮脇昭 (1967) 筑波地区における潜在自然植生図の作成と、植物社会学的立地診断および緑化計画に対する基礎的研究. 研究学園都市計画. 20pp. 日本住宅公団.」(以上、強調は引用者)

小椋純一氏の近著に『森と草原の歴史 :日本の植生景観はどのように移り変わってきたのか』(古今書院, 2012)があり、たとえば「第2部: 変化する植生史の常識/ 第5章: 鎮守の森の歴史」を収める。次のブログ記事など参照。
 →▼小椋純一『森と草原の歴史』〔2012-04-03〕|Taglibro de H http://ito-hi.blog.so-net.ne.jp/2012-04-03
 →▼書籍情報: 森と草原の歴史 -日本の植生景観はどのように移り変わってきたのか|古今書院 http://kokon.co.jp/h8111.htm
  

▼[PDF]畔上直樹「明治期「村の鎮守」の植生と地域社会 :東京都多摩市域の地域史料をてがかりに」(「明治聖徳記念学会紀要」〔復刊第46号〕平成21年11月) http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f46-9.pdf
▽「この点で、「鎮守の森」の古植生の復元作業をすすめてきたのは、〔植物社会学の宮脇昭らの研究でも、上田政昭らの「社叢学」の研究でもなく〕農学の小椋純一が主導してきた「植生景観史」の諸研究である。これまた多様な専門分野の研究者が担っているが、ここのところ、前近代の絵図や名所図会、近代の地形図や古写真、航空写真といった画像系資料を活用して古植生を復元、それを現在と比較するという作業を軸に、近世・近現代を中心にその成果が相次いで発表されており、関西や関東の「鎮守の森」の姿には大きな歴史的変化が比較的最近に生じていたことが指摘されている。/ より具体的にいえば、現在多く見られる照葉樹林の「鎮守の森」のなかには、最近までマツやスギの「鎮守の森」であったものが多く、それらは植林を含め、植生遷移への恒常的な人為的干渉を必要とする性格の森林であり、その管理状態の変化により植生遷移が進行することで「照葉樹林化」していく歴史過程をともなっていた可能性が指摘されている。つまり、「里山」同様の「植生遷移介入積極型」をむしろ最近まで基本的性格とする「里山聖地」として「鎮守の森」を描き出しつつあるといえる。/ 植生景観史からの「鎮守の森」論は、以上にみたように社叢学とは対極のイメージをたたきだしているわけだが、それが歴史具体的な検討作業を通して主張されている点が、ここでは重要である。本稿は植生景観史の立場からあきらかになった諸点について、以下に述べるような、歴史学(文献史学)の立場から検証する。」(p.145。強調は引用者)
  

▽「鎮守の森について、昔から日本の人々は新しい集落に必ず「土地本来のふるさとの木による、ふるさとの森」をつくってきた、という。おろか者に破壊させないために、神社や寺ををつくり、この森を切ったら罰があたる、というふうに守ってきました。それらの森は、地震、台風、火事などの災害の時には逃げ場所になりました。(宮脇昭、国際生態学センター研究所長、「都市の植生のゆくえ」、朝日新聞、天声人語、1993年(平成5年)4月30日、朝刊より)/ また、神社の本殿などを取り囲み「うっそうとした」「手つかずの」 と形容される鎮守の森の多くが明治時代初期頃までは常緑広葉樹ではなくマツやスギなど針葉樹中心だったことが明らかにされました。(小椋純一京都精華大教授(植生史)の調査、著書「森と草原の歴史」(古今書院)、朝日新聞、2012年(平成24年)4月19日、朝刊より)/ 当時は、日常的に低木は伐採されたり、燃料に使う落ち葉がかき集められたりしていました。が、明治政府が境内の森林利用を厳しく制限すると、低木が生い茂り、徐々にシイやカシなどの広葉樹に置き換わったと見られています。小椋教授は「高度成長期に多くの自然が失われるなか〔鎮守の森だけは〕「昔から手つかずだった」という誤解を生んだのではないか」と説明しています。」(強調は引用者)
  

 ※石川初 氏による2007年12月12日付のブログ記事。コメント欄での議論も参照。なお、記事中に「ラ系」とあるのは「ランドスケープ系」の略。(以下、文中の太字強調部分は引用者)

