1782[書籍の文化と文字環境]江戸時代は誰もが毛筆で文字を書いていた。その中でも特に能書と目される人物は尊重される。人物の伝記などで敢えて書が巧みであることに触れられるのも上手な文字を書く事が出来るという事柄がその人物評価の要件として社会的に重視されていたからに他ならない。
2013-01-12 13:23:171783[書籍の文化と文字環境]幕末の三筆と呼ばれる中に市河米庵がある。『米庵墨談』などの書論や『楷行薈編』といった書体字書、『墨場必携』といった語彙書、もろもろの法帖、自作の漢詩集、骨董コレクションを図録にした『小山林堂書画文房図録』など多くの出版に関わっている人物でもある。
2013-01-12 13:24:491784[書籍の文化と文字環境]その中に『米家書訣』という書論書が一冊ある(=図)。これを「読む」ではなく「見る」という角度で考えてみよう。 http://t.co/RoFplIuM
2013-01-12 13:29:40@motonosuke0328 当時は書物だけでなく、看板、扁額といった目印になるもの、それにお触れを記した立て札類なにもかも筆記したものが元になったり直接記したもので、今とはまるで世界が違いますね。お家流といった統一書体が公用に使われますが、それも肉筆ですから。
2013-01-12 13:40:501785[書籍の文化と文字環境]この本は国文学研究所のwebで見られる古典籍総合目録で検索しても多くの収蔵があり、誰でも比較的簡単に検証ができるだろう。上梓は享和元年、須原屋伊八が扱う。市河米庵の出版のほとんどはこの伊八が関与している。
2013-01-12 13:43:021786[書籍の文化と文字環境]伊八はよく市河米庵の好みに本の体裁を整えていたものと察せられる。表紙の色も薄い青色(浅葱)で、市河米庵の本にはこの表紙色を用いるものが多い。題簽は隷書で書いている。家蔵の本は題簽が随分擦れてしまって不鮮明である。
2013-01-12 13:44:341789[書籍の文化と文字環境]図の説明:『米家書訣』の袋と表紙(題簽つき)、袋に魁星印が捺されている。小山林堂は市河米庵の室号。開彫の上の印は須原屋伊八の印記。 http://t.co/VAnh2rlG
2013-01-12 13:57:57@motonosuke0328 お家流については後日紹介しますが、幕府が採用した書体で、公文書、記録類はすべてそれにしました。もちろん活字ではないので、今残っているものを見てもいろいろクセや優劣がありますが。
2013-01-12 14:03:51@motonosuke0328 ちょっと今、ググったものを一つ転載しますが、このような草書体のものです。 http://t.co/NZlMh3ye
2013-01-12 14:07:32@motonosuke0328 そうですね、この御家流の評価はよくないです。実用第一とはいえ、無理な部分も多く、お上が決めたものはなぜこうなるの?という一例ですね。
2013-01-12 14:27:171790[書籍の文化と文字環境]見返しの一面を縦に三分割し、中央に大きく書名を書き、左右はそれよりサイズを小さく書く形式がオーソドックスである。その右側には編集した市河米庵を示し、左側は蔵版者や版元を示す。この本では書名を篆書で書いている。
2013-01-12 16:44:381791[書籍の文化と文字環境]篆書は古代の書体で権威あるもので、これが自由に書けることは毛筆世界の江戸時代でも特殊技能であったと言えよう。書家を標榜する市河米庵ならではの書体選択であると考えて良かろう(=図)。 http://t.co/Lm4sIaY8
2013-01-12 16:47:211792[書籍の文化と文字環境]1791の図の説明=『米家書訣』の見開き(封面)部分と柴野栗山撰文にかかる序文冒頭部分。本紙とは異なる用紙を見開きに用いている。
2013-01-12 16:49:191793[書籍の文化と文字環境]序文は柴野栗山が撰文し、書もおそらく自分で書いているのではないか。栗山独特の最終画の筆の離れ方をしている部分が散見される。栗山と米庵の関係は、市河米庵は儒学を栗山に学んだ者である。栗山は儒学面の師匠に当たる。
2013-01-12 16:51:451794[書籍の文化と文字環境]さらに市河米庵の父である市河寛齋が昌平黌と深いつながりがあり、栗山との関係も昌平黌を中心とした人脈の中にあった。市河寛齋の息子として米庵を見る栗山の目線があり、自撰自書の序を寄せられたという点で、この本は格別な扱いを受けている。
2013-01-12 16:54:271795[書籍の文化と文字環境]市河米庵の側とすれば感激に値する対応を栗山より受けたことになろう(=図。『米家書訣』の栗山序文末尾、署名落款部分と米元章像(市河米庵の弟・鏑木)) http://t.co/VyFPp74J
2013-01-12 16:59:081796[書籍の文化と文字環境]。冊末の跋文に目を転ずれば、市河寛齋が跋文を書いている(=図。右は市河寛齋の書にかかる跋文。左は「市河米庵著述書目」書目の書風は市河米庵流に書かれている。) http://t.co/j2rbizB6
2013-01-12 17:03:141797[書籍の文化と文字環境]草書と行書の筆意を含めて書いている。それを版木上に再現した彫り師の腕も評価すべきであろう。栗山序とは書風を異にしている。当然書き手が変われば印刷であっても字姿は異なる事になる。
2013-01-12 19:02:001798[書籍の文化と文字環境]図版の『百東坡』を『米家書訣』と比較してみよう(図は『百東坡』の見返し(封面))見返し中央に書かれている本の名は隷書で書かれている。その両脇は楷書。編者名を右上に置き、蔵版を左下に配置する形式は同じである。 http://t.co/fCcJMqhx
2013-01-12 19:06:531799[書籍の文化と文字環境]しかしその書風の違いは知れよう。次頁の詩は菊地五山が自筆で書いたものがそのまま版下になっている。この癖の強い書風は書物の本文には使えないが、序跋文などでは問題ない。
2013-01-12 19:08:331800[書籍の文化と文字環境]却ってここに菊地五山の筆跡が書いたそのままについているという部分に価値があると見るべきで、この本を出した人物も敢えて菊地五山の筆跡のままに印刷しているのである。
2013-01-12 19:13:521801[書籍の文化と文字環境]こうやって江戸時代の本を見ていくと、何が書かれているかのみならず、どのように書かれているかという点も注意して見れば、それぞれの本の持つ特徴や性格が読み取れるようになる。
2013-01-12 19:15:221802[書籍の文化と文字環境]そんな本との接し方が出来るのは毛筆で書かれた本で、一つ一つがまったく違う文字の姿で構成されているからであるといえる。これが全部活字になっていては、市河米庵の書も菊地五山の書も違いが無くなってしまう。
2013-01-12 19:16:41