うぎゃあ @yugamiyousai さんによる與那覇潤・東島誠『日本の起源』覚書

うぎゃあ @yugamiyousai さんによる與那覇潤・東島誠『日本の起源』(太田出版)自分用覚書 出版社サイト http://www.ohtabooks.com/publish/2013/08/29153651.html
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うぎゃあ @yugamiyousai

與那覇潤・東島誠『日本の起源』読んだ。以下、自分用覚え書き。

2013-09-18 21:36:47
うぎゃあ @yugamiyousai

【古代】 ・天皇の起源について。最初の天皇は推古。天皇以前の天皇(大王)は三世紀の邪馬台国にせよ五世紀の倭の五王にせよ諸豪族に共立、推戴された豪族チャンピオンであり、血縁による王統継承が最初から自明だった訳ではない。世襲制は「発明」された統治技術。

2013-09-18 21:37:54
うぎゃあ @yugamiyousai

・直系継承による権力独占は本来「自然の情」に反する新概念。この反発を抑える正当化の原理が日本では「血の高貴さ」、中国では「徳の高さ」とされた。

2013-09-18 21:38:25
うぎゃあ @yugamiyousai

・卑弥呼をめぐるジェンダーの問題。義江明子や石母田正による研究。親魏倭王たる卑弥呼は国を代表して「外交」する開明的な王。それを補佐した弟は「内政」を担当。男は外(俗権)、女は内(聖権)というヒメ・ヒコ制の理解は近代以降の創作。

2013-09-18 21:38:50
うぎゃあ @yugamiyousai

・古代に女帝の多かった日本とは対照的に唐代中国の則天武后はありうべからざる例外中の例外という扱い。権力集中の度合いが日本より高いぶん、正当化の原理(アカウンタビリティ)もより純粋、強化される。

2013-09-18 21:39:27
うぎゃあ @yugamiyousai

・称徳天皇の頃の公卿のトップは道鏡や吉備真備のような遣隋使、遣唐使を経験したキャリア官僚。家柄ではなく個人の実力による人材登用。ただし中国の科挙のように持続的に制度化はされず、君主と近臣とのパーソナルな関係に留まる。

2013-09-18 21:40:31
うぎゃあ @yugamiyousai

・女帝の時代の終わり。天武系から天治系への皇統チェンジ。それを正統化する景戒『日本霊異記(日本国現報善悪霊異記)』の「天の下こぞりて歌詠いし」物語。出来事の前兆がまず現れ、それが「歌」となり、その歌が人々に広まっていく事でやがて実現してゆくというスタイルで物語られる歴史。

2013-09-18 21:42:32
うぎゃあ @yugamiyousai

・「民の視、民の聴く(『孟子』)」ことを介して示される「天命」。ある意味日本版の易姓革命。 ・政権の正統性の根拠が理屈より物語に置かれる日本のポピュリズム。中国ならもっとスパルタンな感じ。

2013-09-18 21:42:55
うぎゃあ @yugamiyousai

・皇統チェンジ完遂の為、新皇統二代目の桓武は自分の息子と娘を婚姻させまくる「純血大作戦(服藤早苗)」で血の高貴さを強調し、称徳の時代を否定。尚、当時は通い婚だったので近親婚にそれほど抵抗はなかった模様。

2013-09-18 21:44:13
うぎゃあ @yugamiyousai

・『古事記』と『日本書紀』の違い。前者には「日本」という用語が出て来ない。日本がまだ中国を知らず、従って自国を定義する必要がなかった頃の世界が描かれている。

2013-09-18 21:45:24
うぎゃあ @yugamiyousai

・「日本」号は「天皇」号よりも後に誕生。古代人のアイデンティティは「ヤマト」という言葉にあって「中国から見た東」を意味する「日本」にはなかった。

2013-09-18 21:45:45
うぎゃあ @yugamiyousai

・卑弥呼への母性原理の仮託。「日本」国号への過剰な意味の読み込み、室町の廃墟の中から遡って幻想された平安貴族の典雅(寝殿造とか平安時代にはなかったらしい)。実態とかけ離れてイメージされ続ける過去。「戦後民主主義の輝き」も似たようなものだったのでは?

