聖餐のユダヤ的起源

ブラント・ピトル『イエスと聖餐のユダヤ的起源』より、マタイ12:1-6の安息日論争の箇所についての考察。 金田さんが纏めたツイートをTogeりました。随時更新。
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金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

ブラント・ピトル『イエスと聖餐のユダヤ的起源』がすこぶる面白い。いろいろ興味深いのだが、マタイ12:1-6の安息日論争の箇所についての考察が非常に斬新だったので取り上げてみたい。以下、検索しやすいよう #聖餐のユダヤ的起源 のタグを入れておく。

2014-06-14 17:16:04
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

まず、新共同訳で該当箇所を引用しておく。「そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、」 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 17:19:28
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「安息日にしてはならないことをしている」と言った。そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない」新共同訳 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 17:22:19
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「供えのパンを食べたではないか。安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。言っておくが、神殿より偉大なものがここにある。もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』」新共同訳 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 17:24:58
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪のない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」新共同訳 #聖餐のユダヤ的起源 原書ではマタイ12:1-6までだが、8章まで引いておいた。

2014-06-14 17:27:17
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

表面的に読むと、「律法より人の方が大事」というような解釈になるだろうし、実際そういう理解を好む人は大勢いるに違いない。「近代主義」的にはその方が正統ですらあろう。しかし、仔細に読むと面白い点に気づく。 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 17:32:57
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

それは、ここでイエスは、ユダヤの伝統護持を自負しているであろうファリサイ派の人々に対して、そのユダヤの伝統を前提に、弟子たちの行動を弁護していることだ。ただ単に「律法より人の方が大事」と言うためだけなら、そのようなややこしいテクニックを使う必要は全くない。 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 17:33:27
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

ピトルはイエスが弟子たちの行動を弁護するにあたって、三つのやり方でそうしていると指摘している。まず、一つ目はかつてダビデのとった行動を引くことだ。以下、長くなるが旧約聖書該当箇所を引く。サムエル記上21:1-7である。 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 17:39:09
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「ダビデは立ち去り、ヨナタンは町に戻った。ダビデは、ノブの祭司アヒメレクの所に行った。ダビデを不安げに迎えたアヒメレクは、彼に尋ねた。「なぜ、一人なのですか、供はいないのですか。」 ダビデは祭司アヒメレクに言った。」新共同訳 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 17:52:47
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「「王はわたしに一つの事を命じて、『お前を遣わす目的、お前に命じる事を、だれにも気づかれるな』と言われたのです。従者たちには、ある場所で落ち合うよう言いつけてあります。それよりも、何か、パン五個でも手もとにありませんか。」新共同訳 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 17:54:40
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「ほかに何かあるなら、いただけますか。」祭司はダビデに答えた。「手もとに普通のパンはありません。聖別されたパンならあります。従者が女を遠ざけているなら差し上げます。」ダビデは祭司に答えて言った。」 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 17:57:18
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「「いつものことですが、わたしが出陣するときには女を遠ざけています。従者たちは身を清めています。常の遠征でもそうですから、まして今日は、身を清めています。」普通のパンがなかったので、祭司は聖別されたパンをダビデに与えた。」 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 17:58:45
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「パンを備え替える日で、焼きたてのパンに替えて主の御前から取り下げた、供えのパンしかなかった」新共同訳 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 17:59:47
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

この聖別されたパンを、本来は許されていない祭司以外の人が食べる行為は、まさしく聖餐の「予表」とも言えるが、それはそれとして。 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 18:01:35
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

聖別のパンについて該当箇所を引く。レビ記24:5-9 「あなたは上等の小麦粉を用意し、それぞれ十分の二エファの分量の輪形のパンを十二個焼く。それを一列に六個ずつ二列に並べ、純金の机の上に置いて主の御前に供える。各列に純粋の香料を添える。」 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 18:12:29
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「それはパンのしるしとして燃やして主にささげる。アロンはイスラエルの人々による供え物として、安息日ごとに主の御前に絶えることなく供える。これは永遠の契約である。このパンはアロンとその子らのものであり、彼らはそれを聖域で食べねばならない。」 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 18:15:21
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「それは神聖なものだからである。燃やして主にささげる物のうちで、これは彼のものである。これは不変の定めである。」新共同訳 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 18:16:30
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

聖別されたパンを食べることができるのは、本来はレビ族の祭司のみである。なぜダビデ一行はそれを食べることができたのか。祭司アヒメレクはその理由の一つとして一行が清めの状態にあることを挙げている。 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 18:19:24
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

ブラント・ピトルはここで、そもそもダビデは「王」であると同時に「祭司」でもあることを指摘している。 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 18:26:45
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「より重要なことには、ダビデ自身、預言者サムエルによって油をそそがれた王(サムエル記上16参照)というだけではない。聖書によれば、ダビデは<祭司>でもある。どういう理由であれ、学者ですら忘れがちだが。」ブラント・ピトル『聖餐のユダヤ的起源』、p. 137 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 18:28:24
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

以下、『聖餐のユダヤ的起源』引用の際、書名はタグ #聖餐のユダヤ的起源 で代用する。

2014-06-14 18:29:33
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「しかし、これは真実である。そうであるからこそ、ダビデは祭司服である「麻のエフォド」を着て、「焼き尽くす捧げ物と和解の捧げ物」を祭壇にささげることができた(サムエル記下6:14-17)。」 #聖餐のユダヤ的起源 p. 137

2014-06-14 18:35:34
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「また、そうであるからこそ、聖書は「ダビデの息子たちは祭司となった」(サムエル記下8:18)と証言しているのだ。」 #聖餐のユダヤ的起源 p. 137 もちろん、ダビデもその息子たちも、レビ族に連なる祭司ではない。いかなる祭司なのか。「メルキゼデクの系譜に連なる祭司」である。

2014-06-14 18:38:49
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

メルキゼデクは聖書中ほとんど登場しない謎の人物なのであるが、キリスト教において重要な存在であることは、クリスチャンの方々なら分かるであろう。 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 18:40:08
金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

「いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来た。彼はアブラハムを祝福して言った。」(創世記14:18-19 新共同訳) メルキゼデクは聖書で最初に「祭司」と名指される人物である。 #聖餐のユダヤ的起源

2014-06-14 18:44:03