文学における自己、他者、他人についての考察

人の世界観はどう形成されていくかの一考察。
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牧眞司(shinji maki)『『けいおん!』の奇跡、山田尚子監督の世界』刊行 @ShindyMonkey

「感情」は現象でしょうか? ぼくは現象のあとにくる解釈・説明だと思っています。 それを判断停止しないと、世界のありようは捉えられないのでは。あくまで半可通の考えかなのですが。 RT @okiraku_k でもその時その人が傷ついたり嬉しく感じたりした、感情だけは本物。//

2014-01-15 20:38:40
舞狂小鬼 @okiraku_k

@ShindyMonkey あくまで竹田青嗣氏の解釈に依ってますけどね。客観視を全て徹底的に疑っていったとき、最後に残るのは例えば「むかっときた」という主観だというわけです。それが「現象」なのか何なのかはわかりませんけど、「むかっときた」その瞬間は否定出来ないだろうと。(続

2014-01-15 20:54:20
舞狂小鬼 @okiraku_k

@ShindyMonkey 続)フッサール自身の説明なのか、竹田式解釈なのかよく知りませんが、それを竹田氏は「エロス」と呼んでいますね。エッチな意味ではなく、古代ギリシアの原義に則って、生の躍動とか迸りとか、そんな意味で使っています。

2014-01-15 20:59:25
舞狂小鬼 @okiraku_k

@ShindyMonkey フッサールは、デカルトの「我思う」は牧さんの云われる解釈・説明だとして、方法的懐疑の不徹底を批判しています。考える余裕があるならそれを判断保留すべき、という意味ででは、牧さんが仰ってみえる事と同じ主張をしていますね。

2014-01-15 21:03:05
牧眞司(shinji maki)『『けいおん!』の奇跡、山田尚子監督の世界』刊行 @ShindyMonkey

目に映ったものも想起・記憶も幻想も「現象」なので、感情もまた「現象」なのかもしれません。ぼくの関心の向きがズレているせいで、言いがかりをつけるようなことを言ってすみませんでした。 @okiraku_k

2014-01-15 21:14:16
舞狂小鬼 @okiraku_k

@ShindyMonkey いえいえ、とても面白い話だと思いました(^^) もしかすると、「現象」という場合は、それを認識する客観的な「主体」がいることが前提になるのことはないですかね?「現象」をどう定義づけるのかにもよりますけど。

2014-01-15 21:23:23
牧眞司(shinji maki)『『けいおん!』の奇跡、山田尚子監督の世界』刊行 @ShindyMonkey

フッサールが言う「現象」は、主体も客体も前提としない、それ自体が始原の経験でしょう。そこには私もない。 RT @okiraku_k //、「現象」という場合は、それを認識する客観的な「主体」がいることが前提になるのことはないですかね?「現象」をどう定義づけるのかにもよりますけど。

2014-01-15 22:39:07
牧眞司(shinji maki)『『けいおん!』の奇跡、山田尚子監督の世界』刊行 @ShindyMonkey

本来的に人称的な構図――「私の感じているもの」とか「他人の感情」という問題の立て方――から出発できない。私は「現象」のあとからくるもので、その先に間主観性が俎上にあがり、それを吟味したのちにようやく他人が出てくる。そんなふうにぼくは思っています。 @okiraku_k

2014-01-15 22:48:09
牧眞司(shinji maki)『『けいおん!』の奇跡、山田尚子監督の世界』刊行 @ShindyMonkey

いや、定義かというとぜんぜん自信ありません。厳密に言うと凄くややこしいことのようです。 RT @okiraku_k フッサールのいう「現象」はそういう定義でしたっけ。すっかり忘れてしまいました(^_^;)

2014-01-15 22:53:03
舞狂小鬼 @okiraku_k

@ShindyMonkey 概ね私も同意見です。ただもしかすると、「私」というもの自体が、(他者という)外部から到来するものがあって初めて、認識されるのかも知れない…という気もしてます。頭の中がうまく整理出来てませんけど(^_^;)

2014-01-15 22:57:31
牧眞司(shinji maki)『『けいおん!』の奇跡、山田尚子監督の世界』刊行 @ShindyMonkey

「私/世界」あるいは「自己/他者」は相即的に分化するのだと、ぼくは思っています。 RT @okiraku_k 概ね私も同意見です。ただもしかすると、「私」というもの自体が、(他者という)外部から到来するものがあって初めて、認識されるのかも知れない…という気もしてます。//

2014-01-15 23:04:25
舞狂小鬼 @okiraku_k

@ShindyMonkey ああ、だんだんと難しい領域に足が入り始めましたね…w とても面白い話題なので後ろ髪引かれる思いなのですが、そろそろ失礼させていただきます。おやすみなさいませ。

2014-01-15 23:07:59
牧眞司(shinji maki)『『けいおん!』の奇跡、山田尚子監督の世界』刊行 @ShindyMonkey

これはあくまで比喩なんですが、物理の考え方で、世界のありようとしてまず「観測」があり、そこから「観測者」と「対象」が分化するみたいな感じです。観測行為が現象で、観測者が自己で、対象が世界(他者)。 @okiraku_k

2014-01-15 23:08:41
舞狂小鬼 @okiraku_k

@ShindyMonkey ゆうべは途中退席すいません。私の理解だと「自/他」が即物的に対応するという確証の根拠は何か?を追究するのが、現象学という事になります。牧さんの云われる「観測」が、眠い/寒い/ひもじいといった感覚も全て含んだものなら、同じ事を言っている気がしますね。

2014-01-16 07:09:43
舞狂小鬼 @okiraku_k

@ShindyMonkey あとは「観測」というものが主体的な行為なのか、それとも外部の情報を単に受け止める受動的なものであって、その時点ではまだ「自/他」は未分化であると捉えるのか? そのあたりの解釈の違いかも知れないと思いました。…ツイッターは字数が足りないです(^_^;)

2014-01-16 07:14:28
牧眞司(shinji maki)『『けいおん!』の奇跡、山田尚子監督の世界』刊行 @ShindyMonkey

難しいですね。 RT @okiraku_k あとは「観測」というものが主体的な行為なのか、それとも外部の情報を単に受け止める受動的なものであって、その時点ではまだ「自/他」は未分化であると捉えるのか? そのあたりの解釈の違いかも知れないと思いました。//

2014-01-16 08:33:19
牧眞司(shinji maki)『『けいおん!』の奇跡、山田尚子監督の世界』刊行 @ShindyMonkey

とりあえず、いまぼくが問題にしている「観測」は「主体/客体」以前の領域なので、「主体的に観測する」ということは語義矛盾になります。また「外部」もありません。ただ、観測には志向性(という用語が適当かわからないのですが)が、それがカギになるような気がします。 @okiraku_k

2014-01-16 08:41:27
牧眞司(shinji maki)『『けいおん!』の奇跡、山田尚子監督の世界』刊行 @ShindyMonkey

とりあえず、いまぼくが問題にしている「観測」は「主体/客体」以前の領域なので、「主体的に観測する」ということは語義矛盾になります。また「外部」もありません。ただ、観測には志向性(という用語が適当かわからないのですが)が伴い、それがカギになるような気がします。 @okiraku_k

2014-01-16 08:46:06
牧眞司(shinji maki)『『けいおん!』の奇跡、山田尚子監督の世界』刊行 @ShindyMonkey

いまふと気づいたのですが、その志向性とは、貴兄が昨夜言及していた「エロス」と結びつくのかもしれません。ただ「エロス」というと強度が大きい感じです。@okiraku_k

2014-01-16 08:56:09