2013-09-18 21:46:16
うぎゃあ @yugamiyousai

・徴税能力と国土面積の限界。通貨さえ借り物だった。中国並みの権威確立とか無理ゲー。 ・森鴎外『かのように』の論理。理想の王権や本物の大内裏はすぐに壊れてしまう。だから、今もある「かのように」演技し続けようというライフハック。

2013-09-18 21:47:10
うぎゃあ @yugamiyousai

・摂関政治の末期、関白左大臣、右大臣、内大臣、権大納言と公卿のトップが25年間入れ替わらなかった時期がある。その間、天皇は若死にが多く、後一条、後朱雀、後冷泉と変わる。もう殆ど象徴天皇制。

2013-09-18 21:49:09
うぎゃあ @yugamiyousai

この間、天皇位は親から子ではなく、兄から弟へ横にスライドする傾向が強かった。(その方が摂関家が天皇の外戚の地位を維持し易かった為)。 ・天皇の短命と摂関家の長寿、この超安定(停滞)構造の行き詰まりが後三条の新政、ひいては院政期を用意。

2013-09-18 21:49:32
うぎゃあ @yugamiyousai

・イエ制度の確立による摂関期から院政期への移行。在位の君(天皇)よりも治天の君(上皇。天皇家の家父長)の方が強くね?という感覚。 ・「空虚な中心」としての天皇(ロラン・バルト)。天皇自身は不執政の立場で、天皇に物理的に近い位置にいる者(外祖父や隠居親父や乳夫など)が権力を握る。

2013-09-18 21:50:42
うぎゃあ @yugamiyousai

・唐に倣って律令国家を創り、官僚制を導入したけど、結局もっとパーソナルな家産制的官僚(ウェーバー)の方が使いやすい。中国的なアカウンタビリティの不徹底。 ・法治社会ならぬ人治社会。政治という公的な場がパーソナル(人格的)な紐帯に依存している。東島「そこで男色ですよ!」(AA略)

2013-09-18 21:51:35
うぎゃあ @yugamiyousai

・ある特定のイエが特定の官職を世襲するとなるとそれを簡単に取り上げる訳にはいかなくなる。新しい事をやりたかったら温泉旅館の新館や別館のように別ポスト(令外官)を新設するしかない。萎びた本館は建て変えずに放置。

2013-09-18 21:54:42
うぎゃあ @yugamiyousai

・文字の霊力。文書による統治技術を持っていたのは朝廷(京都)だけだった。「力を権利に、服従を義務に変える力(ルソー)」、武家政権がその力に気付いたから朝廷や天皇は存続する事ができた。

2013-09-18 21:55:31
うぎゃあ @yugamiyousai

・木簡などから律令以前の国造氏族にも漢字文化と儒教を受容していた形跡はある。ただ、地方にも識字者はいたが(中国で士太夫を排出したような)ミドルクラスの識字層が育つのは江戸時代以降。

2013-09-18 21:55:54
うぎゃあ @yugamiyousai

・内藤湖南の「応仁の乱以降が今日の日本」説と、網野善彦の「南北朝が文明史的な転換期」説。文字技術の担い手をどこに見出したかの異同では。

2013-09-18 21:58:14
うぎゃあ @yugamiyousai

・古代・中世まで京都に閉ざされていた文字文化が戦乱によって(文化の担い手たる公卿たちが全国に散ってゆく事で)初めて全国化し、国民文化となったとする内藤史観。

2013-09-18 21:58:26
うぎゃあ @yugamiyousai

・対する網野史観は非農業民のリテラシストに着眼。偽文書を多く含む由緒書(職許状)を武器に商業・流通の分野に食い入ってきたノマドたちが戦国以前にも相当数いた。(結果、文書さえ手元にあれば他人の権利も自分のものになるという倒錯も)。

2013-09-18 21:58:36
うぎゃあ @yugamiyousai

【中世】 ・二重王権、あるいは二頭制の問題。 ・朝廷と幕府(聖と俗。権威と権力?)の役割分担は別に日本に特殊な話ではなく、ヨーロッパの教皇と皇帝の関係も同じ。むしろ聖俗両方の権利を独占した中華皇帝の方が特殊。

2013-09-18 21:59:40
うぎゃあ @yugamiyousai

・中世といえば一般に武家政権が誕生した時代と解されるが、これを天皇を頂点とする国家の一部と見るか(権門体制論)、朝廷と並立する別の国家と見るか(東国国家論)で二つの見解が存在。

2013-09-18 22:00:16