雑談 聴覚の現象学~アニマの直系としての

聴覚の優位という問題をめぐる雑談の、個人的切り抜き忘備録です。取り留めもないのだが、もし要約するなら、聴覚が諸感官を分解させない統覚以上の何かであるのは、西欧の唯一の命題、タブラ・ラサ(生まれたら白紙状態)なのか?という命題に少しは肉薄できるのか?という現象学。(表示順、逆順か時間順か迷うところですが、時間順に戻しました)
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

だから、批判というものは、魂を失うことの正反対の意味を持つが、それが想起であるのか創造であるのかは分からない。折り畳めば、この分からないということが批判なのであって、魂を失ったり、批判をやめたりするようなことは、批判ではなく単純に逃避だ。しかし、逃避が出来るわけでもない。

2014-07-05 23:49:57
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

RTは昨日の東大の表象文化論学会の実況。「接触から震動へ―〈響き〉としての内面性の誕生/吉田寛(」repre.org/conventions/9/ 言うまでもなく、魂が自明ではなく魂の探求だと自明化できると勢い、顕在化させる視覚から、非顕在的な聴覚さらには触覚に突き進んでしまう。

2014-07-06 01:25:46
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

ちなみに『啓蒙の弁証法』を感性学的に読み解くことは可能だし面白そうだなと思っています。セイレーンの歌の場面では、奴隷が「耳をふさいで船をこぐ」一方、主人は「歌を聴きながら、体を縛り付ける」ことで難所を乗り切る。近代が直面する知や快楽、労働と「感覚」との関係が見事に描かれている。

2014-07-06 01:43:58
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

視覚がしばしば「誤る」のに対して、聴覚は「誤らない」というのがキリスト教神学の基本的感覚観だと私は理解しています。目と違って、耳は嘘をつかないのです。天の声はそれを通じてのみわれわれにやってきます。ただしだからこそ、「耳の快楽」は大きなタブーとされたわけです。耳の両義性。

2014-07-06 01:53:16
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

さらにもっと歴史を遡れば、アレクサンドリアのフィロンが『旧約聖書』をギリシャ的に再解釈する際に、ヘブライ的な「耳・聴くことの重視」がギリシャ的な「光の形而上学」に置き換えられた、という指摘がブルーメンベルクやヨーナスらによってなされています。

2014-07-06 02:00:48
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

それとヨーナスのフィロン論は「ハイデガーと神学」に書かれています。フィロンは『出エジプト記』の註釈で、「人間の声は聞かれるためのものだが、神の声は見られるものである」というかなり無茶な(耳から目への)読み替えをしています(ということをヨーナスが指摘しています)。

2014-07-06 02:07:07
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

なおハイデガーやヨーナスが「ヘブライ的な耳の伝統」をどう理解していたかについては、ジェイの Downcast Eyes に書いてあります。私は聴覚論を構想するかなり初期の段階で、この本から大きな示唆を得ました。ということを本人に一度だけお会いした機会に伝えもしました。

2014-07-06 02:13:35
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

昨日の東大表象文化学会での吉田寛氏の発表bit.ly/1omRm8Z 、視覚より触覚だが、中間の聴覚が中心という了解の仕方は考えさせられる。

2014-07-06 05:53:01
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

カントの聴覚twitter.com/Cristoforou/st… のことに思えたが、メルロは諸感官(五感)である身体こそ魂のように分解できない、という了解の仕方をするからだ。polylogos.org/mmp23.html

2014-07-06 05:54:07
saebou @Cristoforou

カント。聴覚は最も代替がきかない感覚である。聴覚視覚どっちがなくなったらこまるか。目がなくなっても触ればわかるけど耳なくなったら触ってもわからない。聴覚はほかのもので補えない。 #repre14

2014-07-05 13:54:14
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

分解できないものは何か? 聴覚が優位だと人間にだけ神が聴こえてしまい、ハイデガーでは、そうした超越は「自明な前提」polylogos.org/mmp23.html だが、もちろんメルロは身体こそ魂のように分解できない(分解されれば失くなってしまう)という了解の仕方だ。

