「武勇の大将」と「武勇の士」の違い2~剣豪将軍足利義輝や徳川家康をめぐって

勝手に作ってみたhttp://togetter.com/li/587432の続編。 総大将と一武人の資質は違う、という話は項羽と劉邦の時代から語られていました。日本の、特に武術と武将の関係は?「剣豪将軍」として知る人ぞ知る足利義輝、そして実は個人的武芸という面では戦国武将トップクラスの徳川家康。彼らの逸話や資料を元に考えます。 主要ツイート者は ============ 神無月久音 @k_hisane 続きを読む
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神無月久音 @k_hisane

それもあるかもですねー。まあ、家康が大将としての武勇と、一個人としての武勇を切り分けていたのも影響してるのかもですね。 @DaishiZeppelin 家康は肥満している印象が強くて、なかなか剣士のイメージがわきにくいのかもしれないですね。

2013-11-11 06:01:09
神無月久音 @k_hisane

この辺の話は、こないだもちょっと話してたのをまとめて頂いてたので、再掲をば。【「武勇の大将」と「武勇の士」の違い】 http://t.co/qhDksJ4alS

2013-11-11 06:03:05
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

「街道一の馬の乗り手」と皆が期待し、家康が乗馬でどう細い丸木橋を渡るか見ていたら、馬を降りたので大半はがっかり、通だけ「それこそ馬の名手だ」と感心した…という話と、家康の剣も同じなんですかね。「大名は不意の一撃をよければいい」も家康コンセプトでしたっけ? @k_hisane

2013-11-11 06:03:14
神無月久音 @k_hisane

ですね。だからこそ、その最初の不意打ちを可能な限り防げるように、というのを模索した結果、「無刀」の技を得た石舟斎の招聘に繋がったという訳で。 @gryphonjapan 「大名は不意の一撃をよければいい」も家康コンセプトでしたっけ?

2013-11-11 06:06:45
神無月久音 @k_hisane

@gryphonjapan 更に言えば、家康は祖父の清康を家臣の不意打ちで喪い、父を暗殺(これは諸説あるが)で喪ってるので、尚更に「まず自らの命を守る」ために兵法を研鑽した、という見方ができるかなと。その意味で、柳生系の新陰流の兵法思想は、もろに家康のニーズにマッチしてた訳で。

2013-11-11 06:09:48
神無月久音 @k_hisane

で、その家康の思想を踏まえて、更に時代に合わせた兵法思想を確立したのが、石舟斎の倅の宗矩な訳で、当時の兵法者とは明らかに考え方が違うんで砂。まあ、その辺はこちらで書いてるのでよろしければー。【やる夫で学ぶ柳生一族外伝「解説・兵法家伝書】http://t.co/wPOAHp6mQS

2013-11-11 06:18:14
Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) @gryphonjapan

togetter用資料(上のリンクはとある不要な連携アプリが経由されるので、こちらからどうぞ。) / “やる夫で学ぶ柳生一族 外伝その3・前編1 | 多元 | やる夫RSS+インデックス” http://t.co/91X232mVfl

2013-11-11 19:46:51
神無月久音 @k_hisane

そういや、「名人の見事な腕前を見ようとした人たちに対し、名人が、「無駄に危ないことしても意味ねーよ」とばかりに普通に対処する」話は結構パターンありま砂。ト伝や宗矩を主役にして、気の荒い牛にどう対処するかを見てたら、ぐるっと遠回りしてよけたので、一同「えー」となった話がありますし

2013-11-11 06:23:33
我乱堂 @SagamiNoriaki

@k_hisane そういえばソースがあやふやなんですが、「君子危うきに近寄らず」ってのは日本でできた諺だそうですな。大陸だと「虎穴に入らずんば虎児を得ず」ですし。ここらの違いは思想的に何かしらの背景があるのかもしれんですね

2013-11-11 06:26:35
神無月久音 @k_hisane

面白いのは、宗矩の場合、それがリアルにあったらしく、弟子である鍋島直能の記録を記した鍋島文書の直能年譜、正保二年の項にこんな話があるんで砂。

2013-11-11 06:27:18
神無月久音 @k_hisane

『直能公柳生但馬守へ御兵法御執行の最中、御国許にて御狩被成候時、猪を御鉄砲にて被遊候に留まらず、直に向こうて猛りかかり御股の下をくぐり通る処を御右の足を越させ給ひ、後ざまに抜打に遊しければ即ち留まりける(続く)』

