丹生谷貴志ツイートまとめ(2015年4月)

丹生谷貴志さんの2015年4月のツイートをまとめました。
人文 ピンチョン 大西巨人 丹生谷貴志 ボリス・ヴィアン
1
nibuya @cbfn
哲学をやりたいのですが何を読めばいいでしょう?と聞いて来るのはさすがに減ってきましたが、ラッセルの哲学史を読めば素敵な哲学スノッブになれるしデリダを読めばお友達が増えるしとか答えそうになり、結局生真面目に岩波文庫の河野与一訳ライプニッツを注ごと全部読んでみて下さいとか答えてしまう
nibuya @cbfn
・・・・って、実際は「哲学者はルックスだ」というのが一番の答えのような気もしますがね。
nibuya @cbfn
「むしろ何世紀もの沈下によって底なしの深遠と化して来た、この高峰」という何如にもゴンゴラらしい逆説の、その一節だけを不意に見つける。
nibuya @cbfn
・・・48歳で自殺したイランの小説家サデク・ヘダヤートの英訳の宣伝文句に、ペルシャ現代文学を世界水準にした云々といった言葉、この空疎な価値付けは何なんでしょうかね。
nibuya @cbfn
マニャックな話題?:フランシス・ポンジュがサン・ジョン=ペルスを妙な具合に嫌っていて、社会的に重大と思い込んでいることと自分との関わりばかりを焦慮するその心根が気に食わない、と。因みにポンジュはペルスの名前を頑なにサン・レジェ・レジェと書く。まあレジェはペルスの本名ですから。
nibuya @cbfn
別にポンジュでも読み始めようなんで殊勝な予定はなくて、むしろ「フランス文学」が苦手かもと今更思い知るわけで、スタンダールくらいまでが自分の境界かと・・・まあ、今更どうでもいことですが・・・
nibuya @cbfn
ビュヒナーの『Woyzeck』は『Wozzeck』と誤記されて台本になったためにベルクのオペラは『ヴォツェク』或いは『ヴォツェック』と発音され、それは慣用決定されているので正しいが、ほんとの題名もロシア語風に『ヴォイチェク』と発音すべきらしいという、あって損はしない豆知識を得る。
nibuya @cbfn
19世紀ヨーロッパの「芸術家」達はブルジョワの存在とその事跡を歴史から滅し去ることに挺身し、一方ブルジョワは「芸術家」たちを歴史から抹消することに挺身し、しかしそれは奇妙な皮肉で協働し合って互いの名を残し合い、僕らはその両方を「知っている」という事態を手にして別の忘却を練り上げる
nibuya @cbfn
「美術館」は要は一種の墓地だが、不定期に賑わう墓参りで記憶に染み付いて幽霊としての永世を街路に得て、それは図書館も同じこと、或いは記憶や思考も要は死者からの「伝達残存」の練り物であるとすれば僕らの街路は幽霊の密度によって満たされているわけで、これはむろん慶賀すべきことなのだ・・・
nibuya @cbfn
もう四十年も前の事、皮肉な友人が、正装すると葬儀屋の匂いがする人ほど「学者」なんだよ、と言ったことを思い出す。別に正装しなくてもいいんじゃないの、と、僕は反論し・・・それはそれとして・・・どんな匂い?
nibuya @cbfn
本質的な深刻さと本質的なバカバカしさが文字通り本質的に「同じもの」として「表現であること・表現と”成ること”」、スピノザ的にライプニッツ的に?はまあどうでもいいとして。心底生真面目な人間と心底不真面目な人間は珍しくもない。それが「同時的」であること。ゴダール的ってことで済めば楽。
nibuya @cbfn
心底生真面目な人間も心底不真面目な人間もそれぞれの論理で「平気で」人を毀損し或いは「殺す」。それは生真面目さと不真面目さを「それぞれ」深刻に表現してしまうからだ。深刻に生真面目な人間と深刻に不真面目な人間の凶暴さ。「深刻さ」に於いてそのどちらでもないことのために、小説、映画等々。
nibuya @cbfn
例えばドゥルーズやフーコーの「世代」の真の「新しさ」はそのことにあった。或いはそれ以外に彼らに驚くべきことは「何もない」。そしてそのことは真に驚くべきことなのだ。「事の深刻さ故にさらに抑え難く爆笑はとめどないものとなるのだ」、とドゥルーズはフーコーについて口にし・・・。
nibuya @cbfn
