日本国憲法改正には限界がある
- 片山さつき Official Blog 7年ぶりの自民党憲法改正案、今回は23人の起草委員の一人として積極参加!感慨!2012年04月30日
http://satsuki-katayama.livedoor.biz/archives/7027818.html
私が東大法学部を卒業したときの、法学部長は、芦部信喜教授でした。言うまでもなく、憲法の大家です。
「東大+憲法」というと宮沢俊義教授、護憲派、というイメージですし、芦部教授の学説も、そのように理解されておりますが、あるとき、私は思わぬことばをご本人から聞いたのです
それは、私が、腕試しで大学3年・20歳で受けた外交官試験に受かってしまって、面接を受けていた休み時間のことでした。芦部教授は試験委員だったのです。
廊下でお話しをすることになった私に、教授は2つのことを仰いました。
1、あなたは、中退外交官にはならずに、来年国家公務員上級職を受けて、東大法学部卒として大蔵省に行きなさい。誰かが道を開かなければならない。(芦部教授は退官後、東京女子大の学長を務められました)
2、戦後はいつまでも続かない。今の憲法は、戦後から抜け出せない状況では、日本にとってベストだが、永久ではない。憲法は改正できるし、いつかは東大法学部卒業生たちが、これをなさねばならない。
1のほうは、私が、口頭試問で「一人娘なので、キャリア人生の半分を海外で過ごせるかというと、自信はない」と率直に答えたので、進路指導として、出たお言葉でしょう。
2のほうは、何故それが出たのか、そのときではなく、赤門会のときだったかな、とも思うのですが、おそらく、口頭試問のなかに、硬性憲法か軟性憲法か、とい話が出たのではないか、と思います。
2005年、当選直後の立党50周年式典で、自民党憲法改正案は、華々しく発表されましたが、その検討過程で、2004年から2005年にかけて、私が防衛主計官現職のとき、ある事件が起きました。
それは、当時も事務局長として働き手であった中谷元議員(今回は、起草委員長として本当に汗をかかれました)が、自衛隊の制服組に資料作り等を依頼して、資料だけでなく原案のようなものまでが作られていたことが新聞に報道され、シビリアンコントロールが逆(コントロールされてる)ではないか、と批判されたのです。
そこに書かれていた原案は、私の感覚ではそれほどおかしなものではなく、自衛隊の現場としては、このくらいの憲法とそれに基づく自衛隊法や関連法規でないと、国際任務だけ増えても実効性もなく、一方的危険にさらされたうえ、勇断をふるったら後で批判だけが集中することになる、という切羽詰まったものがあったと思います。
しかし、現職の公務員として絶対やってはいてないのは、最高法規である憲法改正の論議ですから、このフライングは非常に痛かった、、。この事件は防衛大綱が終わった後に明るみにでたもので、むしろ自民党内における9条2項論議を、おとなしいものにしてしまったと言われています。
時は流れて、私は、2005年は新人だったので入る余地もなかった「自民党憲法改正起草委員」になりました!そして、さらに、国会にやっと設置された参議院の憲法審査会の委員にもなり、20回以上の、起草委員会と、平場の議論のほとんどに参加し、前文に、「戦争だけでなく、大災害も日本国と民族が過去も乗り越えてきて、これからも乗り越えざるをえない運命。戦争だけを挙げると、戦後性から脱却できない」と主張して、初めてこれを書き込ませるなど、意見が通った部分が多々あり、充実感をもって発表の日を迎えました。芦部教授の予言?どおり、日本が占領から独立を回復したサンフランシスコ講和条約発効60周年の日です。「戦後」を、今度こそ、日本人の精神のなかで、そして国際社会に向かっても、終わりにするために。
この憲法草案の特色のうち、今回は、前文、天皇を元首かつ象徴とすること、国旗国家尊重義務、安全保障、国民の基本的人権共有と、責務、公務員の選定(日本国籍)を紹介します。
前文からは、「敗戦処理性」を除去し、本来あるべき白地に立ち戻り、日本国とは、日本民族とは何か、のアイデンティティー・同一性の確立につながるようなものとしようとしました。
、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇をいただく国家であって、国民主権の下、立法、行政、司法の三権分立に基づいて統治される。」「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここにこの憲法を制定する」、としたのです。
