哲学、デリダ、医療、そして哲学。

優しい方が、不埒な僕に本の読み方やデリダの解釈を教えてくれました。創発ってこういうことだと実感できて本当に楽しかった。個人用メモです。
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オリ @suisankabutsu

@YKK4416 デリダはそうですよね、そういう類の文章だと思います。『言葉にのって』というラジオインタビューを書き起こしたものは、彼の生い立ちも語られていますので、いちばん入門に最適かなと思います。

2015-08-23 00:06:35
小西由紘 @k244416

@suisankabutsu ありがとうございます。『獣と主権者I』を読んですぐに諦めました。

2015-08-23 00:11:42
青島周一 @syuichiao89

科学の目的は経験を再構成すること、すなわち現象を救うこと。現象の背後にあるだろうメカニズムの真理よりも経験レベルの現象を重視したい。僕は薬剤師として、薬がどう効くのかよりも、薬が何をもたらすのか知りたいんだ。

2015-08-22 23:54:40
青島周一 @syuichiao89

薬理学的メカニズムや漢方、鍼治療の五行説、あるいはトンデモ医療なんていわれているがんもどき理論、じつはどちらが科学的か明確な線引きはできないんだよね。だから僕はそこに疫学的関連性の示唆という考えと、統計的推論という仕方を導入したいんだ。ようは因果関係の再現性の問題なんだよ。

2015-08-23 01:04:58
青島周一 @syuichiao89

関連という仕方の中で、いかに因果関係を浮き彫りにしていくかは疫学的アプローチ。そして得られた結果がどの程度のものか推論するのが統計学。正当医療かトンデモ医療かを明確に分類する方法はないけれど、因果関係の再現性の頻度という観点から臨床研究の示唆は有用なんだ。

2015-08-23 01:08:19
青島周一 @syuichiao89

現象を救う。これが僕の仕事だ。

2015-08-23 01:18:18
青島周一 @syuichiao89

現象学的医療、構成的経験主義医療、そして構造主義薬学論へ。いろいろ模索しながらいつか、ヘルスリテラシーについて一般向けの本を書きたいなってのが夢ではあります。

2015-08-23 01:26:50
青島周一 @syuichiao89

病名とソシュール、健康を追い求める思想とハイデガー、薬剤効果の現象学、僕たちの医療、正しい医療とは何か。

2015-08-23 01:29:28
オリ @suisankabutsu

インフォームドコンセントとかクオリティオブライフとか、「ケア」を哲学の中から選び取ったり、現象学やレヴィナスが参照されたり、医療関係のなかで「当事者の納得」ということのウェイトが大きくなっているのかなあという印象を受ける。「現象を救うこと」もそのひとつに含まれる。

2015-08-23 00:12:42
オリ @suisankabutsu

医者→患者というヒエラルキーが問題になりうる、ということはわかる。患者が求めているものと合わないことを強制される可能性があるから。では、「それを正して患者の納得を得るためにどうすればいいか?」となったとき、患者の求めることすべてに応じる、医者←患者という逆流では解決にならない。

2015-08-23 00:17:22
オリ @suisankabutsu

《医者←患者》と考えてしまうのは、医療に従事する側が自らの内側で患者への「申し訳なさ」を感じてしまうから。この申し訳なさは、レヴィナスの他者論を導入したい動機のひとつになっている。こう思う気持ちは理由のないことではないけど、《患者がどう思っているか》とは実はかかわりがない。

2015-08-23 00:22:24
オリ @suisankabutsu

医療関係者じゃないから実相ではないかもしれないけど、あくまで、哲学や、他者との関わり合いの生活実感を延長して考えると、何となく類推はできる。違ったら違うって言ってほしいです。理学療法士の方がフォローしてくださっていて、間違ったことは言えないのですが。

2015-08-23 00:27:47
オリ @suisankabutsu

「医療従事者は、患者の納得を大事にしたいと思う(あくまで労働の範囲内で)」、「患者は自分が納得する医療を受けたいと思う」。たぶんこういう条件なのだと思う。でも対話が始まってない限りは、あくまで内側での考え。医学を学んでいる方はいろいろあらかじめ専門知が要るけれど。

