日本刀問題

武術、武道家を含めて刀剣学の知識もなくいい加減な事を言う人が多いので、刀についての解説を作りました。
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又四郎 @matamatamatayan

最後に丁子油(ちょうじあぶら)を塗ります。この時も別の布か和紙を使います。つまり三枚の布か和紙が必要になります。油を塗るのは油でコーティングして錆止めをする為であり、スキンケアで言えば化粧水を付けるのと似たようなものです。 pic.twitter.com/HV5qbXwFoG

2015-06-30 19:48:23
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又四郎 @matamatamatayan

刀身の手入れが終わったら組立です。柄を叩くのは部品を密着させる為です。部品が密着したら目釘を差します。動画では手で差していますが差さりにくい時は専用の道具を使います。後 は鞘に収めて袋に戻して終了です。 pic.twitter.com/irdlirLwEI

2015-06-30 19:50:32
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又四郎 @matamatamatayan

目釘(めくぎ)のお話しです。日本刀は目釘で刀身を柄に固定していますが、居合をやる人の一部に目釘の安全性をやたらと気にする人達がいます。私もその影響で最近まで気にしていたのですが、これは意味がないと考えるようになりました。

2015-07-08 21:14:24
又四郎 @matamatamatayan

未完成であった源平合戦の頃の刀は目釘から柄に収納されている中心(なかご)が折れたという逸話が残っていますが、柄が完成してからの刀は目釘よりも刀が折れる、曲がるという逸話が多くなります。

2015-07-08 21:14:43
又四郎 @matamatamatayan

鞘に入らないほど曲がった刀に手ぬぐいを巻いて旅をしたという話もあります。そこまで刀が曲がるほどの衝撃を受けたのに、目釘は無事だったという事です。江戸時代には荒試し、堅物試しと言って、斬れ味よりも頑強さを試す実験がありました。

2015-07-08 21:15:00
又四郎 @matamatamatayan

これも刀の折れ、曲がり、刃こぼれを試すもので、目釘を試すという発想ではありません。一部の人が言うように目釘がそれほど信頼できないなら試して改良したはずですが、そんな話はありません。そんな流派があったとしても例外と考えられます。

2015-07-08 21:15:20
又四郎 @matamatamatayan

また、現代の試斬でも目釘は普通壊れません。荒試しは現代ではあまりやりませんが、普通の試斬は今でも盛んです。試斬では刀が曲がる事はありますが目釘は無事です。

2015-07-08 21:15:38
又四郎 @matamatamatayan

歴史的にも現代の実験でも目釘より刀身が壊れる可能性の方が高いのですから、目釘を異常に恐るのはおかしな事です。目釘は小さな部品ですから見た目は頼りなく見えます。しかし見た目で判断してデータを無視するべきではないでしょう。

2015-07-08 21:15:58
又四郎 @matamatamatayan

日頃の手入れと使用前の点検をしっかりしておけば、必要以上に恐る必要はないでしょう。では目釘が外れないのか?という意見があるかもしれませんが、目釘は通常右から差します。中には左から差す場合もあるようですが、武用(武術の稽古や戦闘用)の刀は普通は右です。

2015-07-08 21:16:18
又四郎 @matamatamatayan

日本刀は右手を前にして持ちますから、右手の平で目釘の頭を押さえる事になります。つまり正しく刀を握っている限り、万が一目釘が緩んだとしても物理的に外れようがないです。

2015-07-08 21:16:35
又四郎 @matamatamatayan

人によっては日本軍の軍刀に目釘のトラブルが多いという話を持ち出してくるかもしれません。軍刀に目釘の異常が多かったのは伝統的な目釘の位置を無視したからだという説があります。他にも日本軍は刀のメンテナンスが出来ていなかった可能性があります。

2015-07-08 21:16:53
又四郎 @matamatamatayan

戦国時代の軍隊は少人数の部隊は別としても、数千人規模で出陣する場合、三分の一は非戦闘員です。その中には刀鍛冶や大工などの職人が含まれていました。実際に陣中で鍛刀した記録が残っています。