2014-07-06 06:16:05
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

っと、ちょっと『知覚の現象学』の身体の章の後半再読。脳病の症例では視覚は指示能力、触覚が把握能力で、聴覚が視覚より把握能力を誘発することはあるが、そうした諸能力の帰納・分解は「説明」であり、症状の存在「了解」とはならない、と書いてあった。

2014-07-06 06:35:29
saebou @Cristoforou

「表象文化論学会第9回大会「シンポジウム:接触の表象文化論――直接性の表象とモダニティ」」をトゥギャりました。 togetter.com/li/689173

2014-07-06 11:58:33
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

「知覚過程そのもの」は見えないし、触れない。ですから、知覚過程を説明する科学的モデルそのものが、すでに一つの「表象」に他ならない、という主張でした。何もアートだけが表象ではない。これは自分自身が初めて言葉にした(できた)ことです。その意味でも昨日のパネルは有意義でした。>RT

2014-07-06 13:32:00
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

網膜像の反転(ケプラー)にせよ、われわれはそれを「外側から観察」できるのみであり、知覚過程において本当にそうした反転が生じているか否かは網膜像のデータをいくら分析しても知り得ない、それは別次元・別問題ということ。これについては船木亨『「見ること」の哲学』が大いに示唆的です。

2014-07-06 13:36:55
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

科学すなわち知(scientia)を「表象」と呼んでよいかどうかは、考えたことがないのでよく分からないですね。ある面でそうともいえるし、別の面ではそうともいえない、としか。

2014-07-06 13:49:22
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

昨日のハンドアウト「接触から震動へ──〈響き〉としての内面性の誕生」をアップしました。引用と書誌をすべて載せてありますので、誰か私の代わりに論文化していただいてもけっこうです(笑)。academia.edu/7567191/201407…

2014-07-06 14:23:06
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

男女の非対称性か…。どちらが主でどちらが客かは別として、非対称性は人間の世界認識にとって本質的で不可避なのかも知れないね。と、昨日議論された「左右」の問題に関連づけて考えている。

2014-07-06 14:53:42
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

タブララサと女性性。そう言えばコンディヤック『感覚論』の「無感覚人形」にジェンダー的含意はあっただろうか。後で確認しよう。

2014-07-06 15:16:06
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

Q:「なぜ裸なのか?」 A:「服を着せると途端に文化的階級的社会的限定性が高まるからです。だからギリシャ彫刻は裸なのです。」(ヘルダー『彫塑』)

2014-07-06 15:37:59
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

ところで「ジェンダーがない声=無性別の声」ってあるのかな?

2014-07-06 15:41:34
YOSHIDA Hiroshi 吉田寛『デジタルゲーム研究』発売中 @H_YOSHIDA_1973

ちなみに昨日の私の話のうち、ヘルダー、カント、ヘーゲルの部分(の一部)はこの論文 ci.nii.ac.jp/naid/110009471… で書いたことです。

2014-07-06 16:05:15
juntaro5656 @juntaro5656

@H_YOSHIDA_1973 おそまきながら、ヘーゲルが1次元と音楽をかけあわせていることを、初めて学びました。

2014-07-06 16:14:39
Midori Kubota 久保田翠 @midorikubota

昨日の表象文化論学会シンポジウムは大変勉強になった。と同時に、音楽の現場に関わる者としては若干の危惧。聴覚を巡る言説はこんなスリリングで楽しくなっているというのに、それでは「音楽」を提供する側はそれに匹敵するだけの刺激的な作品を提示できているのだろうか?

2014-07-06 20:21:30
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

twitter.com/H_YOSHIDA_1973… 「聴覚の座をめぐる近代哲学の伝統 : ヘルダー、カント、ヘーゲルの場合」、おもしろそう、あとで堪能させていただく。

2014-07-06 20:30:13
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