【シューニャリアーナ享受論】語りの”場”、提供の場
- L_O_Nihilum
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虚構を現実とある点で区別するとしたら、分け方気を付けないと。そうするとどうしても残る「外世」が無いと。というか物語に描かれる当人のリアリティを<虚構>と言おうとする魂胆は明らかに現実を愛しすぎている。
2013-03-10 19:04:52事実物語の世界で彼らは自分たちの世界を<虚構>とは言わない。言う時はそれがそのものがたり中でも嘘である場合や虚偽である場合だ(つまり彼らの世界自身と比べているという事でしょうからね)。じゃあ彼らは自分たちのファンタジーを何という?幻想という言葉を使うの何故だか考えたことあります?
2013-03-10 19:06:03なんで<幻想>であって<虚構>でないのか <幻想の浮遊王国>であって<虚構の浮遊王国>とは言わないのか。
2013-03-10 19:06:42逆に言おうかな もっと言えば<幻想>でない、<虚構>である事の可能性が批評における<虚構>は分析されている(とすると、ほとんどの漫画やアニメ、ゲームについての分析がズレてることになってしまうけどな!)
2013-03-10 19:07:39そりゃ創作の参考になるよ 新しいもの ただし、そのためにはそれ「以前(=新しくない)」作品群を対象に、語っておきながら、分析しておきながら、まったくその作品の本質というか、その作品中の意識とはかけ離れた分析を言わなきゃいけなくなる
2013-03-10 19:08:33やっぱしお門違いになっちゃうんじゃないの、批評…救えるの、あなたらを。救うのは、作品。作品の世界は、外世。<虚構>となりきらない。そうしたらどうするの。
2013-03-10 19:09:39やたらにメタ性の強い「YU-NO」とか「マヴラヴ」がなんで批評家に取りだされたかわかった オタク作品を語りなおすとか見直すためじゃない オタクを取り込みつつも現実の時代の変化を言うため たったそれだけ
2013-03-10 19:12:19別に御宅系作品がそうであろうとなかろうとどうでもよかった…いや、オタク系作品が、そうであったところに目をつけてやった トンだ戦略だ
2013-03-10 19:12:53言語ゲームを形にするもの、という事で藝術を続けている村上隆さんだけど(彼曰く作品=論文らしいから)
2013-03-10 19:15:50社会的に、どう扱われていくかの差ってどうなんだろう・・・・。ちょっと追いかけきれてない
2013-03-10 19:16:16文学の一としての批評っていう考え方が、村上さんとパスで繋がっている(ここでのパスは経路の意味。セフィロートの樹におけるセフィーラー円同士を結ぶパス)とすることが出来るだろうか
2013-03-10 19:17:42【シューニャリアーナ哲学】MAGIシステム議論中 http://t.co/EFPGBjSMYc そのためにはここでの自分議論、自分反論をまだもっと続ける必要があると思う。作品の形態がどれも同じものとして機能してるのか。音楽と批評と文学と舞踊とが。
2013-03-10 19:18:50そこにそれぞれ違いがあるんじゃないの?っていうのが「3号」君の見方で、2号君は「作品である以上一緒だ」という立場に立つんだよね ただこの二つどっちも『社会的な扱い方」という点で見ている
2013-03-10 19:19:39うーん。どうなんだろうなそのあたりは。 作品を作る、発表する、までに至る労力や経緯が作品によって違いすぎてるから何とも言えない。ニコ動にアップするのには本を出版するほどの労力はかからない。
2013-03-10 19:22:19そしてある中身を持った作品を出した「後」、見てもらう過程で、ネットに上げる音楽は批評やショーでやる踊りのように、お金を頂く必要もない。…と思ったけど、批評書の場合、本棚にあるからちらっとなら本屋さんでも読ませてもらえる場合があるなあ。
2013-03-10 19:23:21岡田先生曰く『批評をやるときには「かなり」分かってないといけない』 わかってもいないところから批評することには非常に違和感を覚えるタイプの人だったはずよな (脈絡のないツイート)
2013-03-10 19:29:08