【シューニャリアーナ享受論】語りの”場”、提供の場
- L_O_Nihilum
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なんかびっくりする。「僕らはネット世代」という前提の置き方はともあれ、なんかいつも彼が批評で書いていることとは雰囲気も内容も違うような。 http://t.co/RBdAnZRabI
2013-03-10 17:38:12その話はいいとして、「おおかみこども」。不思議なのは、自分が作品を見ながら思った違和感が寧ろそれこそが表現であるとしてしっかりココで伏線回収されてたってこと。なんか親子の成長過程の展開早くね?と思った.. http://t.co/2fsCmMXP0n
2013-03-10 17:39:18なんかここでの東先生妙にカッコいいぞ http://t.co/q2YaxOlBHn
2013-03-10 17:39:56僕がコレ言ってるのを見ると不思議がる人いるだろうけど非常に珍しい事として、作品のキャラ内部に向かって話をしてて、そこから作者である細田さん、そして両親と「おおかみこども~」との関係、等々、批評ではなか.. http://t.co/yQymC8gbVE
2013-03-10 17:46:03「こどもを持つということは「弱者」と一緒に住むということ。」「育てしていて思ったのは、データやITの力でどうこうできることばかりではないということ。個別ケースがすごくたくさんある。」このあたりの台詞を.. http://t.co/2X9Aw1wNEP
2013-03-10 17:50:35経済的に多大な消費力を持つとはいえ社会的に弱者であり、ばらばらである存在を対象にしてその一般的性質を論じてきた様子からするとこれらの視点は寧ろ物凄い対照的。個別ケースがあることを認め(というか己が実感.. http://t.co/QV5nu3UUL2
2013-03-10 17:52:03「リアルのゆくえ」での東先生の一言を思い浮かべる。『目の前の人をすくう事は出来る。それは誰でも小さくやっていることです。そして貴重な事です。』 http://t.co/u4b5HfqZSA
2013-03-10 17:58:13この言葉はこう続く『けれども、書物と言うか、書いた言葉を通して何千人、何万人と言う人を救うことなどできるだろうか。』…で、救うどころか掬う事なら何千人何万人を対象に今も行うわけで。 http://t.co/vjTY45UXkw
2013-03-10 17:59:46ここで言ってる内容を考えたら原発テーマパーク化みたいなのは想いつきそうもないハズなんだけど、多数の弱者、それも先生が言うように「自分があまり良く分からない(動ポモでも言ってるし國分先生との震災以後対談.. http://t.co/vWYQ3r39vP
2013-03-10 18:02:23小さな界隈でそれぞれがお互いを救っていくことは可能、そのやり方は体験者当人が話せばよい。だが、もっと大きな界隈を相手としたときに、それと同様のプロセスの可能性はとても薄くなるだろう、と。そうなった時に.. http://t.co/Gj4ahmg9tR
2013-03-10 18:04:02もっと言い換えれば彼は御宅研究のように、オタクをアカデミズムの研究対象に仕立て上げてしまった…というと聞こえが悪いが、そうじゃなくて、そう取り上げておきながら、彼ら当人が語ることを差し止めるつもりはな.. http://t.co/2PnKjOwd93
2013-03-10 18:04:59ここで子供を育てる親としての意見をたんまり述べているところから察するにそういう感じを憶えた。当人が当人の体験として語ることは出来る(それはリアゆくで言ったように)。なら、一人一人がそういう意味でしっか.. http://t.co/mVytPBx4D4
2013-03-10 18:07:18…そうするとやっぱり、2.0序盤の対談が突っかかるな。どうして突然提供者中心の立場に立ち続けるのか。 http://t.co/6TLgPkd66C
2013-03-10 18:08:42本音を語るというのも言いすぎだが、内的・実証的な語りが批評として場所を持たないっていうのは強い自信があるんだろうか http://t.co/3v6R1rEd2k
2013-03-10 18:09:20細田守×東浩紀「おおかみこどもから子育てへ」 #genroncafe http://t.co/x3Du6weqiV 「ひとりひとりが小さなオタキング活動をやっていけばよい」という遠い昔の岡田の台詞に本音は賛同なんだろうなあ、東先生
2013-03-10 18:13:46但し「それをできてるやつは一人もいない!」というあきらめに近い物を持っている前提で。
2013-03-10 18:14:08きりしましょーごくんはそういう場所にいっぱいいるんですよ。それを吸い込んではみんなシビュラに改造していく様子は私には怖いですよ。
2013-03-10 18:14:43もし東先生が動ポモで「僕は御宅の作品についてはあんまり詳しくない界隈だが」みたいなことを最初から書いてなくて、最初から正直にオタクだったらコレどう読み替えられるかなあ。そう読み替えたら、もしかしたらウチの評価はがらんと違ったものになってたかも。
2013-03-10 18:16:57「彼の感情と理論を一緒に語るな」と言ってくるなら東先生のこの言葉持って着ざるを得ないYO
2013-03-10 18:18:12A「だからさっきから言ってるじゃない、あんまり意味がないしやる気がないって。そのことをしつこく言ってもしょうがないでしょう。それって人格攻撃ですよ。」大塚「人格じゃないって。何故それを人格攻撃と取るの」
2013-03-10 18:21:32大塚「自分の客はこうで、世の中の関心はこうで、だからそこに自分の批評がある。それをマーケティングって言うんだよ」 その通りだと思います。それしかやってない。それしかできないという決めこみをしないと批評家は何もできてない気がする。
2013-03-10 18:23:00どうも、やっぱり彼らは<権威主義的>になりざるを得ない。 目下の掲示板の人々の様子に自分も同じでいるわけにはいかないから。どうしても彼らと自分は違うと思わねばならなくなる。その態度を隠す場所は批評というシステムには好相性。
2013-03-10 18:24:24『大きく言うと「実証」のところなのですが、文学研究や評論は果たして「実証」が可能なのでしょうか。そして、「循環を避けるべき」という規範は本当に自明なのでしょうか? あくまで人間や倫理などに触れる以上、証明できないことも論じなければならないのではと。』
2013-03-10 18:30:38