「信じる」の意味、カミと人、儒学の影響と矛盾…神道に関するさまざまな論議~織部ゆたか氏のツイートを中心に
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靖国神社みたいに複数の「人間」が祭られてるケースとしては、東京だと武蔵新田の十寄神社なんかがそうかな。あれは新田義興と一緒に討ち死にした家臣を祭ってたはず。
2015-08-20 00:36:50@iiduna_yutaka @ohnojunichi 確か靖国神社も戦前の公約だったと思うんですよ、「死んだら神として祀ってやるからな」って。それと似たようなケースかと。 神であるか、そうでないかというのは本来人間の決めることではなく、神から分御霊を与えられたかどうかです。
2015-08-20 00:40:44@Jupiterius @ohnojunichi いえ、それとは関係ないです。基本的に功績のある武将や、戦死した人間を祭るケースは古来から多くありまして、探せば関東だけでもかなりの数があるんですが(有名どころでは鎌倉御霊神社の鎌倉権五郎景政など)、別段めずらしくはありません。
2015-08-20 00:43:03@Jupiterius @ohnojunichi 私が大野氏の考えに疑問があるのはそこではなく、神道というのが「古来から同じものとして伝承されてきたか」というと、これがよくわからないことなんです。どこからを「神道」として分けられるかとなると中世の時点でだいぶ混乱してますから。
2015-08-20 00:46:33@iiduna_yutaka @ohnojunichi 要は後世の人間が功労者を「神」として祀ったケースと、神の分御霊を手にして死後猛威を振るった霊もまた、「神」と称されています。 大野さんは後者だけを神としたため議論が起こりましたが、事実を正しく認識する必要があります。
2015-08-20 00:46:39@Jupiterius @ohnojunichi それは分類できませんよ。そもそも「神の分御霊を手にして死後猛威を振るった霊」というのを何を指しておられるんですか?
2015-08-20 00:47:44@iiduna_yutaka @ohnojunichi それはいわゆる御霊(怨霊)です。道真公や早良親王などです。あとは女が龍や蛇になるケースも、分御霊とは違いますが似ています。
2015-08-20 00:51:31@Jupiterius @ohnojunichi そこを区別することはできませんよ。先ほどの鎌倉権五郎景政なども怨霊としての側面と、武勇の神としての側面の双方を持っていますから。だからこそ天神信仰や金比羅信仰が流行ったわけなんですから。二つを分けることはできないんです。
2015-08-20 00:54:02@Jupiterius @ohnojunichi 靖国神社でいえば、あれは当時の時代性が反映されていますけれど、それは明治政府がはじめたわけではないんです。もともと「建武中興十五社」の代表である湊川神社を顕彰したのはどなたかご存知ですか?
2015-08-20 00:57:52@iiduna_yutaka @ohnojunichi 湊川神社って関西の神社でしたっけ?一度行ったことはあると思うんですが、確か人を祀っていて霊力は感じませんでした。 すみません、実は自分、霊能者なので、霊力を感じるかどうかで神かどうか示唆判別しています。。
2015-08-20 00:59:57@Jupiterius @ohnojunichi あれをはじめたのは「水戸光圀公」なんですよ。もともと水戸のご老公さんは、日本の神道と朱子学を合わせたような思想を組み立てていましたから、日本の歴史上の人物から「忠義の士 」を選ぶとなったときに出てきたのが大楠公だったんです。
2015-08-20 01:02:10@Jupiterius @ohnojunichi 幕末の思想に非常に深い影響を与えたのはこの光圀公の大日本史編纂事業に代表される「水戸学」の系統が強いんですが、廃仏毀釈を真っ先にやってるのも水戸藩なんです。彼らの思想はある意味で儒学の「本家」を日本に持ってこようとしたんです。
2015-08-20 01:06:44浅見絅斎の「靖献遺言」なんて本が幕末の志士の間で非常に流行った、なんていう話もあるんだけど、あれは「日本の価値観で選ぶ中国の忠臣」みたいなもので、日本からすると曹操よりも諸葛孔明の方が「忠義の臣」として、その生き方に学ぶことが非常に多いとされたわけよね。
2015-08-20 01:09:41それを裏返すと「日本は神代から続く神国であり、国の中心におわすのは天皇である」のだから、まず日本の武士たるものは天皇に尽くさなければならない。そうした天皇のために命を捨てた武将ならほら、南北朝時代にあんなにたくさんいるじゃないか、という思想が幕末の尊王思想の母胎になるわけですな。
2015-08-20 01:11:31@iiduna_yutaka @ohnojunichi 神かどうかのジャッジは本物のシャーマンにしかできません。水戸光圀公がそうであった可能性は低く、当時のそれも、厳密には正しい判断によるものであったと見做すことは残念ながらできません。
2015-08-20 01:12:06@Jupiterius @ohnojunichi いや、単なる歴史上の出来事ですから。霊的にどうか、という話ですと、日本における「カミ」とは何ぞや、という話になります。先ほどのお話の中でいえば、「人格神」と「自然神」がもとから(古事記の頃から)混ざり合ってので余計に難しいですよ。
2015-08-20 01:15:59@iiduna_yutaka @ohnojunichi 「神」も「カミ」も多義語なんですよね。だから日本は八百万ということにして要らぬ議論が起きないよう配慮されているのでしょうね。
2015-08-20 01:17:51国家神道、というのの評価もなかなか難しくて、明治のイデオロギーをどう分析するかによるんだけども、哲学館事件に見られるような「クロムウェルの革命は正しいものであったかどうか」みたいな議論が絡むと「そりゃ日本の風土に馴染むかどうか」で紛糾しちゃうのよね。
2015-08-20 01:18:21@Jupiterius @ohnojunichi けれど現実には議論が長いことあるんですよ。それは「古事記」と「日本書記」の間で、すでに隔たりがありますし、そこにさらに仏教が入ってきていますから、対象が曖昧になるわけでしょう? 江戸後期になるとそこに儒学も混ざるんです。
2015-08-20 01:20:38水戸学からすると神仏習合ってのは「いびつ」にしか見えないのよね。もともと儒学者は坊さん大嫌い、というのもあるから。とくに坊主のが神職よかえばってた時期もあったから、日本には古来の神々がおわすのに、仏教があんなでかい顔してんのが気に食わん、というのは最も廃仏毀釈の単純な動機。
2015-08-20 01:27:21@iiduna_yutaka @Jupiterius 申し訳ないけど、字数の少ないメディアで複数と同時に話せないので俺のID外してやってもらえますか。他のリプライが読み難いので。
2015-08-20 01:28:22@ohnojunichi @Jupiterius はい。了解しました。しかし、一応話の発端は大野氏のつぶやきだと思われますので、人間が祭られるケースは様々にある、という指摘に関してはいかがでしょうか。よろしければご感想をいただければ幸いです。
2015-08-20 01:30:31まあ、実は一番「人間も神様になれるんだよ」というのを上手く利用したのは徳川家康だったという気がすんだけどね。しかも仏教勢力まで取り込んじゃってるから、よくもあんだけ権威を抑えられたもんだなと思う。
2015-08-20 01:32:25