市川 大河氏『ごちそうさん』感想追えるだけの呟きまとめ

なんとか十一週から最終週(後日談込)までは見つけ出しました。
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【ごちそうさんまでの日々】

市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 実際の関東大震災でも完済までもが揺れたという。「震災という出来事」を捉える手法は『あまちゃん』の東日本大震災とは全く違うが、森下佳子とクドカンやドラマのジャンルの細かい差異もあるが、「震災が起きた日」とドラマ放映の間隔の差も関係しているのだろう「東京が全滅や!」

2013-12-16 12:47:26
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 光り溢れる馬介での、室井カップルの葛藤。源太が走り回る食料パニック。それを見つめる希子。こういった交々を「描けなかった」クドカンの敗退は富野由悠季監督の指摘が的を射ている。「何もかもをも『情報の向こう側』で失う感覚」のもたらす残虐さは、人の社会に課せられた試練。

2013-12-16 12:54:09
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 悠太郎の勇気、責任、愛情。恩師の手で東京へ導かれる悠太郎。当時東京では、当時の超高層建築・浅草十二階も崩壊し、一部の木造建築の「揺らぎ」があった建物ばかりが残ったという。希子の「小さな愛情」が、め以子への「永遠に失われない物」を示唆する。森下佳子節の永遠はテーマ。

2013-12-16 12:59:11
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 「今日はなんですか?」「なーんでしょっ」いつものやり取り。いつもの姿。ドラマツルギー的にも伏線的にも、誰の安否も保証しない、死を仄めかさない冷静な筆さばき。それは森下佳子という作家が『世界の中心で、愛を叫ぶ』から徹底された「永遠への傾倒」僕達はそれを見守りとおす。

2013-12-16 13:01:42
市川大賀 @ArbUrtla

市川森一氏が『銀河鉄道の夜』を語る。市川氏が求め愛したのは「冷酷でエゴイストな人間」が、ほんの一瞬気が向いただけのように、誰かに向けて手を差し出す「奇跡」だった。徹底的なペシミスト、ニヒリストの市川氏ならではの「人の愛し方」。僕の周りでも貴方の周りでも「奇跡」は起き続ける。

2013-12-16 19:23:37
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 震災のライブフィルム。こういった演出も(様々な理由から)『あまちゃん』の東日本大震災ではとれなかった演出方法。情報がまだまだ速度が遅かったこの時代では、数百㎞のスパンの先の情報を得ようとするには限界がかなり近かった。め以子を思う静には、しっかりと変化が描かれている

2013-12-17 12:47:06
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 糠床の混ぜ過ぎで、逆効果を生んでも糠床(自分の出自)に固執してしまうめ以子。一人台所でうろつくめ以子の元には「いつものオレンジの灯」は差し込んでこない。照明演出の極み。陽光の中、炊き出しの現場に辿り着くめ以子は避難民の群れを見るが、そこでは悲惨さが際立つだけ。

2013-12-17 12:50:43
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん ドラマの中に於いて実際に起きた未曽有の大災害をどうガジェットとして活かしきるか。(3.11も含めた)人々が持つだろう傷や闇を描き出しながら、その中でもしっかりと森下脚本は、「『ごちそうさん』を与えたいめ以子」をくっきり描き出す。傷ついた被害者の叫びは現代とも繋がる

2013-12-17 12:53:33
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 「あんたに私の何が分かるっていうの」それは現実社会での肥薩技の常套句。人が人の胸の内の全てを分かる事などあるわけがない。それでも手を取り合い、求めあうのが人であり社会の筈。め以子のブレない「『ごちそうさん』という笑顔を見たい」は、そこへの永遠の試練と挑戦になる。

2013-12-17 12:55:37
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 義父が言う「避難してきた人に救われてたんちゃう?」図星を突かれため以子は、自らを「どうしようもない人間」というが、義父との「どうしようもない者同士の癒しあい」は、市川森一氏が唱え続けた「そもそもエゴイストの人間が、他人の為に手を差し伸べるそれだけで奇跡」を表す。

2013-12-17 12:58:16
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん め以子は馬鹿だ。自分の想いと人への(淋しさゆえの)愛おしさを、料理を作る、食べてもらう、感謝される、というルーティンでしか自分を保てない。その「一番人の生理と日常の中で機能するはずの生き甲斐」は震災の前に無力だろう。人はいつでも自分が無力である所から成長をしていく

