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『宮城の土木史』に見る宮城県の海岸事業

「宮城県沿岸自治体史の災害記事を読んでみた」(http://togetter.com/li/654254)の続編です。 沿岸の防潮堤建設の計画段階で、既に津波を巡る宮城県南北の評価に差があったことを確認しました。土木方面ではごく当たり前のことだったかもしれませんが、歴史的背景をあらためて確認することにしました。
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『宮城の土木史』について

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

昨日、図書館で調査した資料から、情報を抜粋して連投します。ここ1~2ヶ月ほど追いかけている話題で、宮城県南(仙台湾沿岸)と県北(リアス式海岸)の間で津波災害に対する意識がだいぶ違っていたのではないかという問題。情報源は、宮城県土木部・他編『宮城の土木史』平成4年、です。

2014-05-06 20:12:14
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

『宮城の土木史』に第9編「災害・海岸」があり、昭和63年を最新とする各種データが掲載、解説されている。今回は、歴史的な話題や諸政策の起源を追いかけているので、平成になってからの最新のデータや政策については言及せず、割愛。後日、あらためて調査します。

2014-05-06 20:15:40

宮城県の海岸線

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

基本的な情報として、宮城県の海岸の総延長は852km。市町村合併前の自治体で、最長の海岸線保有は旧牡鹿町の113km。ちなみに、市町村合併後の石巻市は合計296kmの海岸線を有し、全県の34.7%に相当。しかもリアス式海岸がほとんど。津波被害の把握ですら大変だったことは納得。。。

2014-05-06 20:21:43
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

一口に海岸と言っても、自然のままに放置されているエリアもあれば、人間の居住空間の中にあって保全が必要な海岸もある。しかも、その保全が必要な海岸(海岸保全区域、宮城県内で220km)も用途によって所轄官庁が異なっている。昭和63年当時は建設省・運輸省・水産庁が所轄となっていた。

2014-05-06 20:26:28
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

防災や港湾改良のために海岸保全施設を整備しなければならないが、昭和63年当時、その整備率は建設省所轄分が47%、運輸省62%、水産庁56%、宮城県全体で57%となっていた。これが当時の堤防や消波堤として整備されていた割合である。

2014-05-06 20:30:46

海岸事業の法的根拠

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

防潮堤の建設や災害復旧等の海岸事業の法的根拠は、昭和31年5月に公布された「海岸法」で、昭和22~26年に被災した大型台風の教訓が生かされている。これ以後、予算措置として「高潮対策事業」や「海岸浸食対策事業」等々が打ち出される。さらなる転機は、昭和35年のチリ地震津波だった。

2014-05-06 20:35:23
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

昭和34年の伊勢湾台風、翌年のチリ地震津波を受けて、「海岸事業五ヶ年計画」(第1次)が昭和46年3月に閣議決定され発足。『宮城の土木史』は 「発足にあたっては、法的な裏付けがないこと、事業の歴史が浅く資料が乏しいこと等、種々の理由で難航したようである。」(p.872.)と述べる。

2014-05-06 20:39:41

堤防の想定潮位の算出

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

なお、『宮城の土木史』が歴史としてカバーするのは第4次の五ヶ年計画まで。 一連の五ヶ年計画では、高潮対策(高潮、津波、波浪)・浸食対策・海岸環境整備が推進された。そのために堤防や護岸工事、消波堤が造られたのだが、問題は、計画段階での高潮や津波の想定潮位である。

2014-05-06 20:43:31
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

宮城県の築堤計画は、昭和38年に東北地方建設局がによる「東北海岸における海岸堤防の天端高算出について」に基づいていたが、この基準は三陸南沿岸(唐桑~牡鹿半島突端)では過去最大津波の痕跡値を採用し、仙台湾沿岸(牡鹿半島突端~山元)では平均満潮位に台風時の波が来た場合を想定していた。

2014-05-06 20:50:53
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

もっと簡単にまとめると、宮城県北のリアス式海岸では、明治三陸津波のような過去の大津波を参考とした。 仙台湾の砂浜地域は台風の高潮を警戒した計画だったのである。(それでも、最終的には6.2mの高さの堤防が企画された。)計画の最初から、仙台湾沿岸の津波被害は軽視されていたことになる。

2014-05-06 20:54:24

仙台湾の開発の方向性

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

宮城県の海岸を南北2つに分割して、北には津波対策、南には高潮対策と、とりわけ砂浜の侵食を防ぐ対策を重視していた建設省や宮城県の方針は、昭和末年まで変わらなかったようである。そのうえで、新しい沿岸部の利用意識と工法が、提言として出されることとなった。

2014-05-06 21:03:28
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

昭和63年に「仙台湾沿岸域総合利用指針」(案)が建設省提言に基づき策定された。その基本理念には「安全な沿岸域をつくる」として「砂浜の海岸浸食をふせぐとともに、高潮への対応、リアス式海岸湾奥部の津波対策を進め、沿岸域の人命、財産をまもっていく」と述べられているが、その背景には、

2014-05-06 21:06:02
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

仙台湾の砂浜地域に、当時は新工法として注目された高潮からの「面的防護方式」(堤防の緩傾斜化・人工島・緩衝緑地帯を用いる)を採用し、例えば深沼海岸をリゾート化し、周辺部に居住空間を増強するという目論見があった。(震災前の深沼辺りの景観イメージはこれに近い物になりつつあったと思う)

2014-05-06 21:11:38

予算措置と事業の課題

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

さて、この事業の予算上の推移であったが、「海岸保全事業は、チリ地震津波以降軌道に乗り特に昭和41年以降景気の上昇とともに、事業費も上昇の一途をたどり、昭和54年度で25海岸、総事業費9億6,800万円となった。  →

2014-05-06 21:13:48
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→ しかし、その後は景気落ち込みによるゼロシーリング等により事業費は、横ばい状態にある。」(p.881.)と『宮城の土木史』ではまとめている。チリ地震津波からの復旧は昭和41年には終わっていたが、昭和末年に至っても仙台~岩沼の沿岸には、堤防が着工されぬ「無堤地帯」が続いていた。

2014-05-06 21:16:13
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

以上をまとめると、(1)仙台湾沿岸の築堤計画には津波対策というよりも高潮・浸食対策が重視されていた。(2)昭和末年以降の目標として、仙台湾沿岸部のリゾート化、緩衝緑地帯設置などで居住空間の整備が進められた。(3)一方で、仙台以南の堤防工事の進捗はかなり遅れていた。

2014-05-06 21:21:12

名取市と岩沼市の防災計画

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

このような宮城県の海岸事業の推移を見たうえで、仙台以南の2つの市(名取市・岩沼市)の、昭和50年代に策定された津波に対する防災計画を参照してみたい。宮城県の事業実績を直接反映しているようにも見えるのである。 →

2014-05-06 21:24:32
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

昭和58年の『名取市地域防災計画』では、「本市海岸地域において、高潮・津波が予想される区域は閖上地区から北釜地区にいたる貞山堀以東の沿岸地帯一帯であり、その延長は5.25kmで全く防潮堤がなく、防潮堤の築造が望まれる」(p.21)とある。→

2014-05-06 21:26:36
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