そして、「わが国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」「日本国民は、国と郷土を誇りと気概をもって自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と、、書き換えたのです。
これは、現行憲法における、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という他力本願、今の国際社会の現状とかけはなれた超性善説を、そろそろやめる時である、という宣言です。一部のベテランハト派議員から、国連のことを書いたらどうか?という意見が出たとき、私、石破元政調会長、安倍元総理他がいっせいに「日本の国連常任理事国入りに対する、中国ロシア他の対応、北朝鮮ミサイル等に対して安保理決議さえできない現状をみれば、誰でも、日本の生存において、国連はなんら万能ではなく、憲法に記載する必要はないとわかる」、と反論し、今の案になった経緯があります。
そして、当時の世界は、日本の軍部もそう判じられていたように、専制と隷従が蔓延していた社会で、この憲法の原案に関与したといわれる、米国においてすら相当リベラルな学者は、日本を米国はじめ連合国が圧制から開放してあげる、調に、自分の国米国ですらここまで極論はかけない、というスーパー平和主義と天賦人権論を日本国憲法で実現されてしまいました。そこも「我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる」と書き換え、「国民主権の下、立法、行政、及び司法の三権分立に基づいて統治される」ということを、明確にしたたけで、余計勝つ冗長情緒的な文章は、ぐっと短縮しました。
次に、新聞等でも話題となっている第一条ですが、「天皇は、日本国の元首であって、日本国及び日本国民の統合の象徴であり、(ここからは以前と同じ)その地位は、主権のする日本国民の総意に基づく」として、天皇が元首だけであると、元首は人ですから、裁判に服するのか、等の問題になるので、象徴であることと、並立させたわけです。
そして、東京・大阪他各地で問題になっている、公立学校で君が代斉唱・起立しない教師の問題等、最高裁でもおかしな判決が出ましたが、それも憲法上の位置づけがはっきりしないことが遠因でもあるので、第3条で
「国旗は日章旗とし、国家は君が代とする。日本国民は、国旗及び国家を尊重しなければならない」と明確にしました。
9条の安全保障では、大勢の意思として、第一項の平和主義はそのまま維持しました。つまり「国権の発動としての戦争は放棄し、武力による威嚇・行使は国際紛争解決の手段としては用いない。」としました。
2条に、「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と明記したからです。
そして、9条の2に「、国防軍を新設。わが国の平和と独立ならびに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安を維持し、または国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」
とし、その他の事項は法律で定め、国防軍に審判所を置くこと等も定めました。
さらに、9条の3では「領土等の保全」、として「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。」とし、まさに、尖閣や竹島、北方領土等やテロ組織による国民の拘束等、今までもおきてきて、これからもより切迫して直面するであろう課題について、方針を明確にしました。
これで、90年以降、PKO等のたびに国会が混乱し、政府が舌をかんできた状況もクリアになります。
ここからは、一部論者の論争の的になっている、国民の権利義務ですが、11条の基本的人権の享有は、基本、文意はそのままです。自民党は自立の党であるべき、と考え、国民の責務、を第12条に付け加え、そこが議論になっているのですが、以前は「、国民は権利を濫用してはならない、公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」、となっていました。憲法判例からいって、権利の濫用が認められるのは、非常に限定された場合だけであって、今回の大震災や今後の対応でも問題になっているのは、たった一軒の家が立ち退かないことによって、つくるべき避難路が抜けない、首長は、選挙をおそれて土地収用を行わない、皆がこうすればいいというように地域の安全確保策ができていない、ということです。