2015-07-08 21:17:11
又四郎 @matamatamatayan

武器制作やメンテナンスの専門家と一緒に移動するのが中世~近世の軍隊であって、日本刀を戦争に使用する場合、このレベルのメンテナンスが出来る事が前提です。まあ、下っ端の兵士にどの程度メンテナンスしたか分かりませんが、武士ならなんとかなったでしょう。

2015-07-08 21:17:30
又四郎 @matamatamatayan

少人数での短期戦は大したメンテナンスは必要ないとしても、長期出陣はメンテナンスが必要です。近代日本軍がそんな事をしていたとは思えませんから、軍刀の話は除外するべきでしょう。

2015-07-08 21:17:46
又四郎 @matamatamatayan

日本刀の刀身モデルの衝撃応答という論文jstage.jst.go.jp/article/jsms/6… に目釘について書いてありますね。

2015-07-11 09:59:04
又四郎 @matamatamatayan

要約すると鍔(つば)に近い位置では衝撃を受けた時の振動が少なくなり、この位置に目釘をつけるのが科学的に正しいようです。実際に日本刀はこの位置に目釘があるので、伝統の目釘位置は科学的に正しいですね。

2015-07-11 09:59:30
又四郎 @matamatamatayan

目釘の所から刀が折れたという記録が残る源平合戦の時代は目釘の位置が違います。鎌倉時代の頃から目釘が現在の位置に近づいています。恐らく源平合戦の反省から試行錯誤して目釘位置を変化させたのでしょう。

2015-07-11 09:59:49
又四郎 @matamatamatayan

実は目釘の位置だけではなく材質も変わっています。刀には目釘の他に目貫(めぬき)という部品がありますが、初期の刀は目貫に目釘としての機能を持たせていました。目貫は金属ですから当時は金属目釘だったという事です。

2015-07-11 10:00:08
又四郎 @matamatamatayan

やがて目貫と目釘が分離して目釘は竹目釘が主流となり、目貫は装飾を兼ねた柄の補強になりました。金属目釘は衝撃を受けた時、手に響くと言います。目釘位置に加えて目釘の材質も進歩したという事ですね。

2015-07-11 10:00:29
又四郎 @matamatamatayan

居合をやる人のごく一部ですが、金属目釘を二本差そう、と主張する人がいます。そういう人達からは科学的、歴史的根拠が聞こえてこないので、やはり賛成できかねますね。

2015-07-11 10:00:46
又四郎 @matamatamatayan

野太刀(のだち)、長巻(ながまき)、薙刀(なぎなた)について。野太刀は大太刀ともいって現代の刀剣学では刃渡り90cm以上の刀です。長巻は薙刀に似た武器で野太刀から派生したという説が有力とされています。

2015-07-19 09:44:36
又四郎 @matamatamatayan

野太刀の刀身に荒縄を巻いた物を中巻(なかまき)野太刀と言って、これが長巻に進化したようです。うちの道場に刃渡り1m程の木刀がありますが、これを普通の剣術で使うのは現段階での私の筋力では無理があります。

2015-07-19 09:44:58
又四郎 @matamatamatayan

木刀の棟に左手を添えて、薙刀術、棒術を応用すると使えますから中巻野太刀もそうした技術であろうし、ここから長巻へという進化は納得出来る話です。長巻は棒に刀を取り付けた武器ですから、後世になると刀に改造されたりしています。

2015-07-19 09:45:19
又四郎 @matamatamatayan

初期の薙刀は現代人がイメージする物とは異なります。薙刀と言えば長い棒の先に短い刃物がついた三国志の関羽が持っているような物を想像しますが、平安から南北朝時代の薙刀は長巻にそっくりです。後世の物より柄が短く刃物部分が長いという構造ですね。

2015-07-19 09:45:38
又四郎 @matamatamatayan

その為、薙刀と長巻を区別しない説もありますが、どうもこの二つは系統が違うようです。薙刀は長刀とも書きますが、平家物語(長門本)では同じ武器を手鉾(てぼこ)と書いたり小長刀とも書いているので、古代の手鉾の進化系のようです。

2015-07-19 09:45:58
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