2013-12-17 13:00:48
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 昨日テープ起こしをした、市川森一氏のこの一節。https://t.co/33xmeXrzBT これこそが今日の義父とめ以子の対話によるテーマを端的に表してくれていると思う。今日の『ごちそうさん』には非難も多かったと聞くが、僕はいつもこうして縁に助けられる。

2013-12-17 13:06:40
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 家に帰ってくるめ以子と紀子と静。「灯がともっていない扉」の前で悠太郎からの手紙をみつけ、オレンジの灯の部屋の下で手紙を読むめ以子。家族の無事を知る。共に喜んでくれる希子と静の笑顔も本物。その中で文を思いやるめ以子に「想像するって難しいね」と祖母。

2013-12-18 12:55:17
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 人生を達人として生き抜くために一番必要なのは「想像力」自分と違う性別、過去、地域を踏まえて生きてきた他人に対し、それを駆使して繋がり合う。「文はなぜ自分を責めているのか?」という想像の中で懸命に葛藤するめ以子と「人殺し!」と罵倒される正蔵への、僕達の想像力。

2013-12-18 12:57:41
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 「たべものには力がある」その言葉を背中で聴いてハッとするめ以子。その背後には小さなオレンジの電燈が弱くともる(前回ではもっと強烈に光を発していた)

2013-12-19 12:47:03
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 「遺されし者達」は、残されたがゆえに寂しさを永遠に抱きながら、長い人生を歩む事しか出来ない。その中で必要なのは食べる事、食べておいしいと思う自分と、「ごちそうさまでした」と感謝する事。台詞によるテーマの直結は若干愚直すぎるかもしれないが、このテンポでは正解だろう。

2013-12-19 12:59:35
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 強烈な窓からの光の中、恩師の死を知るめ以子。その流れの中で、行燈の灯に下から照らされた角度でめ以子が、自分の出自の「本能」を甦らせる。照明が出演者でもあるこのドラマの中で、光の動きは不条理でありつつ劇的だ。

2013-12-20 12:47:06
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 「ふるさとの味」を求めてさまようめ以子。夕焼けの中、いくつもの軒先の灯(群像)がめ以子を照らし出す中、その世界に消えていくめ以子。思い出の絆の「納豆」はどこにもないまま「関東炊き(今で言う全国的なおでん)」に戻る。それを囲む一家。和枝の不在が一際喪失感を生む。

2013-12-20 12:50:26
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 食事を差し出しながら、それを受け止めながら「食べること」で恩師を弔わん一同。安らかんことを祈る事しか、遺された人達には選べない。「遺されし人々」は「託された人々」でもある。室井が震災の脅威を語る。3.11と直結して不快感を示す人は見ない方がいい。

2013-12-20 12:53:37
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん ドラマは想像の産物であると同時に。リアリズムと非リアリズムを狂気と想像で繋ぐ産物だ。室井の話で3.11に対するトラウマを甦らされたと憤る人もいるだろうが、一方で「大事な人を失う物語」は幾多も溢れているが、僕も含め「愛した人を救えずトラウマ」にする人だって多いのだよ

2013-12-20 12:56:04
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 「なべ底大根にならなければ」それは食べる、食べさせる、そして幸せ感を抱いて感謝する、そういった流れの奥底に留まり、じっと自分を必要としてくれる機会を待とうとする人の生き様。室井の言葉と恩師の思い出と文の言葉が、め以子の中に染み透っていく。その流れで納豆がやってくる

2013-12-20 12:58:50
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 「変わったような、変わってないような」ドラマの中で繰り広げられる悲劇を、己が人生と重ね合わせて、悲劇の主人公として批判する事は簡単だ。しかし、それが物語である以上、必ずそこで傷つく人は出てくる。それがなぜ、どのようにしてドラマにされたのかへの検証は忘れてはならない

2013-12-20 13:01:05
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 「ハードボイルドは日本語に訳すと“やせ我慢”」これは狩撫麻礼という作家原作の漫画の台詞だが、悠太郎はそこを彷徨おうとしている。師匠と向かい合い、震災の被害を語り合う時も、肝心の「被害の写り込んだ机」をトングショットで捉え、強烈な陽光でハレーションの包む。

2013-12-21 12:53:16
市川大賀 @ArbUrtla

#ごちそうさん 「お前は見てきているんだ!それを自覚しろ!」木下先生の怒号が悠太郎を突き刺す。悠太郎も悠太郎なりに「なべ底大根」にならんとしているのだ。め以子と二人して、時代のなべ底大根になる。それがこのドラマが金時代劇として描かれる所以ではないのだろうか?

2013-12-21 12:55:27
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