【シューニャリアーナ享受論】評価と機軸その③

評価が軸を持ち得るか。 手法と芯を通したとして,それはフラットと言えるのか。 その観点の違いを描き出してみる一日でした。
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knm_mtym_2 @knm_mtym_2

@L_O_Nihilum その「芯をしっかりさせる」為には時には、自分の選択した評価軸を絶対に信じなければならない時もあると思います。結果として、誰かの別の評価軸に問題点を指摘されて、自身の評価軸が折られ、周囲からの信用を失っても、それは必要な敗北であるはずだと自分は考えます。

2013-09-27 22:55:39
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

@knm_mtym_2 その評価軸が、何だろう、例えば「XXの点において」という種のもので同一均等化されるものではない、というのが僕の主張になります。さきのゲームの件、東方何かの場合だと、グラフィックだとかキャラクターだとかといった軸では絶対評価してません。(→

2013-09-27 22:57:36
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

@knm_mtym_2 →寧ろそのような個々の要素が、「東方」を表現するにおいて適切な表現であるかどうかを、体験全体と照らし合わせて評価するようにしています。 部分と全体を行き来しながら評価するので、「有機的な評価」と言っていいのか…は分かりませんが(笑)。

2013-09-27 22:58:28

この評価方法がこそ僕のフラットな基軸である,というツッコミをする人は意外といないもんだなぁw。
まあ,フラットでもないんですけど。実際。

下のほうでもいいますが,基軸≠評価手法ですし。

難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

有機性って言うとホワイトヘッドとか言いたくなるが、言わない。 有機性、部分と全体の綜合一致という話は、ぶっちゃけ西洋哲学では伝統的に繰り返し言われてるモノだからw。

2013-09-27 23:04:40
knm_mtym_2 @knm_mtym_2

自分が傷ついた方が真理追求の役に立つのなら、迷うことなく傷つく事を選択するのが真理追求に関わる人間だと思う。それは時に否応なく求められる事で、その心構えが無いなら真理追求に関わるべきではないと思う。

2013-09-27 23:04:49
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

なんで「部分⇔全体」と思い至ったか考えたら、それも「享受論的疎外」ではないだろうかと思えてきた。享受する形式と内容によってユーティリティの叩きだす結果が違ってくる、でもその違いAが出すセンスデータはB,C,D…を疎外する(見落とす)。じゃ、その見落としたところを見る…繰り返す。

2013-09-27 23:08:15
knm_mtym_2 @knm_mtym_2

そうやってそれぞれに自分自身の絶対的な基軸を作って、時にぶつけ合い、時にすり合わせ「何であるか」という真理に迫る。アートに限らず真理追求とはそういう事。

2013-09-27 23:09:24

「絶対的」か・・・? 
これは違う,と思えばときに大きく路線変更することもあるでしょう?
それもしないで頑固に突き詰めていける人はほんとに一握りになってしまいます。
しかも,作り手のみならず受け手までかんがみたとき,どれだけの人がそんな確実化された基軸でものを見ることができてるのでしょうか…?
アートの背景には文脈が前提されたものもありますが,展示されるということはそれを知らない人間も鑑賞するということです。そこで,そのアートの面白さや本質,言及する内容が鑑賞した当初と食い違うことだってある。
相対的だからこそ,すり合わせたり対決させたりできるのでは?

この考え方は僕は「享受論的疎外」というカタチで扱います。享受はある種のカタチをもとにものを見ようとするけど,それによってほかの見方を見失う(疎外する)。疎外があるとわかれば,そことの差異を考察し,見方を広げていくことができる。本来性に依拠しない論の持ち方です。

難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

この繰り返しの連続のなかで、全体としての面白さ…これ、全体なんだけど俯瞰じゃないもので全体的に触った時の享受の雰囲気Xっつうのがあって、これをなすものが世界観という「大X」があって、これと自分の中の主観のXとの照応で、全体という「X」が手に入る。

2013-09-27 23:09:34
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

で、その「X」をなすために個々があると言う形で、個々の良し悪しをXから算出する。 部分から全体を導き、全体から部分を逆算する。 そうすると、部分部分の欠けたところの良し悪しだけでフラットだと言う事は出来なくなる。

2013-09-27 23:10:20
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

前レインさんに訊かれて答えたことだけど、人がモノつくるときには必ず影響や素材が必要である。ただし、その素材や影響、およびその使い方は、決して全く同じものや同じカテゴリの集合にまとめきることはできないわけだから。

2013-09-27 23:11:17
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

それは言い換えれば、「人が影響の塊」(ZUN)であって、その影響の表現の仕方が同じ目線や感覚情報のシステムを使って観測されることは不可能だぞー、ということの裏返しであって。

2013-09-27 23:13:08
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

部分評価の際、その部分が、全体においてどうだったのか、を見落とすと、部分的な汚点ばかりが目についてしまうわけだ。 で、その部分的なとこだけ見ておいて、「フラット」と。いやあなた、そこじゃないでしょ?ていう違和感が生まれる理由は、つねにソコなわけだから。

2013-09-27 23:14:07

作るのに用いられる素材やパーツ,およびその種類が一定でないからですね。

難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

勿論、そこが欠点として目に移り、面白くなかった、という事は大いにあり得る(前述のとおり)。でも、それが良し悪しの評価にまで飛躍するかあ?って話。 あなたは楽しめなかった。そしてその理由は個々のしかるべき理由に依った。それはいい。だが、それはその作品が好くなかった事の論拠にならない

2013-09-27 23:15:18
knm_mtym_2 @knm_mtym_2

ただ、しゅ―にゃん氏の言うように好き/嫌いの軸と、良い/悪いの軸は別。相互に影響を受ける事はあるがイコールではない。

2013-09-27 23:15:27
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

僕だって東方紅魔郷や星蓮船は比較的面白くなかった部類だと自分では思ってますよ でもそれぞれ事情考えてみなさいよ、Win第1作だし試験的な作品だったり、UFO打出の小槌でボム節約で弾消し出来るっていうの鑑みずに「難しい」だけでクソゲーって言うか?なわけない。

2013-09-27 23:16:35
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

曲が変に聞こえる、じゃやっぱり曲作るの慣れてなかったのかな?と思ったけど、蓬莱人形の件と妖々夢まで半音キー上げがあったことを取り入れれば寧ろわざとだったんだって分かるわけだし。そうやって、囚われてる自分のなかでの基軸を自己修正しながら追っかけてくもんではないかと。

2013-09-27 23:17:49
knm_mtym_2 @knm_mtym_2

でも、どちらにしても基軸は必要だと考える。またその基軸への別の基軸からの批判も認められて然るべき。

2013-09-27 23:19:29
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

評価に機軸と人は言う。 だがそれならばこう訊こう。 あなたは空に浮かぶ月が、<評価>できるの? (かっこつけ乙)

2013-09-27 23:20:16

閑話休題~。

こっからしたは,二人の興味,エトスの違いが出てきます。

難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

@knm_mtym_2 ところで、Knmさんはどのようなゲームが好みなんですか?僕は、キャラクターと色合いが明るいファンタジーなACT系、PZL系の和製ゲームがこのみな傾向があると思います。

2013-09-27 23:24:55
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

格闘ゲームはほとんどファンタジー寄りのものだと思ってて、だから僕の中で『モータルコンバット』が入ってこないと言うw

2013-09-27 23:25:41
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