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元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
わたくしのイメージによるメビウス1って、人間やめちゃってる強さなんだけど、人間やめちゃった理由はそうでもしないと対抗できない壁(主に13)がいくつも立ちはだかっていて、人間であることをあきらめざるを得なかったというのがメビウス1の悲哀ではないかと
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
一方で黄色の13は人間らしくあれたんだけど、人間であるが故に侵略者であることに無頓着で、結局侵略者にもなりきれず、人間らしく戦って散っていったのは幸運なのか不幸なのか
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
つまるところ世間で云われている「メビウス1最強説」って、黄色の13のせいじゃないかと。 あんなに偉大な敵に「称えるに値する」と言われ「運命の敵機」と定められ、その彼を乗り越えて勝利をつかんだメビウス1は偉大に違いない、という
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
ともあれば、メビウス1がファーバンティで黄色の13に勝利したのは戦況によるものに過ぎないのかもしれず、わたくしの中でのエース強さランキングの中ではメビウス1より黄色の13の方が微妙に上位に居たりする。次点でサイファー。PJは結構上の方
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
エースコンバット04はシリーズの中で見ても特異点だと思う。その理由は、ストーリーテリングにおける根幹にある考え方、ROBIN氏@robin01jpの言う所の「人の意識が存在する世界」にある。なお今回は、ゲーム性に関する記述は「基本的に」一切しない。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
エースコンバット04の見せ方の大原則、それは「人の意識が存在する世界」である。一方、近年のゲーム、アニメーションに氾濫している、わたくしを辟易させている表現がある。それは、「人の意識でできている世界」である。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
この二つは似ているようで全く違う。「人の意識が存在する世界」とは、簡単に言うとこの世界そのものである。誰かの視点を借りることなく、転がっている事実が淡々と描写される。何か特定の存在がゲームの側からフォーカスして提示されることは、ない。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
一方で「人の意識でできている世界」とは、人間が観察していることでできる、人間の脳内で再構築された世界である。誰かの脳内で再生されている以上、捉え方は自分とは違うかもしれず、また特定の何かに向けられた目線が強調して提示される。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
誰かの脳によって再構築した世界は、同様の考え方をできる人間を共感させることはできる。だが、すべての人間の考え方が同等ではない。そういう人を説得させることはできない。この脳の違いによる相互理解の限界に関する話は、ある先生がすでに本で説明している。養老孟司先生の「バカの壁」である。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
「人の意識が存在する世界」を構築するのは困難だ。なにせ我々人間は、意識と言うなのフィルターをかけてしか世界を観測することができないのだから。だがそれを乗り越え、あくまで客観的に事実が転がっている世界が表現できたとき、ゲームの画面には真実味が出現する。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
そもそもエースコンバット04において、真実味を持たせなければならない理由とは何なのか。それは「PS2の性能が実現する、今までとは一線を画するリアルな表現」が原因であろう。リアルなグラフィックで表現される世界観が、どこか白々しい恣意的な選別を経たものであっては矛盾が生じる。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
こうしてできた「人の意識が存在する世界」では、矛盾するはずのものが併存する。憎しみと親愛、昂揚と静謐、客観と主観。「人の意識でできた世界」では排除されるそれは、「現実に転がっている以上しょうがないじゃないか」という理由によって併存し続ける。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
だれか一人の頭の中だけで考えられた世界ではないが故に、AC04プロジェクトが描く「メビウス1の英雄譚」と、片渕須直氏の綴る「黄色の13と戦災孤児の少年の悲哀」は、ひとつの世界に存在するものとして矛盾なく受け入れられる。ここからさらにエースコンバット04の宿業は広がりを見せる。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
プレイヤーは「メビウス1」というキャラクターを操作するが、当初の思惑はさておき、メビウス1=プレイヤー、とはならない。物語はメビウス1の意識を通して見た世界としては提示されていないからである。強いて言うなら、プレーヤーはメビウス1「の役を演ずる人間」として、このゲームを操作する。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
一方で、サイドストーリーには僅かにも感情移入の余地が残されている。少年が書いた手紙であるこのサイドストーリーには、少年の視点がほんの僅かに感じられる。プレイヤーは黄色の13が魂を持った人間であり、崇高な精神を持った者だと認識する。だがその13を、最後には撃墜せねばならない。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
撃墜せねばならない理由は単純明快で、そうしなければゲームが進行しないからだ。かくして、プレイヤーという神の手は「メビウス1」という駒で、崇高な「13」の命を奪う。 ゲームという主体を持って行うものであるが故に、プレイヤーは昂揚感と虚無感を同時に味わうことになる。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
黄色の13の魂を見てしまったプレイヤーが、メビウス1と言う手法で彼を殺す。プレイヤーキャラクターという、主体に半歩踏み込んだ存在であるが故に、メビウス1は黄色の13のことなど何も知らないのかも知れないのに、プレイヤーは空中で戦ったこの二人の間に「絆(あるいは宿命)」を錯覚する。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
そして、メビウス1が黄色の13のことを「偉大なパイロットであった」と手放しで絶賛している、と思い込むことができる。この思い込みは決して悲劇的ではない。何もキャラクター性が提示されないメビウス1は、こうしてプレイヤーの間で伝説となっていく。メビウス1最強神話の誕生である。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
実は、これまで書いた「矛盾するはずの感情が併存している」状態を、これ以上なく明瞭に図案化したものがある。まさにソコにある。それは、メビウス1のエンブレムである、「メビウスの輪」である。「表が裏である」という矛盾したような状態は、まさにこのメビウスの輪に表現されている。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
エースコンバットのエンブレムの中で、メビウス1のそれは特異点である。何がかというと、「生物でない」というそれにおいてである。 何のことはない。(偶然ではあるが)メビウス1のエンブレムは、メビウス1自身ではなく、エースコンバット04の世界観そのものを表すエンブレムだったのである。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
まぁ何が言いたいのかって言うと、こんな12年も経ってネット界隈で言及されることの絶えないエースコンバット04ってやっぱり怪物タイトルだったんだなってこと。 でなければ264万本も売れないか。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
ちょww片渕須直監督にリツィートされとるwww こんな頭の中をほじくり出した妄言にご傾聴いただき感謝いたします。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
テンション上がってきたところで、一気に書いていく。04の、もう少し細かな演出面に関する話である。概ね方向は3つ、「生々しさ」と「あきらめの悪さ」、あれ、もう一個なんだっけ
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
ああダメだ。思い出せん。 思い出したら唐突に書くとしよう。
元関脇 竹乃節 @take_no_fushi
そうだ!「観察される世界」だ。
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