2013-11-11 06:27:37
神無月久音 @k_hisane

(続き)『其身様にも少々御自慢にて此段を江戸にて柳生殿へ御話になれば、いやいや未だ御修行たらず、股下をくぐり候はぬ前に御志留可被成候。くぐりてよりは危しと御申し有りけるを、深く御仰服有、其後弥々御執行御長じ被成候由』

2013-11-11 06:27:51
神無月久音 @k_hisane

言ってる事自体は、「なんか危なそうだったら、なるたけ気をつけた方がいいよ。わざとギリギリいって避けるとか厨二病乙」というお話なのですけど、この辺、兵法と称して言うと、なんか含蓄があるっぽく聞こえるから不思議不思議。

2013-11-11 06:30:11
神無月久音 @k_hisane

大元はどちらも漢籍なんでしょうけど、そこからどういう教訓を読み取るかは国民性や時代の違いがあるんでしょうね。@SagamiNoriaki そういえばソースがあやふやなんですが、「君子危うきに近寄らず」ってのは日本でできた諺だそうですな。大陸だと「虎穴に入らずんば虎児を得ず」ですし

2013-11-11 06:30:31
神無月久音 @k_hisane

つか、さっき出た牛を避ける話のうち、宗矩主役ver.って「葉隠」に載ってま砂。「牛の近くを通る時、万一、牛が暴れても突かれぬよう、回り気味に距離を取るとよい」とか言ってるんですが、家伝書や月之抄でのぶっちゃけっぷりを見るに、本当にそういう話をしたのかもで砂。

2013-11-11 06:33:41
我乱堂 @SagamiNoriaki

兵法が武士の芸能ではなく、護身術としての機能を重視するようになった過程で、用心しろとかを重視するようになったのかもしれないなあ。おそらく兵法は初期は今思われているより多分スポーツとか見世物的なものだったのではないかと最近考えている。

2013-11-11 06:36:28
我乱堂 @SagamiNoriaki

勿論、これは流派やジャンルによって異なるとは思うけども…剣術などはやはり個人の芸能という風に思われていたのではないかと思う。武蔵は「いや戦場で役立てる」と主張し、柳生但馬は「これからは護身術!」と考えた…のかな?多分、武蔵は島原に参加したのが影響してるんじゃないかなあ…

2013-11-11 06:38:40
我乱堂 @SagamiNoriaki

存外と白石とかあのあたりの、武家の気風を改められだした時代に生まれたかもですね@k_hisane 大元はどちらも漢籍なんでしょうけど、そこからどういう教訓を読み取るかは国民性や時代の違いがあるんでしょうね

2013-11-11 06:40:31
ダイシ(田島大士) @DaishiZeppelin

現在のボクシング界で強い選手はそのパターンが多いんですよ。その結果、観客からは「強いけど、安全策で面白みにかける」「引き出しが少ないんじゃない?」なんていう批判をされたり…。@k_hisane

2013-11-11 06:42:04
神無月久音 @k_hisane

まあ、宗矩の場合、立場の問題でそう言ってる向きがあって、家伝書を読み込む限り、「やるなら勝て」というものですし、根本はそれ程大きく違わないのではという気も @SagamiNoriaki 武蔵は「いや戦場で役立てる」と主張し、柳生但馬は「これからは護身術!」と考えた…のかな?

2013-11-11 06:43:12
神無月久音 @k_hisane

興行的側面があると、その辺は難しいで砂。 @DaishiZeppelin 現在のボクシング界で強い選手はそのパターンが多いんですよ。その結果、観客からは「強いけど、安全策で面白みにかける」「引き出しが少ないんじゃない?」なんていう批判をされたり

2013-11-11 06:44:17
神無月久音 @k_hisane

ちなみに、今までも何度か紹介してますが、兵法家伝書における「無刀」の解説はなかなか面白いので未読の人は是非読むとベネ(よし)ですよ。

2013-11-11 06:45:52
我乱堂 @SagamiNoriaki

存外、会えば気があったかもですな。江戸でニアミスしてい史料でてこい!@k_hisane まあ、宗矩の場合、立場の問題でそう言ってる向きがあって、家伝書を読み込む限り、「やるなら勝て」というものですし、根本はそれ程大きく違わないのではという気も

2013-11-11 06:46:24
神無月久音 @k_hisane

たとえば、「無刀之巻」では、【無刀とて、必しも人の刀をとらずしてかなはぬと云ふ儀にあらず、又刀取て見せて、是を名誉にせんにてもなし。わが刀なき時、人にきられじとの無刀也。いで取て見せるなどと云ふ事を、本意とするにあらず】とか書いてる訳で、この辺、超訳するとこんな感じに。

2013-11-11 06:48:35