- L_O_Nihilum
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@knm_mtym_2 ソレは落ちものパズルの多くに共通して「ターン」が無い事が要因ではないかなと。アクションパズルは規定された時間や個数が埋まって初めてゲムオバになるんで、そうならぬように綺麗に自分のなかで構築したパターンを素早く的確に再現するゲームとなるので。
2013-09-28 00:23:19そすると、「何使ってどう作ったか」なんていうのは、手法の良し悪しとしての評価、つまり個別の部分として観るのなら有効ではあるけれど、それ自体が作品そのものの良さに至るかというと違うな、ってのに気付く。
2013-09-28 00:16:22こっから、僕は「まずどのように作りたがってんのか」ていう図式を、なるべく作品から読み取ろうとする。遊んだ時の違和感とかから引っ張って、何をコンセプトにしてどう作りたかったのか、を繰り返し考えた末に評価を下す。時間かかるように見えて、割と一瞬で決まることもある。
2013-09-28 00:17:46こんだけ筋道を構造化するとそれが「フラットな視点の一つだ」と言われるかもしれない。そう批判されたら「まあそう見えるかもね」としか言わない。否定はしないが肯定もしない。
2013-09-28 00:18:53何故なら、部分と全体の行き来という評価手法は取っているけども、手法は飽く迄手法であって、基軸ではないから。じゃ「どこを基準に」部分と全体か、なんてものはない。基準を敷いていると、その地点で勝手に部分の切れ目をこっちがいれてることになってしまう。
2013-09-28 00:20:05全く入れずに評価してるのか。それは違う。 寧ろ、自分がどうしても、鑑賞の際に切れ目を入れてしまうから、そこに気を付ける。 理解することを日本語では「分かる」と言う。分けているのである。 分けたあとは、自分の分け方に注意する。すると「あ、ここじゃねぇんだ」って気づかされる。
2013-09-28 00:21:18だからパズドラはこの軸から行くと外れる。落ちものではあるけど、ターン制になっていて、構築結果とゲーム上での連鎖結果が、強制的なランダム性で大きく異なるうえ、キャラクターもついてRPGルーチンで行われるのでかなり例外的に見えるはず メテオスは微妙 点火演出の是非が問題になる
2013-09-28 00:24:44まあ「メテオス」だったら、あのゴールデントールハンマーが勝手に組み立てた山を破壊してくのさえなければ納得だろうなぁw てか、アイテム設定でオフにすりゃええんだけども。
2013-09-28 00:25:23また、自分の定義した「思い通りに組み立てていく(解き明かしていく)ゲーム」とキャラクター、世界観が強く絡むのは、アイテムやモンスターにコレクション性がある時かなあ。
2013-09-28 00:33:42自分は逆にその「コレクション性」の解体にチャンスを見る派だなぁ。只コレクション的な記号の羅列化にキャラクターが帰されてしまうと残念に思える(だから遊戯王やポップンの雑多化されたキャラが好みになれない、てかカードゲームがあまり好きじゃない)。
2013-09-28 00:37:01「綺麗に動かす事を目的としたゲーム」と「思い通りに組み立てていく(解き明かしていく)ゲーム」に当てはまるものというと昆虫採集ゲームと釣りゲーム等でも、ものによっては当てはまるか。そして現に当てはまるようなゲームは徹底してやりこんでいる…
2013-09-28 00:37:40艦これは何で大丈夫かというとその辺が非プレイのユーザーによってしっかり解体されてるから。パズドラの場合はパズルゲーム飛び越して別の商業展開して、グッズとかでキャラクターを広げてって自己脱出したからよかったけど、遊戯王はそれやろうとして全失墜して今に至ってるし。
2013-09-28 00:38:00「キャラ量産」に甘える考えは好きではなくって。遊戯王はカードゲームというジャンルの性質が確立してしまったことで、それに「甘えざるを得なくなった」ので、アニメもやめられなくなって原作捨てちゃった典型例なんで。
2013-09-28 00:39:30GXにおいて、十代くんが黒化したあたりでもう飽きた。遊戯たちが頑張ってることろは全力でストーリー組み立ててたから、いやいや言いながらもやっぱり最後まで追っかけられたけど、あとはもう「コナミの欲望でしかないな」に終始したんで。
2013-09-28 00:40:34だいたいカードはみんな均等にレアカード持つわけではないし,レアカードを買って揃えることもできるお店があるとなれば,あとはかね持っててたくさん買える人が有利になりざるをえない。
強いカードに,さらに強いカードを新しく発売,を続けているとパワーバランスがインフレしてしまう。
そこでエラッタや規制が入り,一定したルールで遊べない。
どんなにデュエルを学んでも,持ってる人間が必然的に強い構造になり,それを企業の体制も加速させてしまうという性質があるため,僕にはカードゲームは向かんかったのです。
もちろん,眺めている分には面白いです。特定のカード同士の多重な組み合わせから一つの流れを作り出して,それで一定の効果を得ようとする,論的な組み合わせとその現象の連関(要するにいわゆるコンボのこと)が面白み,なのはよく理解させられました。ただ,当然ながらそのためにはそのためのカードが必要で,それが集められるかというと,パックは基本ランダムなうえ,カードは確率で引くものなので,手がそろわなければそれもままならない(必要な素材となるカードを最初から決めてるカードなんてのがあればなおさら)。
ターンレスな自由度に欠けており,キャラクターは物化され,それぞれの価値が固有に与えられず(ブルーアイズなど一部がアイドル化するのみ),結局コナミ的にも世界的な広がりを前にやめられなくなったんだろう,って思うと遊ぶ気になれないのが僕です。
ちなみに遊戯王は,カードの効果およびその用法,それにかかわる用語を非常に細かくまとめているファンのWikiサイトが存在します(笑)ここは本当に素晴らしい!!あれだけ企業もいいかげんになるほど投げ捨ててる膨大な部分を,みんなで協力してしっかり体系化してまとめています。
あのページは眺めているだけで好きになれます。
遊戯王Wiki,と検索すれば出てきます。
遊戯王の「奥深さ」を実感する一手だてとしておすすめです。
@L_O_Nihilum 自分はゲームの場合、より強く「物」としてキャラクターを見ていますね。「次の目標(ゲーム側から設定される事も、自分で設定する事もある)を達成する為には、このキャラクターを通過(出会う、手に入れる、倒す等)しなければならないな」みたいな感じで。
2013-09-28 00:43:14@knm_mtym_2 僕は逆(?)な気がします。あの東方紹介まとめの手法確認においても、「表象しようとした外世」と書いていたと思いますが、あの「外世」とはゲーム等所謂虚構作品に書かれるキャラクターのいる場所、つまり作中世界で認識される現実の事でして。⇒
2013-09-28 00:44:30@knm_mtym_2 →そこから、キャラクターはその世界で生きてる誰かだ、という考えから、「外世他者」と呼ぶことによって成り立っていて。それはつまり、キャラクターをその世界のなかで生きてる価値としてとらえたがる僕を形成しているところの当のものなんだとおもいます。
2013-09-28 00:45:26外世(がいせ)とは。→