「都築潤×中ザワヒデキ」~2 検証 1980—2000~[実況]

美学校で行われたトークセッションを実況ツイートしまとめた(みそむーおでん以外のツイートも含む)。第二回目
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みそむーおでん @misoni_2013

チョイスも、それまでスーパーリアル一色だった、使いやすい絵が多かったのが、自己表現する場となった。 スーパーリアルの方も自己表現し始めてた。

2015-08-28 20:20:49
みそむーおでん @misoni_2013

自己表現を美術の名前でできなかった。 つまり美術だともの派の続きに組み込まれてしまい、もの派イメージを引き受け具象を描かず画廊でインスタレーションする、というような。 だから前本彰子は当時一番とんがったひと

2015-08-28 20:21:48
みそむーおでん @misoni_2013

当時はニューウェーブ気分が世界中に充満していたが、それをするためには都築や中ザワのような手段をとるしかなかった。

2015-08-28 20:23:12
みそむーおでん @misoni_2013

日比野克彦は自分で自分のことをイラストレーターでもないしアーティストでもないしと肩書を答えてたが、当時のニューアカモラトリアムのピーターパン現象でその時代あっていた 自分で自分を決定しないという決定から逃れ続けることがよかった

2015-08-28 20:23:20
みそむーおでん @misoni_2013

その2~3年後は肩書をイラストレーターとアーティストを使い分けているが、そのうちアーティストと名乗っている。 日比野がアーティストと名乗るはしかたない。それ以外にない。 80年代はそれから逃れる術があったが85年から保守反動が起こる

2015-08-28 20:24:10
みそむーおでん @misoni_2013

85年から美術は美術、イラストはイラストとされる。 その時に自分の肩書を名乗ることを迫られた。そこで日比野はアーティストと名乗るが、 それは決定しなくないけど答えないといけない、そこで曖昧に使える言葉としてグラフィックとかアーティストという言葉。 今ならクリエイターだろうか。

2015-08-28 20:25:54
みそむーおでん @misoni_2013

グラフィック展で出してる作家は世界のニューペインティングが参照されてる。 その世界のニューペインティングにつなげようとすると、日本の伝統、つまりもの派ーポストもの派とつながらない。

2015-08-28 20:26:34
みそむーおでん @misoni_2013

同時多発的に表現主義が来るのは?? 氷河期から間氷期がきて?みたいな? 中ザワの場合は循環史観で説明する。むしろ世界の美術を循環史観で見ててそれの日本版として現代美術史日本篇を書いている

2015-08-28 20:27:35
みそむーおでん @misoni_2013

グラフィック展が美術という名前で追求されてることが日本では受け入れるところとなってしまった。 グラフィック展とチョイス組と、湯村輝彦派とか、いろいろ細かいことある

2015-08-28 20:28:19
みそむーおでん @misoni_2013

80年代の締めとして、グラフィックパワー展 川崎市民ミュージアムの学芸員が中村信夫(少年アート) グラフィック展などをまとめて紹介する展示であったが、その解説がなかなか批判的である

2015-08-28 20:37:29
みそむーおでん @misoni_2013

ニューペインティングは一世を風靡した。 4~5年前までは。 世界の大都市のギャラリーは必ずと言っていいくらい彼らの展示がされてきた。

2015-08-28 20:42:39
みそむーおでん @misoni_2013

ミニマル・コンセプチュアルからいきなり絵にもどったわけで、衝撃で、無視や驚きもあったと。 そして日本の若手のイラストレーターの作品が似ている。 そこでグラフィックと美術が近づいたといえる。 でもこれは、だから違う、という反語的な言い方である

2015-08-28 20:43:04
みそむーおでん @misoni_2013

今で言うニューペインティングは60年代パターンペインティングも同様。 ごく一部の批評が書くだけで美術史から消える、と。 つまりニューペインティングも消えるだろう、と含みを持っている

2015-08-28 20:43:22
みそむーおでん @misoni_2013

このような否定派が学芸員として展示に関わっていたのが面白い

2015-08-28 20:44:16
みそむーおでん @misoni_2013

次のその少年アート(中村信夫)について。 この少年アートをいかに引きずるか、でその後の展開がある。 都築は当時立美で教えてたが、その時は、油絵が中村、日本画が村上隆。 都築、これ読めと少年アートをもらったが、そこでは、

2015-08-28 20:46:10
みそむーおでん @misoni_2013

少年アートでは、ニューペインティングは美術ではない、とあり否定されたが、なるほど、これは(美術ではない)イラストなんだ、とだったらイラストレーターでいこう、と

2015-08-28 20:46:32
みそむーおでん @misoni_2013

しかし村上隆は少年アートを見て、発奮した。 中村政人、西原みん、小山登美夫もそうだが、 非常に影響を受けた。

2015-08-28 20:46:44
みそむーおでん @misoni_2013

イラストは美術ではない、日本には美術はない(アートワールドとアートシーンは違う)この二つが少年アートで言ってることだが、 前者に対応したのが都築

2015-08-28 20:47:11
みそむーおでん @misoni_2013

少年アートの言う美術が日本に美術は無い!?だったら俺が日本に美術を作る、中村政人や村上隆など動いた。 つまり海外から見て日本に美術があるとするように動いた。

2015-08-28 20:47:41
みそむーおでん @misoni_2013

さらにケース3もある。 イラストは美術ではないということははないと。 グラフィック展は楽しく見てたし、海外の通じるどころかそれ以上に面白い、それが湯村輝彦一派だし、日本グラフィック展だし、チョイスだった。 それを美術と呼び、アンチ中村信夫をしたことで書いたのが、近代美術史テキスト

2015-08-28 20:47:51
みそむーおでん @misoni_2013

美術が不要になる日だと。 海外ではシミュレーショニズム(反芸術)がでていて、日本の場合は美術以外に行くことでそれを実現。 つまりイラストレーションに行くことで実現している。

2015-08-28 20:48:05
みそむーおでん @misoni_2013

このことについて近代美術史テキストはイラストに行く反芸術が内容であり、十数年は村上隆のスーパフラットを先取りしてるのだけど村上隆は美術の名前のまま行っている

2015-08-28 20:48:37
みそむーおでん @misoni_2013

へたうまとパルコはイラストでなくなり反イラストとなり、芸術・反芸術と同様なことが起きていた。 つまりスージー山金のようにジェフ・クーンズのようなものが現れていた。

2015-08-28 20:48:45
みそむーおでん @misoni_2013

・・・近代美術史テキストは売れたのだけど、14章以降、つまりアンチ中村信夫で日本が行き着く反芸術としてのイラスト部分は誰も言及しない

2015-08-28 20:48:52
みそむーおでん @misoni_2013

中村信夫と中ザワは対談しないの? 美学校企画してください 中村信夫の本をきっかけにアーティストになった人が多い。 今呼んでもなんでこれがインパクトあるの?と疑問に思われる

2015-08-28 20:48:58
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