後期クイーン問題(第一)について、質問してみる。
ミステリの世界には「後期クイーン問題」という面白い議題があるのですが昨年末からすっかりそれに傾倒、自分でも何故そこまでのめり込んでいるのか不思議だったのですが、ようやくその理由に至れた気が。 ある側面ではマジックもミステリも、いや表現そのものがディスコミュニケーションなのです。
2013-05-24 17:30:24@rouis_ymgs そういう面白い問題があったのですね。少しぐぐってみたのですが、第一の問題とされているのは「現実の犯罪でも全く同じなのではないか? ミステリー固有の問題ではないのでは。」と感じたのですが、ミステリファンが問題にするからにはなにか誤解があるのでしょうか?
2013-05-24 17:41:48@rouis_ymgs 要は、ミステリであろうと現実であろうと「100%完全な真実などワカラナイ。自白だって嘘かもしれない。自分が犯人だという記憶だって植え付けられたものかもしれない。」という風に感じるのです。
2013-05-24 17:45:20@rouis_ymgs カッコつけた言い方をすれば、科学でよく言われるように、ミステリの解も、その作品の中でもっとも上手く説明できる(多くの人を納得させられる)仮説にすぎないけれど、それでよいのでは。と感じたのです。
2013-05-24 17:51:46@rouis_ymgs なにか、ルイさんに食って掛かってるみたいになっちゃいました>< そうではなくて純粋な疑問ですので、気が向きましたら教えていただきたく。
2013-05-24 17:54:45@you_you_1 この問題が「後期クイーン問題」と呼ばれるのはエラリー・クイーン作「ギリシャ棺の謎」に所以します。クイーンは所謂「読者への挑戦」を確立したことで有名ですが、この作品で探偵は犯人の残した偽の手掛かりに振り回されます。
2013-05-24 18:59:01@you_you_1 「偽の手掛かりを残せたものが真犯人である」というロジックも成り立つのですが、これは「メタ手掛かりとメタ真相による無限階梯化」という入れ子構造のイタチごっこ的な別の問題を生んでしまいます。
2013-05-24 18:59:12@you_you_1 こういった経緯によって生まれたため「探偵は作品内人物であるがために、手掛かりの真偽を判別できず、よって唯一解である真相に至ることができない」という問題が「後期クイーン問題」と呼ばれるようになりました。
2013-05-24 18:59:32@you_you_1 これが「自己言及のパラドックス」「ゲーデルの不完全性定理」にも似ているため、後期クイーン問題は「ゲーデル命題」とも呼ばれます。
2013-05-24 19:00:09@you_you_1 ちなみに「唯一解に至ることができない探偵が、事件や容疑者に対して神のごとく振舞ってよいのか」等の派生的な問題も生まれています。
2013-05-24 19:00:20@you_you_1 「読者の挑戦状」は作品外から作品内に干渉する――作品外人物である作者が「必要な手掛かりは揃った」と断言する――ことで手掛かりや真相の絶対性を保証するという試みですが、これもまた「ミステリの真相は作者の恣意性に過ぎないのではないか」という新たな問題を生みます。
2013-05-24 19:01:03@you_you_1 これを個人的に言い換えるなら「作者によって敢えて書かれなかったメタ真相が存在する可能性を誰も否定できない」となるでしょうか。これもまた無限階梯化であるわけです。
2013-05-24 19:01:21@you_you_1 何を参照しているのか不明ゆえ、ゆうゆうさんの仰る第一の問題が何か分からないのですが、再狭義の後期クイーン問題は「真相の絶対性は如何にして保証されるのか」となるでしょうか。
2013-05-24 19:02:01@you_you_1 「真相の絶対性は如何にして保証されるのか」これはミステリのみならず現実世界でも同様で、無限階梯化に対する現実的な解答が必要ですが、それに対する現代日本社会の暫定的な解決が三審制であるわけです。
2013-05-24 19:02:27@you_you_1 それを受けて、法定を模したような状況で「より説得力のある論理を提示できた方が勝ち」というような実験的なミステリ等も最近は出てきていたりします。
2013-05-24 19:05:35後期クイーン問題と聞いて。僕がそれについて認識してたのは、「犯人とされる容疑者が真犯人であることを、作品内の登場人物が断定することは事実上不可能である。けだし、観測されなかっただけ(描写されなかっただけ)の事実が、ある推理を否定する可能性を否定はできないから」のような感じ。
2013-05-24 19:17:36ミステリーにおける構造上の矛盾のことで、例えばこれに対する解決案として、ノックスの十戒がある。その中に、「描写されなかった手掛かりを推理の根拠として用いてはならない」がある(はず)。ただ、この十戒も恣意的なもので、ある作品の真実を絶対的たらしめるのにはやや不十分。
2013-05-24 19:22:24ただ、後期クイーン問題はミステリーという作品についてのみ論じられることで、現実の解釈として用いるのは個人的にはやや違和感。それというのも、ミステリーにおいては作者は全てを観測しているので、作品外においてはこの問題は起こらないはずだから。
2013-05-24 19:25:27やや意見が別れそうだけれども、僕は作者は作品における神であり、全ての事象を把握している(べきである)と思う。よって、現実の解釈に後期クイーン問題を用いるというのなら、この世界の外側に、もう一つ世界を認めねばならないことになる。後期クイーン問題は、世界を限定した悪魔の証明と言える。
2013-05-24 19:28:28かのように、ミステリーの面白いところとは、作者と読者の間に暗黙のルールがあり、そのルールの間で取り決めがなされる点。ある作者が作品中に用いるルールを解読するのも、また面白いのであった。
2013-05-24 19:29:55読者への挑戦は手掛かり提示のピリオド、という点から考えると、ある物語を「事件編」と「解決編」に章分けするのはなかなかスリムな解決案だなあ、と思ったけど、その様式美が昨今は失われている感は否めない。
2013-05-24 19:49:29