▽「これ〔宮脇方式による植栽〕は、「緑化」すべき広大な面積を抱えた企業や自治体には、夢の植栽手法である。初期コストが低い(ポット苗だから)。維持管理の負担も軽減される(放って置けばよいから)。道徳的に正しく、社会的に善である(地域の自然を回復するわけだから)。植栽基盤の造成にはプロの工事が必要だが、ポット苗を植えるのは素人でもできるから、住民参加や子供たちの動員ができる。おまけに「郷土の森」とか「ふるさとの森」と、タイトルがキャッチーだ。第一、趣旨が非常にわかりやすい。」
▽「一方で、批判もある。「潜在自然植生」というのはあくまで現在の状態を手がかりに「推測」したものである。つまり誰も本物を見たことがない。なのに、この強烈なイメージが「正しい自然」として置かれてしまうと、現存するあらゆる植生がそれを軸に序列化されてしまう(より潜在自然に近い植生が偉い)。大山〔顕〕さんのいう「パラレルワールド」である。「良い植生と悪い植生」。でも、たとえば農村とその周辺で、人為的な撹乱を長年にわたって受け続けてねじ曲げられた「ゆるく管理された植生」のほうが、下手な極相林よりも生態的に多様であるとして注目されたりしている(いわゆる里山)。生物群はけっこうしたたかで、その状態が恒常的に維持されていれば、それなりのユニークな生態系が成立する。また、「究極の森」の予定調和的なイメージとは違って、近年では極相林も倒木やその他のハプニングによって生態的な空白ができ(撹乱によってギャップが生じる)、森のあちこちで常に「プチ遷移」が進行したりし、ぼこぼこ沸騰するみたいに更新が行われているダイナミックな「系」であると見なされている。極相林であっても、決してそこで完結した「静かな森」ではない。おまけに、温暖化にともなって地域の環境基盤自体が変化しつつある。いつまでもタブノキが「潜在自然」として通用するかどうかもわからない。また、常緑樹の濃い緑地は必ずしも「好ましい緑」にはならない。「本来の自然」っていったって、私たちの先祖は1万年以上も、それなりに手の入った緑と接してきたのだ。だいたい、人が暮らす以前から氷河期もあったわけで、どのポイントを「本来」と呼ぶのか、難しいところだ。/ ラ系は特に、「ふるさとの森」運動の実践が嫌いである。「損保ジャパン環境財団」の市民公開講座で、東京農大の近藤三雄教授は、セイタカアワダチソウだってキレイだぞ、とラジカルな主張をしている。〔中略〕/ (ただし、ラ〔ンドスケープ〕設計では、植栽デザインの「理論的補強」として「潜在自然植生」はよく持ち出される。僕もよく使う)」

 ※なお、「ラ系」については、次のまとめでそのバックグラウンドの大要が掴める。(また、石川氏には、著書『ランドスケール・ブック :地上へのまなざし』(LIXIL出版, 2012)、共著に『ランドスケープ批評宣言』(LIXIL出版, 2002、増補版 2006)などがある。)
 →▼ラ書架:ランドスケープ系のための本棚 - Togetter http://togetter.com/li/97666

  

※「宮脇理論は必ずしも学問的に正しいとは言えない」との指摘を受け、「潜在自然植生」概念を稲本正文『森の形 森の仕事』(世界文化社、1994)収載の「年表 〈木と文明の概念〉」と対照して検討している。
 →▼『森の形 森の仕事』世界文化社|Webcat Plus http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/2390282.html
  

リンク はてなダイアリー 宮脇方式 - ブログ:樹木医的にOKでしょうか? 今日は会社を有休で休みました。 湘南国際村の「(財)地球環境戦略研究機関」にて講習会があったんです。 ..

 ※ブログのコメント欄に、宮脇理論に対する厳しいコメントが寄せられている。なお、コメント欄に次の証言がある。
▽「一度苗木についてどこから来た苗ですか?遺伝的問題は?と〔宮脇昭氏に〕聞いたら 近親交配するから遠い方が良い(福島から)との回答でした。昔は植物学者として一流でしたが、あれから何十年も変わらない植林方式を見ると進化が感じられません。」(同志 2009/02/03 10:20 投稿の一部)
  

リンク ameblo.jp 2008年12月28日のブログ|ウッシーの四季折々通信-農業マン物語 ウッシーの四季折々通信-農業マン物語で2008年12月28日に書かれた記事です。

 ※ブログ記事中に、「ウィキペディアでも宮脇理論は 『人間との関わりの中で成立し、独特の生態系を有する二次林の自然史的・文化的意義を不当に貶(おとし)めるものとの批判もみられる』 という記述があった。」と言及されている。
 ※当該の記述は、かつてWikipediaの項目「宮脇昭」の「人物」の項末尾に存在したが、「2009年3月15日 (日) 16:19」の版(211.10.170.86 による修正)で削除され、代わりに「活動」の項の末尾に、「2000年後半ごろから、潜在自然植生論に一定の成果が見られるようになると、自然林と二次林の違い、長所、共存といった総合的な研究が求められるようになった。」との一文が追加された。
  

▼鎮守の森より里山のほうが皆の役に立つと思いますけどね... (´σ `) ホジホジ〔2005年12月25日〕楽農倶楽部(別館) http://blog.goo.ne.jp/rakuno_club/e/b4555d3d27957875703cf07dd5ea21be

  

(「森の長城プロジェクト」「いのちを守る森の防潮堤」について)

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