狂人演説(2013/1/29):宗教や教育や表現を社会から追い出したい気持ちは分かるがそれは危険であること
- nokkaranoumu
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政府は市民の表現を規制するのには猛烈に注意深くなければならないけど、それは民間では関係ないので、民法が許す形では、表現は如何様にも規制されうるし、そういうものだ。逆に言えば、市民が政府に表現規制を要求するのは筋違いだし、政府にとっては悪手だからやりたくないと思うんだ。
2013-01-28 21:53:37てんで、俺は当分Togetterの表現規制に関する議論に口を突っ込まないし、Togetterにその手のまとめを作ることもしないようにしようと思う。それは全部市民の問題だ。徹頭徹尾自主規制の問題だ。政府は責任を負えない。だから出発点から根本的に間違っている。そんな議論無駄。飽きた。
2013-01-28 21:58:31とか書いていたが、スマン、ありゃ嘘だった。
あっ今唐突に閃いたぞ。表現は(また表現規制の話かよ! 昨日の話台無しだな!)万人のものじゃなくて、一部の表現者のものでしかないのだ。宗教や教育がそうであるように。だから万人に訴えてもナンセンスなのだ。
2013-01-29 10:02:09そうではなくて、社会に追い出されて内心を傷つけられた宗教や教育や表現は社会を壊して危険だから危険なのだ。だから社会から追い出さない、内心を侵さないことが必要なのだが、「社会を壊すものを追い出すと社会を壊す? そんなこと知るか! 社会を壊すものは怖いから追い出せ!」と当然なるわな。
2013-01-29 10:08:00それに、内心は外を侵せないが、内心は外に侵されうる(主に脅迫や薬物使用や、それよりは弱くなるが宗教や教育や表現で)。だから内心は侵されるということを大前提として生きていかねばならないが、そんな社会生活はストレスが高くて持続不可能だろう。
2013-01-29 10:14:04だから、内心を脅かす脅迫も薬物も、あと宗教や教育や表現もない社会を人々は望む。え? 望まない? それはあなたが「強い」からだ。「弱い」人を主眼として社会を設計しなければならない。
2013-01-29 10:16:44だが、当然宗教や教育や表現は、結局それらのない世界でも何がしか誰かの内心は脅かされる以上、そういう内心を脅かされた人にとって必要だから必要なので、なくすとそういう内心を脅かされた人たちの行き場は全くなくなる。え? そんな奴らは見えないところで死ね? ところがそうはならないんだな。
2013-01-29 10:18:40オタクの言論がネット右翼の言論に繋がっている現状(それを止められているかというと止められていないだろう。結果的にネット右翼だけが目立つ)を憂えるのは全く正当だ。だが、そこには当然原因がある。「俺たちは何か社会的地位を脅かされている」という。それを解決しない限り排外主義は減らない。
2013-01-29 10:23:01つまりは「社会的地位を脅かさない」、その一環として「内心を脅かさない」ことで、宗教や教育や表現の「危険性」(不愉快さは別の話だ。重要。後述)はかなり減る。そりゃ世をすねた宗教や教育や表現が危険なのは地下鉄サリン事件や桜宮高校自殺事件を見れば明らかだ。
2013-01-29 10:27:54まあそれで、世をすねたネット右翼も危険なのだが、それは「俺たちは社会的地位を脅かされている」と思ったからなんだよ。それが正当か不当かは別として(重要)。ああそうか、あの宗教団体も選挙で議席取れなかったから「俺たちは社会的地位を脅かされている」てんでカルト化したんだったかな。
2013-01-29 10:34:07「相手の社会的地位を基本的に脅かさない」という社会契約が必要だ。それが「博愛」なり「平等」なりだと思うんだ。これらは「自由」よりは約束事っぽいから、気を付けて守らないと失われる。
2013-01-29 10:36:15ああそうだ、「不愉快さ」の話ですが、「危険性」と「不愉快さ」では危険度は当然違います。「危険性」には寛容になれなくても(そこまでこじらせること自体が社会設計の失敗なんだけど、仕方ないからそのうえで社会設計しなければならない)、「不愉快さ」に寛容になれば、「危険性」は減る。
2013-01-29 10:38:17何もかもが不愉快さを伴いうるし、危険性を伴いうる。それはある程度は飲まなければならない。万人が飲めないから不愉快なものを追い出すというのは虫が良すぎる。絶対にどこかにしわ寄せがくる。それが宗教や教育や表現だった場合、追い出された「不愉快」なものは「危険」へと変わる(説明した)。
2013-01-29 10:42:45というか、「AのやってることがBにとって不愉快なら、BはAを追い出すか追い出されるしかない」というのでは、社会は成り立たないではないか。「いや、追い出した結果が平穏な社会だ」というのは通っても、「平和な社会だ」というのは大いに怪しい。
2013-01-29 10:45:27危険性と不愉快さは危険性の方がより危ないし、より耐えられない。そして不愉快さを排除していくと危険性が増す。というのなら、後は「危険性を選びたくないから、不愉快さはある程度世に残る」という話になると思う。だが、それも人類に元々備わっている知ではないので、多分ほっとくと守られない。
2013-01-29 10:50:49他者危害の原理の「危害」って何だろうと昔から議論されてきたが、やはり安全性を脅かされることが第一で、一部学者の言うように資源を脅かされるのも大事な要件で、そういう物的な危害が優先されるだろう。
2013-01-29 10:53:36内心にとって「危害」となると、第一に物的な危害の延長上がそうであって(脅迫や薬物使用や資源の搾取)、心的な危害というのは常に単なる「不愉快さ」との区別が慎重になされなければならない。
2013-01-29 10:57:13心的な危害となると、おそらく強制的に情報を詰め込まれたりする(締め出されること自体はもうちょっと「弱い」問題になる)のはNGだろう。宗教や教育や表現はそういうことが出来る機能なので、その責任には常に意識的でなければならない。
2013-01-29 10:59:29だが、内心も宗教も教育も表現も必要とされていて、即危険とも言えないのだから、特に後者三つの事業者への市民や政府の働きかけは慎重であるべきなんだよね。
2013-01-29 11:01:31「社会に迫害されている」という意識が不当なものであるかも知れないし、それは「不当である」というしかないし、「まあまあ」と宥める方がケアとなるし(集団に対するケアって可能なのかは分からない)、今はもうちょっとエレガントに医療も整備されている。
2013-01-29 11:04:37そういえば「医療に関する人権」って寡聞にして聞きません。大事な概念だと思うから必ずあると思うんだけど。エホバの証人輸血拒否事件しか知らねえ。
2013-01-29 11:06:08