相変わらずYouTubeで見るだけですが最近は『TombRaider anniversary』に熱中。無言の一人ぽっちの中でひたすら無人の仕掛け遺跡の中を動き、失敗すれば一人で死んでしまう、その静かな逼迫感がいい。ソーラさんという女の子のやっている実況が可愛くて気にってます。
2013-08-01 07:22:35ゲームはストーリーが三流SFでゲンナリですが、トゥームレイダーシリーズは初期の二三本はストーリーなんかどうでもいいって感じで一人ぽっちの無言のアスレチック世界。なのに新作でどんどんつまらないストーリーが入ってがっかりでしたが『anniversary』は初期篇のリメイク、これはいい
2013-08-01 07:30:20ゲームは、一人のメインが、シューティングで人間やらゾンビやらを殺すことなく無人の中を彷徨い続けるものがいい。例えば、ストーリーはげんなりですが『Penumbra』も2まではいい。しかし日本を舞台にした最新の『TombRaider』は出来は悪くはないですが殺し過ぎ。
2013-08-01 07:39:05Limbo』とか『Unmechanical』とかはシチュエーションなかなかいいのですが、まあ横写しのカートゥーン・アニメなのが残念。出来れば『Half Life2』からストーリを抜いたみたいな異常長回し映画風の感じが・・・・
2013-08-01 07:55:18「何故その様な存在理由の問えない〈私〉を想定せざるを得ないのか」という問いかけに対して永井均さんは「想定せざるを得ない理由などない。何故ならそれは想定せざるを得なくないからである」と答えている。「〜せざるを得なくない」という語法は妙だが、「何故か知れず」殆ど僕は全面的に賛同する。
2013-08-01 09:50:14永井さんはそれに続けて次のように書く。「しかも、それがなければ何もないのと同じといえるほどの重要性を持って存在するにもかかわらず、それを「想定」してもしなくてもすべては何の変わりもない、というところに、この問題の本質があると思う」。これにも僕は「何故か知れず」全面的に賛同する。
2013-08-01 10:01:53或る「文」が語ることを疑うことも否定し破壊することも可能だが「文法」を疑い破壊することは不可能。だから或る意味では「文法」こそが「人間」の「環境世界」であることになる。だがしかし、奇妙なことに、その「文法」にすら或る「陥没」があり、もっともそれは「文法の外部」への開けではなくて?
2013-08-01 12:52:05ご覧のように僕は今しごく初歩的なところで永井さん的場所+ウィトゲンシュタイン的場所etcを堂々巡りしているわけです。いかんせん頭の悪さはどうにもできないもんです。そういや昔西谷修に「年代外れのネアンデルタール人」と言われたことがあるのを思い出した! あれはどういう意味だったのか?
2013-08-01 12:59:25・・・と言ってさすがに一からオートバイ運転を覚えようとしているのではなく、そこそこ乗れているのが、新式バイクを与えられてその新規の操縦操作を覚えているというわけで・・・と言って、頭の悪さの言い訳にはなりませんが。
2013-08-01 13:56:26まあしかし、例えば丸山圭三郎さんとかを批判検討する永井さんの手つきには感嘆してしまうので、と言うのも僕は「こりゃ使えない」と思うや投げ捨てて忘れてしまう人間で、「批判によって乗越える」ということをしないからで、実際「言分け」とか何とか言い出した時点で丸山さんは僕から消えてしまった
2013-08-01 14:04:09永井さんの『ポスト〈道徳〉的文化の展望』という短文は珍しく(!)僕にはかなり疑問を引き起こす文章。何かが違うという気がする。まあ、後の展開を見なければ分からないが、1987年という書かれた年が何かの影を大きく落としているのか・・・。その後を精読します。
2013-08-01 18:48:29しかしベルナール・ポートラなんて名前が「極端なニーチェ主義言説」の例に出てくるのに一瞬驚く。確かにポートラはフランス・ニーチェ論の「隠れた導者」の一人とも言えるが、何よりもスピノザ主義者でありリルケ研究者でありオルテガ紹介者であり・・・の方の印象が僕には強いから・・・
2013-08-01 18:52:19そういえば永井さんのスピノザ観というものを今のところ見つけていない。これまた、精読してみます。 ・・・って、まあ87年くらいっていったら二十年以上前の文章、竹内芳郎の時事的”現代”哲学批評なども引用される時事的な気配の濃い文章に引っかかるも何もないでしょうが。
2013-08-01 19:26:54それに、序文に「私にとっては使い捨てられた文章」(二十年以上前に!)を集めたものと書かれているものに今更、かもしれません。いや皮肉を言っているのではありません。問いが使い切られたわけのものでもないでしょうから、少し季節外れに精読再開します・・・
2013-08-01 19:38:16永井さんの哲学はインターナショナルな問題系で説得的なのですが道徳論になるとコミュニタリアニズムは無論リベラリズムだろうとリバタリアニズムだろうと社会伝統の実践惰性性が関係し、日本というローカリティの性格、倫理と道徳の西欧とは異質の癒着性が看過されて普遍で語られることに違和感はある
2013-08-01 23:10:18例えば「実験心理学」が幾つかの異集団(或いは異個人)間の混在に於ける相互反応を研究する為に実験を行う時、そこに於ける最も大きな「異要素」が実験者であり得ることを忘れては成らない。例えばそこに被験者が「観察者のために演技を展開する」可能性が介入する・・・
2013-08-02 13:02:47永井さんを通して久しぶりに柄谷さんの『探求』を再考。永井さんの批判文は最も整理され透徹したもので、そのことによって柄谷さんの企画は或る意味最良の開かれを得ている。柄谷さんにとって結局「真の残余」は「文学空間」に「黙契」において預けられているということも・・・
2013-08-02 13:47:08・・・ついてに、前に永井さんのスピノザ観はどこに書かれているかと書きましたが、この柄谷論の中に「柄谷さんのスピノザ」を通して語れています。もっとも、そこにあるのは何方かと言えば哲学史的に通例的に了解されたスピノザですが、ともかく・・・・
2013-08-02 13:51:34経過報告? 永井さんの「ポスト〈道徳〉的・・・』に違和感と書きましたが、その後に続く論考で錯綜する思考の修正が加わって、僕にとっての違和感はだいぶ解消しました。難所!を幾度も墜落しそうになりながらクリティックにクリアして行くその思索の運動は魅力的です。ララみたい・・・は冗談。
2013-08-02 19:25:37しかしさすがに、カミソリ系の文章ばかり読んでいると、もっさりした本が読みたくなります。ロートの『ラデツキー行進曲』の柏原訳が手に入ったのでそこらへん・・・と思っても、まあ、野暮用仕事があってそれは当面無理のようで・・・
2013-08-02 19:28:50何故「頽落形態のデカルト主義」の形成は避けられないか、或いは殆ど不可避であるか。単純な答え−要は「思考的世界の自動的自己防衛機制」によってである、というのは無論、答えになっていないとして謎はむしろそれを「頽落形態」として「見抜き・苛立つ」視点が与えられているということであり・・・
2013-08-03 14:25:01