自由及び権利には、責任が伴う、公益、公の秩序には従うべき、この原則が確立できるかどうかは、日本の将来にとって、非常に大きな分岐点です。日本で、自由という言葉が自分勝手と解されがちで、自由市場にも規律があり、これに反したものは厳罰、追放になる、ということで自由は裏打ちされる、ということが徹底されていないのは、残念なことです。不明確なルールは、不公正不公平を生み、発展を阻害し、社会を弱くします。サッチャー氏が映画の中で叫ぶ、「人間はみな自分の足で立って、働き、祖国を守るために戦わなければ」です。
島国イギリスは、決して常に豊かではなかったけれど、ナポレオンにもヒットラーにも負けませんでした。日本が中国にも韓国に負けたくない、と思うなら、このような強さを、子どもたちに教えなければなりません。
そして、15条の3項。これも憲法論争になってきた、外国人参政権ですが、自民党は明確に、日本国籍を有する者による普通選挙、としました。
これでも、長すぎるかもしれませんが、これが自民党憲法改正案の解説、第一回です。
- 片山さつき Official Blog 芦部教授の生命・自由・および幸福追求権の判例(最大昭和44年・12・24)への解説。自民党の18条改正条文、身体拘束からの自由を明記してますご心配なく! 2012年12月08日
http://satsukikatayama.livedoor.biz/archives/7617115.html
芦部教授は、私が東大法学部を在学中の法学部長で、私が3年で外交官試験の2次にうかったときに、「3年で中退外交官にならずに、4年で国公を受けて、大蔵省に行きなさい!」と薦めてくださった恩義のあるかたです。
「生命、自由および幸福追求の権利」について、講義録等から、次の判例解説をみつけましたので、ご参考まで。
裁判所判決「個人の自由も無制限に保障されるものではなく、、憲法13条の規定から明らかなように、公共の福祉によって相当の制限を受ける。その制度の認められる限度は~略~現に犯罪が行われ。~略~証拠保全の必要性、緊急性があり、かつその撮影が一般に許容される限度を超えない相当な方法をもっておこなわれるときには、撮影される本人の同意がなく、また礼状がなくても警察官による個人の撮影は許されるほか、犯人の身辺や近くにいたためにこれを除外できない第三者の容貌姿態を含むことになっても、憲法13条、35条に違反しない」
これについての芦部教授の解説「この見解は、一般的には肯定されよう。相当な制限、相当な方法、は抽象的であり、問題を残している。」
「公共の福祉」については、何がこれに該当するかが抽象的すぎるので、何が人権侵害となり、何がならないのかもう少し、判断しやすい文言であれば、ということはたしかにおっしゃっていました。
宮沢俊義先生のお弟子さんですから、リベラルとか護憲派、と分類されがちですが、国家やガバナンスについては、それが機能することがいかに重要か、という意識が常におありになる、という印象を私はうけていました。
また、改憲についても、戦後憲法が起草された状況は、国家として特殊な状況であり、現行憲法も、いつかは時代に合致したものに、改正されるんでしょうね、ともおっしゃっていました。
また、自民党の憲法改正案の18条ですが、
現行18条「何人もいかなる奴隷的な拘束も受けない。犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」
よりも、弱まったということは、決してなく、むしろ、どういう拘束が今の時代ありうるのかと考えたうえ、次のように明確化しております。
改正案「18条(身体の拘束及び苦役からの自由)
1、何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的または経済的関係において、身体を拘束されない
2、何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させなれない。
この方が、借金のかたに無理やり身柄を取られて拘束される場合に、それが「奴隷的かどうか」などという抽象的基準で悩む必要がない、使える条文であると思いますが。しかも、意に反しても反してなくても、身体の拘束はすべてだめ、といっているわけで、むしろ強まったとも言えます。
また、一時期、これが徴兵制とのからみ、と誤解されていましたが、ネットの論者も「それとは別。現行条文でも法律できめれば、徴兵することがただちに違憲ではないというのが通説」と認めています。
だいたい、9条2項が現状なれば、「兵」自体が存在しないことになっていますから、徴兵はありません。
安全保障論としても、今の部隊で志願兵でない、徴兵の方々をどうやって組みこんでいくのでしょうか?
石破幹事長などは、前から否定的ですし、党内でもまじめに議論されたことすら、ないと思います。