2015-08-23 00:31:34
オリ @suisankabutsu

たぶん形式上は、相互のコミュニケーションが重要だ、と言うしかない。では相互のコミュニケーションの内実は?って聴かれると、「ひとそれぞれ」って言う逃げ口上はなしにしつつ、どうやったら普遍的に(≠不変的に)患者さんの納得を大事にできるかっていう。

2015-08-23 00:33:03
オリ @suisankabutsu

患者さんのより善い納得を目指すわけだから、指標は患者さんの気持ちなんだけど、患者さん=ひとにはどういうひとがいるかなあという類型がなんぱたーんか考えないといけないのだろうなあと思う。複合的だとは思うんですが。

2015-08-23 00:37:30
よねもと @yutayonemoto

僕は合ってると思います。ここで問題になるのが、こういう言い方で「なにそれーっ」となる人がやる諸々の行為。方法レベルではSDM(shared decision making)が大切と言われてるけど、単純に「一緒に目標をきめる(意思決定)」って話ではないだろうな。

2015-08-23 00:35:39
よねもと @yutayonemoto

あくまでも医療職というのは技術屋なので、思想や理論の正しさ、論理がどうこうということよりも方法と結果の人になりやすい。個人の志向(嗜好)レベルの差で、「ほんまに起きてることって何やろか」と考えようとする人としない人がいる。このレベルはどちらかを優位においてるわけじゃない。

2015-08-23 00:39:02
オリ @suisankabutsu

医療って《現場》と、治療という《目的》がはっきりと存在していて(諸関係のメカニズムは複雑とはいえ)、そしてある程度、方法や慣習がすでにあったりして、《理論》に向かうひとって珍しいという気がします。そういう意味で「技術屋」という表現はしっくりきます。

2015-08-23 00:47:17
よねもと @yutayonemoto

基本姿勢は患者さんとその家族にとっての価値(ええこと)を提供するために、自身を含めたチームメンバーの専門性を上手く発揮できるように仕向ける。って感じ。なので対象にとっての価値を対象ではない医療者側が当てる能力が介入の第一段階として大切だと思う。そしてこの過程に落とし穴が多すぎる。

2015-08-23 00:44:39
よねもと @yutayonemoto

あと、ちゃんと価値の共有ができ(第一段階が成功する蓋然性が高く)ても、「治るか治らんかはわからない」「現実的にそんなん無理」という第二段階に突入して…また技術に戻ったり、無力感を覚えたりする。でもそれだと良くならないから考えるんだけど、考えるだけでは…以下同 でも考えます。

2015-08-23 00:53:25
よねもと @yutayonemoto

結局、「人の理解をちゃんとできてるか」ということでおさまる。でも、人って何かも、理解って何かも、ちゃんとって何かも、できてるって何かも、責任持って言えないのが、ねぇ。

2015-08-23 00:55:21
オリ @suisankabutsu

哲学の対話(人生相談含)において、いかに悩んでいる本人が「ああ、こういうふうに自分は思ってたんか!」「これからこういうふうにしたい!」というように気づけるように話を促せるのかっていう、哲学者の側の「話す」技術。これは、おそらく医療従事者が患者と家族に「話す」技術と似ていると思う。

2015-08-23 00:57:08
オリ @suisankabutsu

そういう話をしているとき、自分の感覚を言葉に起こす作業をしているのでしんどい。分かっているはずの事柄がぜんぜんうまく説明できない状況になる。だから話す技術としては、「こんな感じ?」と例を出したり、「そのときどう思った?」とか言葉を促したりする。少しずつ言葉になっていくイメージ。

2015-08-23 01:00:29
オリ @suisankabutsu

最初感覚しかなかったり、疑問符が飛んでいてまったく説明にもなっていない状況から、話していくうちに徐々に本人の中で言葉になって「気づき」になったときに、ぱあと明るくなる笑顔が僕は好きです。そうして自分の感覚を自分の意識の中で掴んだことは貴重な経験になる。

2015-08-23 01:02:32
オリ @suisankabutsu

僕の場合、そういう対話は私的な関係の中で発展するので、すぐにでも「解決したい」という本人の意志があることが多い。信頼ある私的関係とは異なる状況――例えば医療現場――では、事情が違うだろうなあと思う。踏みこみの深さや、あるいは「解決したくない!」という捻じれた表現で現れる気持ちとか

2015-08-23 01:08:32