江戸城が風水に基づいて作られた話はガセっぽい?という話
@matu2syun あと近世には神仏絡みなら物見遊山や旅行がかなり規制されていなかった、ってのも大きそうですね。客呼び込みのためいろいろと策を凝らしたようで。あと、ネタがネタとわからなくなったのって、戦後にそれまでの知識体系が断絶したせいとか。
2013-04-14 12:50:13@matu2syun 資本主義は、近代国家と結びついて「人口を増やせ、そのために精液を無駄遣いするな!」と唱えます。効率性を重視する資本主義の精神が、繁殖にまで口を出してきた形です。
2013-04-14 12:50:26@matu2syun それに対してポルノは、蕩尽の側面を見せます。ポディウムでぶちまけられるドンペリのように、大量に射精します。AVでも、エロマンガでも、ポルノ小説でも、美少女ゲームでも、すべて同じです。ポルノがアンチ資本主義というのは、まさにそういう意味です。
2013-04-14 12:50:56@nonomaru116 たしかにそれはありますね。江戸風水説初見の1741年の後に、迷信だと批判されながらも秩父巡礼が爆発的に流行しています。秩父巡礼の札所には喜多川歌麿が下絵を書いたむやみにセクシーな観音坐像があります。
2013-04-14 12:55:38@matu2syun 資本主義が近代国家と組んで、大衆に無駄遣いを禁止し、きついdisciplineを課したため、そのガス抜きとしてポルノは逆に精液を無駄遣いしまくる、つまり、大量に射精しまくるということになったのだと思います。
2013-04-14 12:56:23@matu2syun もちろん、大量の精液には「おれは雄として他の雄に勝ってるぜ~」って優越感を味わうための心理的な理由もあるのですが。
2013-04-14 12:56:34これが江戸風水説と時をほぼ同じくして大流行した秩父観音巡礼の仏像「金昌寺・慈母観音像」http://t.co/H7WWWhz40M 喜多川歌麿作
2013-04-14 12:59:05個人的には、なぜオカルトがアンチ資本主義の意味を孕むようになったのか、なぜアンチ資本主義として現れたのか、そこに興味がある。ポルノの場合は、その理由はよくわかっているのだけれど。
2013-04-14 13:00:00@boin_master あー、なるほどですね。そういうことですか。確かに倹約令がやたらに出ている時期ですね。ガス抜きか。なるほど。
2013-04-14 13:00:19考えてみると喜多川歌麿のセミヌードの観音像というのはすごい、アラーキーに杉本彩をモデルとして仏像制作を依頼するようなものだ
2013-04-14 13:04:18むしろ基本は「江戸城外堀物語」(http://t.co/MH1kdQThgq)ですね。寛永期の天下普請を詳細に書いた好著でお勧めです。なお、玉栄拾遺の記述だと全体の流れがわからないので、逆にあんまり使ってなかったり。 @matu2syun 典拠はやはり、玉栄拾遺とかでしょうか?
2013-04-14 14:46:33その辺は剣豪関連を調べてても思うところで砂。史料自体が殆どなくて、後世の逸話集くらいでしか目立つ話がなかったりしますし。気合入れて探れば割と出てくるんですけど、そこで分かる話がまた地味なので、見栄えする逸話ばかりが紹介されるんで砂。で、創作が延々と残ると @matu2syun
2013-04-14 17:11:19【江戸城が風水に基づいて作られた話はガセっぽい?という話】 http://t.co/6eju7wyDvR 追記が入ったので読む。「全部荒山メソッドみたいなもん」という話でおおと。これとも近い話で砂 【創作が史実と誤認されることについて】http://t.co/UIAV19mGk6
2013-04-14 17:30:23先日の「江戸城風水説」のまとめに色々反応があり、ブログ「国家鮟鱇」氏から「史料を歪曲している」旨の厳しい批判もありました。築城関係の史料に詳しい方のようで、色々教えられることも在りました
2013-04-23 07:07:21「国家鮟鱇」氏の批判は正当なものも多いと思いますが、正直な話、「それはちょっと言いすぎじゃないのかな」というのもありました。私の方でも更に調べましたので、また連ツイをしたいと思います
2013-04-23 07:08:56まず、1603年の第二期江戸城築城での設計者は藤堂高虎か否かという点。「国家鮟鱇」氏は、藤井尚夫氏の論考を引いて「高虎が他で行なった縄張りと、江戸城の縄張りを比べるとかなり雰囲気が違う。(中略)さまざまな束縛があったらしく、結果的に「高虎流」が強く現れていない。」といってますが
2013-04-23 07:11:45藤井氏の論考には、「高虎は、彼が手をつける以前の江戸城で利用できる部分は大きく変えなかった。つまり「モデルチェンジ」ではなく、「マイナーチェンジ」的作業を行なったのではないだろうか。こう考えると、現存の江戸城の縄張りの一部に、後北条氏時代の名残があってもおかしくはない。」とあり
2013-04-23 07:12:45ますので、これを以て藤堂高虎の江戸城設計が部分的なものではないかという自説の補強をされるのは無理筋ではないかと思います。藤井氏は単に高虎が御北条の縄張りを元とした部分もあると考えておられるのではないでしょうか
2013-04-23 07:14:30また、『国家鮟鱇』氏からは、落穂集の読み方がおかしいというご指摘も在りました。http://t.co/TPhUTMBNAv
2013-04-23 07:18:42これについては原史料の解釈ですから相違があるのは当然のことですが、ご教示で一つ疑問が氷解しました。落穂集の四神相応説が他の資料と異なるのですが、これは北条流軍学に依るものだというのですね
2013-04-23 07:20:22実は四神相応説は風水の本家中国でも諸説があるのですが、土地の高低について言い出すのはややマイナーというか、あまりみない説です。
2013-04-23 07:23:31ですから出典がどこだか調べてもよく分からず難渋していたのです。例えばデ・ホロート『中国の風水思想』では、土地の高低の風水説については極めて簡単にしか書いてありません
2013-04-23 07:25:38また、大阪大の水野杏紀さんの論文『「四神相応と植物:『営造宅経』と『作庭記』を中心として」『人間社会学研究集録』2007,3』にも、土地の高低を四神相応説に当てはめる説は載っておりませんでした
2013-04-23 07:28:51