このことはむろん、生真面目さを不真面目さで脱臼させることが問題ではなく、不真面目さを生真面目さで破砕することが問題なのでもない。アリストテレス「よりも」ソクラテスこそが・・・これはルックスの問題なのだ、たぶん。フーコーがアリストテレスをいなし続ける身振りの奇妙さと愉快さ・・・
nibuya @cbfn
ちょっと前、ヴォークトの『非A』三部作の最後の作を仏訳者をボリス・ヴィアンと書いてしまった気がしますが、勘違いで、二部作まではヴィアンですが第三部は別の人でした。早とちりの間違い訂正、すいません。ともかく、ヴォークトはヴィアンの翻訳のせいかフランスでも古典的な人気のあるSF作家。
nibuya @cbfn
今更ヴィアンの解説不要ですが、いい感じのトランペットを吹くフランス人ジャズの先駆けの一人だし歌も素敵、彼の小説はフランスの学生にもっとも人気の小説家、その意味では戦後サルトルなんかより重要な存在・・は言い過ぎにしてもサルトルは彼を「いろんな意味で」ライヴァルだと思ってたでしょう
nibuya @cbfn
谷川渥さんの『幻想の花園』という本が届く。図版が贅沢に綺麗、感謝。谷川さんがその美学をこの方向に向かわせる、或いは遊ばせるのはわかるけれども・・・どうなんでしょう、ここまで叙述から攻撃性を消し去ってしまうと、谷川さん本来の性格まで蒸発してしまうという杞憂。
nibuya @cbfn
ウェーベルンの作品集をブーレーズは二回録音していて、大方は初期の鋭角で緊迫した演奏の方が評価が高いようだ。僕も初期のレコード盤で聴いていたので初期の方が耳慣れしているが、しかし新録音にはブーレーズ自身の老成とは別に、IRCAMでの実践がどの程度演奏解釈に反映されているのだろうか?
nibuya @cbfn
何故かレメディオス・バロの画集が出てきて、なんで持っているのだろうと自分で戸惑い、ピンチョンの『競売ナンバー49』に出てくるから買ったことを思い出す。バロは昔のイタリア映画の女優さんみたいに綺麗な人だがそれはともかく、バロとかニキ・ド・サンファールとか、作品、結構好きで・・・
nibuya @cbfn
ニーチェがどうこうとは関係なく昔からシュティフターが好きなのですがその彼が或る意味書き終わるまで自殺を思いとどまり書き終わるや自殺した最後の長編『ウィティコー』がずっと気になっていて、しかしドイツ語は読めないし邦訳は買うにためらう値段になっていて他には英訳があるらしいが・・・と
nibuya @cbfn
・・・と、しばらく忘れていたのが『競売ナンバー49』を読み返しているうちに何故か不意にまた『ウィティコー』が気になって、結局ネットを探し回って「書き込み痛みあり、読めればいいという状態」の古書で何とか廉価な三巻揃いを見つけて注文。変に肩の荷が下りたような気がする・・・。
nibuya @cbfn
どうも「使い切りの長い”イストワール”」というのに僕は過剰な感傷(?)があるのかもしれません、サンテックの『城砦』とかシュティフターの『ウィティコー』とか・・・或いは大岡さんの『レイテ戦記』とかフーコーの全部とかゴダール『映画史』どか。哲学でも思想でもなくて”イストワール”。
nibuya @cbfn
・・・で、それを『競売ナンバー49』で思い出した(?)のは、いうまでもなく冒頭近くのバロの『Bordando el manto terrestre』という絵の記述を読んだからです。「大地のマントを織り続ける」と訳すのでしょうか。よく知られた、とても綺麗で痛ましい感じもする絵です。
nibuya @cbfn
現時点の小説家の中でピンチョンが「特異」なのは、フォークナーはその全作が「一つのイストワール」を成している、それと似た意味でその「全作が一繫りの複雑で広大な織物=マント=刺繍」を成すかのように書き継がれているように見えるからで・・・
nibuya @cbfn
英米文学を覗くと、例えば「ケンブリッジ・コンパニオン」といったようなそれなりに徹底した「作家別読本」が存在しその緻密さに感心するが、同時にそこに回収不能の何かをともかく包囲しようとする不吉に良心的な(!)意思を感じてしまう。これは結果として一種の閉じ込め、であるだろう・・・。
残りを読む(10)

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?

ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする